お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「南保一義之墓」裏面2008/10/11

「南保一義之墓」裏面
南保一義大尉がどういう生まれで、
どういう経過で死亡したのかを知る
直接の手がかりは、墓碑の碑文。

これがそれです。

比較的大きな写真にしましたが、
私には、まだ一字も読めません。

なにか文字らしいものが見えるのは
この部分です。
「本」?

全体は、この写真です。



文字が薄れて正面からは、ほとんど見えません。
最初の一字は、「一」のようですけれど。

コメント

_ きへい ― 2008年10月12日 06時33分04秒

こんにちは。

南保大尉の墓碑はもう解読出来るレベルではなさそうですね。
昨日、明治4、5、6年の官員録も見たのですが、明治6年に陸軍中尉 南保一照 とありましたが、
この人が南保大尉に該当するのではないでしょうか?明治5年10月2日の陸軍省日誌にも
陸軍中尉 南保一照 任命が出てきます。
これはアジア歴史資料センター、「第29号壬申10月2、3、4、5、7、8日」で検索して
2貢目に出てきます。南保一照中尉は明治7年の官員録には出て来ませんので、
親類、縁者よりも一照は一義の可能性が高いのではないのでしょうか?
一義が正式名か?墓碑建立時の聞き間違いが原因か?碑文が解読出来ればそれもわかるのでしょうが…
因みに明治4年~11年の官員録で南保姓が、出て来るのは明治6年のみです。
何かの御参考までに、それでは失礼致します。

_ BIN★→きへいさん ― 2008年10月12日 07時23分27秒

おはようございます。
コメントありがとうございます。
ご指摘いただいた資料は、写真版でみると、
一照のような、一義のような・・・草書体ですので、
私には、うまく読めません。
きへいさんの推察のとおりだなぁと思いますが、
いまのところ、確証は得られません。
なぞときは、まだまだ先がありそうです。
兵卒の墓碑からなにか見つかるかもしれませんので、
その碑文の解読をつぎにしてみます。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)