お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
前田哲男『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書) ― 2008/10/23
新テロ特措法が衆議院本会議を可決されていったのは、21日のことでした。私は、過去の戦争を跡付ける地道な作業をしていますが、それは目の前で起こっている動きと無縁の作業ではありません。
アフガニスタンで戦争をつづけるアメリカへの給油は、戦争行為そのものです。それを自民、公明が強行していくことを承知で、本会議での趣旨説明や討議を省略する日程を提案した民主は、採決で反対しても、実質上は推進という姿勢は見え透いているものです。
アメリカの従順な僕としての姿をあらためて晒したものです。
この採決がなければ、前田哲男『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書)をわざわざ買わなかったかも知れません。
明治10年代までの日本陸軍は、内戦を想定したものでしたが、その後、征服戦争をもっぱらとする軍隊に変貌していき、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、中国戦争、対米戦争へと突き進みました。
いま同じ流れが、今度はアメリカの戦争のパーツに貶められた状態ですすもうとしています。
防衛庁は防衛省に格上げされ、自衛隊は米軍とともに海外で戦争することを主任務とする軍隊に変貌しました。それはこの本が指摘するとおりだと思います。
その姿をあらためて胸に刻み、自分自身がこの流れを押しとどめる力になりたいと思ったのです。E.H.Carrのいうように歴史とは現在と過去との対話。過去に照らされた現代の醜悪な姿にこそモノ申すべきときだと思いました。
アフガニスタンで戦争をつづけるアメリカへの給油は、戦争行為そのものです。それを自民、公明が強行していくことを承知で、本会議での趣旨説明や討議を省略する日程を提案した民主は、採決で反対しても、実質上は推進という姿勢は見え透いているものです。
アメリカの従順な僕としての姿をあらためて晒したものです。
この採決がなければ、前田哲男『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書)をわざわざ買わなかったかも知れません。
明治10年代までの日本陸軍は、内戦を想定したものでしたが、その後、征服戦争をもっぱらとする軍隊に変貌していき、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、中国戦争、対米戦争へと突き進みました。
いま同じ流れが、今度はアメリカの戦争のパーツに貶められた状態ですすもうとしています。
防衛庁は防衛省に格上げされ、自衛隊は米軍とともに海外で戦争することを主任務とする軍隊に変貌しました。それはこの本が指摘するとおりだと思います。
その姿をあらためて胸に刻み、自分自身がこの流れを押しとどめる力になりたいと思ったのです。E.H.Carrのいうように歴史とは現在と過去との対話。過去に照らされた現代の醜悪な姿にこそモノ申すべきときだと思いました。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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