お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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大津市の戦跡(8) 「奇兵隊」出身者の墓碑2009/04/22

「奇兵隊」出身の田中忠孝中尉の墓碑
「奇兵隊」は、高杉晋作が創設した庶民軍です。
幕末、長州が戦うことになった戦争、たとえば
四境戦争で旧武士団に勝る力を発揮しました。
さらに、戊辰戦争をたたかいぬき、
明治政府の基盤を固めたのです。

一坂太郎『長州奇兵隊』(中公新書)によれば、
歴戦のなか、戦死した奇兵隊士の墓碑が
全国いたるところに現存するそうです。

官軍勝利のあと、新政府軍の創設にあたっては、
厳しい選抜をうけ、待遇を不服としたものは
叛乱を起こし、敗北し、処刑されました。
新政府に選ばれたもののみが、
陸軍に奉職することが許されたのです。

つまり、長州の「奇兵隊」は、幕末に生まれ、
明治の夜明けと切り開く栄光をもちながら、
陸軍創設の枠組からはずされ、
一部の者を除き、切り捨てられた
悲劇の(そして過渡的な)軍隊なのです。

旧大津陸軍墓地には、奇兵隊出身者の墓碑があります。
もっとも山手の高い位置、将校の墓地にです。



墓石の背面に彫られた碑文によれば、
山口忠孝は、士族出身で四男。
藩政時代に、奇兵隊に入り、いくたの戦に従軍。
そのまま陸軍に奉職し、中尉となり、
大津に営舎をもつ第九聯隊に配属され、
そこで病死したとあります。

幕末から明治20年までのながい時間を
山口を出発点に軍隊一筋ですごしてきて
37歳出なくなった田中忠孝中尉・・・。

死の直前、なにを考えたのでしょうね。

この碑文を初めて読んだ私は、
幕末の長州が教科書的な知識
ではなく、なまなましい現実として
目の前に現れたのを感じて、
しばらくその場にたたずんでいました。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)