お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ひさしぶりにムクドリ2009/02/12

ムクドリ  2月12日に大津市の湖岸にて
高島市で仕事を1月末に終えて、
大津市の仕事場に戻ってきました。

それから二週間が経ってようやく
お昼休みのウォーキングを始める気になりました。
心の緊張がほぐれず、一週間ぐらいは、
終わったはずの仕事の夢を見ました。



高島市の事務所は、琵琶湖に面した絶景の地でした。
(上の写真がそれです)
竹生島が目の前に、遠くには伊吹山が見え、
毎朝、カモやユリカモメの群れをなして、
集会(?)や狩りをしていました。

大津市にもどり、ひさしぶりに歩く
人工の「なぎさ公園」が
とても色あせて見えます。

ムクドリを近くに見つけましたが、
カメラのシャッターを切るのがなぜか照れくさく思えました。

目をあわせてくれない!2009/02/13

ちっとも目をあわせてくれません、このネコ
「目をあわせてくれない」
1歳のときのK君がそうでした。
笑った写真も、うまく撮れませんでした。
はじめての子育てのなかで、
気にしなくてもいいことをずいぶん悩みました。

そんなことを思い出したのは、このネコさんとの出会い。

遠目にも、地面にゲロを吐いているのが分かりました。
近づいて、なにを吐いているのか確かめようとしましたが、
唾液しか見えません。
「大丈夫かな」と思いながら、
カメラを向けました。



ところが、カメラをまったく気にする様子がありません。
正面にまわっても、目をあわせず、私を無視しながら、
悠然とどこかへ消えました。

お~い、かわいくないぞ~!!

暖かさを喜べませんね2009/02/14

写真は関係がないのです。
岡城で、滝廉太郎の銅像のすぐそばで撮ったものです。

今日は、マキノに出かけました。
途中、昼食場所を探して湖岸をドライブ。
お気に入りの野鳥観察センターは、
今日は担当者が不在で食べることができませんでした。
仕方なく、同じ道を北上。
湖岸の近くに、薪ストーブを使っているお店を
見つけましたので、そこにしました。
お客はニ三名。
どなたも常連らしい様子。
私が一人で食事をはじめるころには、
一人のお客さんしか残っていませんでした。
そこで、経営者のご夫婦と三人で
私の存在を忘れて、おしゃべりに熱中。

「気温がとても高くて暖かすぎる。」
「そうそういつもは氷点下。今朝は11度もあった。」
「気候がおかしくなっただけではない。
世の中も変だ。そういう私も変かも知れない。」
「オレオレサギが流行っている。
どこにそんなお金があるんだ。」
「借金して7千万払った人もいるらしい」
「世の中、みんなバカになったんだ」
「中国でも流行っているって」
「豊かになったことを宣伝するつもりじゃないのか」
「サギもそうだが、わかっていて死ぬ人がでるのが餅だ。」
「なんでなくならないんだ。」
「小さく切ったら、どうなの」
「それでもつめるときはつめるさ」
「じゃあどうするの」
「禁止するのがいいんじゃないか」
「ここのカレーだって危ないかも知れない。」
「うちのカレーは大丈夫。肉もやらかいし。」
「わからないぞ。口移しが一番安全じゃないか」
「じゃあ、あんたオレの口移しで食べるか」

なにか分けのわからない方向に
進んでいきそうなところで、
レジに向かいました。
お金を受け取りながら、
経営者の奥さんが「もう馬鹿なことばかり
言っていてすみません」と笑っていました。

さらに3基の砲弾型墓碑(日露戦争戦死者)2009/02/15

マキノと今津の境目にある砲弾型墓碑
古い戦争の傷跡は、あまり注目されることはありませんが、
各地の墓地のなか、しかも目立つところに見ることができます。
私は、2007年の夏から、そういう碑の記録を残そうと
しています。

