お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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シベリア抑留生活 「語ってはならない」の重圧2009/05/19

それは、今日の出来事でした。
「車の保険の更新時期が来ています」
という電話をいただきました。
私の仕事場で、更新手続きをすることにしました。

手続きをしながら、雑談をしていました。
話題は、暮らし向きから、年金の話へ。
「私はいいけれど、オヤジは・・・」と切り出されました。

オヤジは、戦争にいきましたが、終戦までわずか2年だったので、恩給が出ませんでした。つまり、期間が短すぎたのです。オヤジは戦争のことを家族になにも話しませんでした。実は、終戦後も、シベリアに抑留されていたことを、家族が知ったのは、昭和天皇の死んだときだったんです。「言うな」といわれて、話すことができなかったんです。凄い重圧があったんでしょう。

お父さんはいまおいくつですか?

いま88歳です。そのときのことは今でも鮮明に覚えているようです。

私は、そのお父さんに会ってみたいと思いました。
ぶしつけなので、すぐにとは言えませんでした。

シベリアのどこですか?

手続きをすすめる手をみながら、たずねました。

実は、シベリア抑留といいますが、送られたのは、最初は東ヨーロッパでした。

といいますと?

キエフでした。そこから、何箇所か回って、最後はウラジオストックの方へ。

残念なことに、手続きはそこで終わりました。
心のこりですが、仕事中ですので、
これ以上話つづけることは
できませんでした。

我が家の花壇はいまが一番美しいです2009/05/19

一気に咲き始めましたよ
我が家には、花壇はこれしかありません。
いまが一年で一番美しいときです。

今年は、白より、紫が多いと思いました。

でも、ちがうかも知れませんね。

紫の花は、日が経つと
白色に変わっていく
ということもありえますね。

いずれにしても、濃い紫、
薄い紫、そして白ありの
バランスがすきです。

今日は健診に行きました。
レントゲンを撮り、血を抜かれ、
バリウムを飲みました。そして、
『海辺のカフカ』を半分読み終わり、
カフカの『城』を買いました。
奈良市で話した原稿を、
頼まれて東京に送りました。
明日は、仕事場で三つの会議があります。
今、その準備をしています。
明後日は、大津市で「平和ハイキング」。
8ページぐらいの資料を今日つくりました。
あとは印刷するだけ。
その次の日は、旧志賀町で、学校給食問題の「集い」。
これは明日、打ち合わせをします。
夜には高島市で会議。
その次は・・・今日は考えないことにします。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)