お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
村上春樹 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下) ― 2009/05/04
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)を
今朝読み終えました。
これは『羊をめぐる冒険』(1982)の続編
ということになっていますね。
ですから、後者の”解決”を期待したのですけれど、
それは・・・?ということになりました。
”繋がる”先が見つかったことが
「解決」ならば、そういえるかも知れません。
月や火星ではなく、この地上で。
ところで、村上春樹の魅力はどこにあるのか?
私なりに思うことは、
快感。ウソの話の面白さ、
意外性。安易な期待や予想を裏切ること。
もしくはその期待を超えること。
暗示性。なにか深いものがそこにあるという印象
・・・とはいえ、この作家の輪郭が
まだ私には見えませんん。
ですから、私の「春樹をめぐる冒険」は
もう少し先まで行きそうです。
思考は文体。
自分の書く文章にmurakamiウィルスが
乗り移られそうな危険をときどき感じます。
意識すれば、そうはならないと思いますが。
それで、次はなににしようかな?
5月29日に新刊が出るそうですね。
『1Q84』というタイトル。
この日までに、あと何冊か読めそうです。
他の作家も読みたいので、とりあえず、
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
にしようと思います。
予定は変わるかも知れませんが。
今朝読み終えました。
これは『羊をめぐる冒険』(1982)の続編
ということになっていますね。
ですから、後者の”解決”を期待したのですけれど、
それは・・・?ということになりました。
”繋がる”先が見つかったことが
「解決」ならば、そういえるかも知れません。
月や火星ではなく、この地上で。
ところで、村上春樹の魅力はどこにあるのか?
私なりに思うことは、
快感。ウソの話の面白さ、
意外性。安易な期待や予想を裏切ること。
もしくはその期待を超えること。
暗示性。なにか深いものがそこにあるという印象
・・・とはいえ、この作家の輪郭が
まだ私には見えませんん。
ですから、私の「春樹をめぐる冒険」は
もう少し先まで行きそうです。
思考は文体。
自分の書く文章にmurakamiウィルスが
乗り移られそうな危険をときどき感じます。
意識すれば、そうはならないと思いますが。
それで、次はなににしようかな?
5月29日に新刊が出るそうですね。
『1Q84』というタイトル。
この日までに、あと何冊か読めそうです。
他の作家も読みたいので、とりあえず、
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
にしようと思います。
予定は変わるかも知れませんが。
滋賀・憲法のつどい ジェームズ三木講演会 ― 2009/05/04
今年も咲きました ― 2009/05/04
澤地久枝『昭和・遠い日 近い人』 ― 2009/05/04
最終的には「本との幸運な出合い」
という言葉になるのですけれど、
それではあまりに軽すぎる気がします。
この10年間、どうしてこれだけ
本を読まないですごしていたのだろうか
と自問するのです。
もちろん、新聞や雑誌には目を通していたし、
本をまったく読まなかったわけではありません。
それでも、やっぱり、読むべき本を
読んでこなかったと思うのです。
澤地久枝さんの『昭和・遠い日 近いひと』を
偶然、ブックオフで見つけました。
昨年の五月に『火はわが胸中にあり』や
『密約』を読んだあとは、
澤地さんの本を見つけると、
ともかく買うことにしていました
それで、この本も買ったのです。
お昼の「憲法のつどい」(大津市民会館)で、
ジェームズ三木さんのお話を聴いたあと、
なんとなく、物足りなくて、
去年講演してくれた澤地久枝さんの
この本を手に取りました。
衝撃が走りました。
この本の紹介はどこかでしますが、
「読むべき本なのに読んでこなかった」
自分の罪を感じたのです。
世代で人間をくくることが正しいのか
どうか、わかりません。
しかし、戦前の影を宿した