この冬にも、いくつか見つけることができました。

日清戦争の個人墓碑は、ほとんどありません。
そもそも戦死者が少ないこともあるし、
病死者は、陸軍墓地に個人墓碑があるからです。

しかし、日露戦争以降は、合葬碑はあったにしても、
陸軍墓地のなかに、個人墓碑としては残っていません。
将校クラスは存在していますが。

ですから、戦死者の生まれ育った各地の墓地に、
個人の負担で墓碑がつくられていったのでしょう。

私の探索範囲は、大津市と高島市。
ちょうど仕事のエリアと同じです。
高島市での仕事が多かった前年の11月から
今年の1月にかけて、見つけたものがあります。
仕事に忙殺されてブログで紹介できなかったものを
いつくかお見せしたいと思います。

上の写真は、旧今津町と旧マキノ町の境目にある墓地。
そこで、3基の日露戦争での戦死者の墓碑を見つけました。
形は、「砲弾型」



まだ死亡年月日と死亡場所を読み取ることができます。

これで、砲弾型を見つけたのは、13基になります。
マキノで6基、今津で5基、新旭で2基です。

在りし日のクマネズミくん2009/02/15

イスの下に隠れるクマネズミくん
それは、正月前のこと。
事務所の床から外につうじる小さな
通風孔が家主さんによってふさがれました。
それからまもなく、部屋のなかに
ちいさなネズミが一匹現れるようになりました。
気の毒に、外への出口を失ったためなのでしょう。

私達は、珍しい闖入者に歓声を挙げました。
緊張した仕事が続いていたので、
ハプニングは、大歓迎でした。
追いかけたり、写真を撮るなど、アイドル扱いでした。

上の写真がそれです。

しかし、冷静になると、ネズミくんの存在は大問題。
お茶菓子などがおいてあるために、
かじられては大変です。
外に出て行ってもらえるよう
寒いなか、ドアを開け放して待ちました。
でも、うまく逃げてくれません。

仕方なく、お菓子やつまみ類を
夜には、レジ袋につめて、部屋に渡した
洗濯ロープにつるしておきました。
ところが、このネズミにとって、
綱渡りは苦にならないのです。

翌朝、レジ袋のなかのカッパエビセン
が食い荒らされていました。
このスキルから、クマネズミであるとわかりました。
あきれ果てた同僚のTS氏は、
収納用具を買ってきて、そこにすべての食品を入れました。

きっとそれが災いしたのですね。

それから一ヶ月、私達は、ほとんど徹夜の大仕事。
24時間だれかが起きているような始末です。
すっかり、ネズミくんの存在を忘れていました。

高島市の事務所をたたむ少し前、
コピー機の後ろから、変わり果てた
クマネズミさんの姿を見つけました。

とても気の毒で見ていられませんでした。
下の写真は、在りし日のクマネズミくんです。

夕方に雪がちらつく寒空に2009/02/16

寒いときには、トリも着ぶくれするらしい
朝方はまだ暖かさを感じましたが、
午後には寒さが身にしみるようになりました。
いつもの散歩道を、ダウンジャケットに
着替えて歩きました。

木立の上に止まったトリも、着ぶくれ模様。
でも、暖かそうですね。

仕事場の先輩のN氏によると、
町中でも「雪がちらついている」とのことでした。
私のイスから見える空は小さく、
雪花を見ることができません。

司馬遼太郎 『花神』2009/02/18

2008年12月の日米合同演習(饗庭野演習場)
自分でもおかしいくらい本にこだわるときがあるのです。
このときもそうでした。

同僚のKさんを車に乗せて
高島市へ急いでいたときのことです。
「司馬遼太郎の『花神』って読んだことある?」
と聞かれました。
私は思わず、
「どういう意味ですか?」と聞き返しました。
その調子が少し構えているように思ったのでしょう。
Kさんは、いそいで次のように付け加えました。
「ある福祉職場の人が、この本に感激したと言っていたので」と。
つまり、Kさんの疑問は、
「軍人が主人公の小説に、どうして、福祉職場の人が
感動することができるのだろう?」
ということでした。

小説『花神』の主人公は、大村益次郎(村田蔵六)。
蘭方医でありながら、西欧の軍事書を翻訳。
長州と官軍の軍事責任者となり、西洋式軍隊を創設。
四境戦争、戊辰戦争を勝利に導いたあと、暗殺されました。
戦前は、日本陸軍の創始者として祭られた人です。

私がKさんの問いかけに身構えたのは、
私自身が11月から1月にかけて、繰り返し
『花神』を読んでいたからです。
「だれも知らないはずのことなのに!」という驚きと、
どこかで非難の調子を感じ取ったからです。
もちろん、そんなことはありえないことなのですが。

私は、自分の反応にとまどいながら、この小説の
内容をKさんに語りました。
福祉職場の方がどこに感動したかは
その方に聞くしかありません。
そこまで踏み込むことは筋違いですが、
この時代に稀な合理主義の人材が、
自分の歴史的使命を自覚し、それをがんこに貫いた物語。
農民から出発し、蘭学を学び、
軍司令官へと飛躍し、暗殺という最後。
ほとんど個人というものを感じない生涯。

私は、司馬遼太郎を楽しんで読んでいますが、
好きではありません。
どんな主人公でも興味深く読ませてくれますが、
自己肯定感100%の描き方は、野暮な気がしますから。

上の写真は、2008年12月の日米合同演習。
公開されていましたから。
右に見えるのは、都市型訓練施設。
日本陸軍の祖である大村益次郎は、
米軍の指揮権のもとに置かれた日本の軍隊を
どのように感じることでしょうか。

宮部みゆき 『模倣犯』2009/02/19

宮部みゆき 『模倣犯』1~5(新潮文庫)
4日かけて読み終わりました。
2日前のことです。

宮部みゆきの『模倣犯』

映画になっているのは知っていました。
でも、見てはいないのです。
話題になるとかえって見たくなくなるのが悪い癖。

じゃあ、なぜ読むことにしたのかですが、
相当、むしゃくしゃしていたからです(笑)。
なにかちがうことがしたい、
時間がないので、せめて
いつもは読まないものを読みたくなったのです。

それでなんとくなく宮部みゆき。
新潮文庫で5巻もある長編であったのが決め手。

1巻から2巻までは読み始めたことを後悔。
犯人が浮ついたものに思えたし、
趣味が悪い犯罪だったのでうんざりしていました。
しかし、3巻以降は加速して読みきりました。
最後の最後になって、人間の顔として
見ることができたからですね。

この作者が女性であることを文章から感じて、
そのことにとても興味を覚えました。
物語や小説には、男女が登場しますが、
書き手は、必ず、そのどちらか。
それってとても興味深いものです。

それで、女性作家の本を読んでみる気になりました。
ブックオフをたずねて、文庫で並んでいる冊数が
多い人がきっと売れっ子なのでしょうね。
買ってきたのは、桐野夏生と乃南アサ。

上の写真は本文とは関係がありません。
それでも寒々とした読後感にぴったりかも。

桐野夏生 『残虐記』&『OUT』2009/02/20

桐野夏生 『残虐記』&『OUT』
どういうわけか、桐野夏生の小説を二冊
同時に読み始めた。
『OUT』の重苦しさにページが進まないために、
いっしょに買ってきた『残虐記』に手を伸ばしたのだ。
薄い本だったので、こっちだけでも
一気に読めるかと思ったのだけれど、
なんという内容なのだろうか!

いまでは桐野夏生の本は
どれも読もうという気になっている・・・。

天童荒太『悼む人』 (文芸春秋)2009/02/21

天童荒太『悼む人』 (文芸春秋)
私が読んだわけではありません。
カミさんが3日間ぐらいかけて、
読みきった本です・・・天堂荒太『悼む人』

早朝、ふたりだけのドライブのとき、
カミさんは夢中でこの本の話をしました。

途中でローソンに立ち寄り、
車に戻ったときにも、
話は中断しません。

私は、合いの手を
間違わないように入れながら、
少し照れくさい気持ちで聞いています。

貴重な、貴重なひととき。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)