澤地さん、小田実さん、大江健三郎さん
などの人たちと70年代に青春を過ごした
自分達との間には、強さの点と決意の点で、
大きな差があることを感じます。
という言葉になるのですけれど、
それではあまりに軽すぎる気がします。
この10年間、どうしてこれだけ
本を読まないですごしていたのだろうか
と自問するのです。
もちろん、新聞や雑誌には目を通していたし、
本をまったく読まなかったわけではありません。
それでも、やっぱり、読むべき本を
読んでこなかったと思うのです。
澤地久枝さんの『昭和・遠い日 近いひと』を
偶然、ブックオフで見つけました。
昨年の五月に『火はわが胸中にあり』や
『密約』を読んだあとは、
澤地さんの本を見つけると、
ともかく買うことにしていました
それで、この本も買ったのです。
お昼の「憲法のつどい」(大津市民会館)で、
ジェームズ三木さんのお話を聴いたあと、
なんとなく、物足りなくて、
去年講演してくれた澤地久枝さんの
この本を手に取りました。
衝撃が走りました。
この本の紹介はどこかでしますが、
「読むべき本なのに読んでこなかった」
自分の罪を感じたのです。
世代で人間をくくることが正しいのか
どうか、わかりません。
しかし、戦前の影を宿した
澤地さん、小田実さん、大江健三郎さん
などの人たちと70年代に青春を過ごした
自分達との間には、強さの点と決意の点で、
大きな差があることを感じます。
「大津市の戦跡・史跡をたずねて 平和ハイキング」(5月21日) ― 2009/05/04
知人のHさんから、電話で
「旧大津陸軍墓地について解説してください」
と頼まれたとき、気軽にOKしたのです。
しかし、どんな名称の企画なのか、
詳しく聞かずにいました。
のんきなものです。
まじめに準備しなくてはと思って、
いろいろブログでも書き始めましたが、
月末月初の忙しさに紛れていました。
これはよくないですね。
今日、「憲法のつどい」に参加して、
Sさんに出会いました。
そして、手作りのチラシをいただきました。
帰りがけにも、私と同様「案内人」の役目を
頼まれているTさんからも、チラシをもらいました。
「よろしく、たのむわ」という言葉付きで。
2枚のチラシは同じものでしたが、
それらによって、ようやく企画内容が
私にも正確にわかりました。
《大津の戦跡・史跡をたずねて 平和ハイキング》
これがその名称。
主催者は、新日本婦人の会大津支部。
日は、5月21日(木)ですね。
(日付だけは確認していました)
主旨は以下のようなものです。
この主旨に沿った話はできそうです。
でも、参加希望者はいまのところ少ないようですね。
それでも、かまいません。
機会を与えられたら、誠実に対応したいのです。
「旧大津陸軍墓地について解説してください」
と頼まれたとき、気軽にOKしたのです。
しかし、どんな名称の企画なのか、
詳しく聞かずにいました。
のんきなものです。
まじめに準備しなくてはと思って、
いろいろブログでも書き始めましたが、
月末月初の忙しさに紛れていました。
これはよくないですね。
今日、「憲法のつどい」に参加して、
Sさんに出会いました。
そして、手作りのチラシをいただきました。
帰りがけにも、私と同様「案内人」の役目を
頼まれているTさんからも、チラシをもらいました。
「よろしく、たのむわ」という言葉付きで。
2枚のチラシは同じものでしたが、
それらによって、ようやく企画内容が
私にも正確にわかりました。
《大津の戦跡・史跡をたずねて 平和ハイキング》
これがその名称。
主催者は、新日本婦人の会大津支部。
日は、5月21日(木)ですね。
(日付だけは確認していました)
主旨は以下のようなものです。
明治から昭和にかけて、軍と大津は深くかかわり、かつては軍都としての姿をもっていました。それを知る世代は少なくなっています。
平和について考えてみませんか。ご一緒に、大津の戦跡・史跡をめぐりましょう。
この主旨に沿った話はできそうです。
でも、参加希望者はいまのところ少ないようですね。
それでも、かまいません。
機会を与えられたら、誠実に対応したいのです。
野草 ― 2009/05/04
虫の視点ってこんな感じ? ― 2009/05/04
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
最近のコメント