
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
岩井忠熊 『「靖国」と日本の戦争』 ― 2009/05/26

岩井忠熊氏の『「靖国」と日本の戦争』。
以前から持っていた本である。
今日、二時間とかからずに読みきる。
研究書ではなく、一般向けの本で、
話し言葉風でわかりやすいせいもある。
また、朝鮮半島の情勢不安が
背中を押したこともある。
本文中に「近代日本出兵・事変・戦争略年表」がある。
そのまま転記すると、以下のようになる。
このように近代日本は対外戦争まみれの歴史を歩んできた。
そういう歴史的環境に生きていることを
承知しているはずの首相やその近辺から
平然と「敵基地(先制)攻撃論」が聞こえてくる。
時事通信は以下のように伝えた。
「靖国参拝」や憲法「改正」への動きとあわせれば、
冗談ではすまされないリアルさを感じて、
ゾっとする人々がいるにちがいない。
現に、2007年のアンケートだが、以下のような報道(産経新聞)には、注意を払うべきだろう。
日本は、暴力の悪循環を断ち切る役割を
求められているはずであるし、
そういう願いがこもった憲法をもつ国ではないのかと、
私は、いいたいのである。
以前から持っていた本である。
今日、二時間とかからずに読みきる。
研究書ではなく、一般向けの本で、
話し言葉風でわかりやすいせいもある。
また、朝鮮半島の情勢不安が
背中を押したこともある。
本文中に「近代日本出兵・事変・戦争略年表」がある。
そのまま転記すると、以下のようになる。
1874年(明治 7) 台湾出兵
1875年(明治 8) 朝鮮江華島事件出兵(日朝修好条規)
1884年(明治17) 朝鮮出兵(甲申事件)
1894年(明治27) 朝鮮出兵(東学党事件)
1894年(明治27) 日清戦争
1900年(明治33) 義和団事件
1904年(明治37) 日露戦争
1914年(大正 3) 第一次世界大戦・・・山東省、南洋、地中海
1918年(大正 7) シベリア出兵・・・シベリア、沿海州、北部満州
1927年(昭和 2) 第一次山東出兵
1928年(昭和 3) 第二次山東出兵(第三次山東出兵をふくむ)
1931年(昭和 6) 満州事変(柳条湖事件以後)
1932年(昭和 7) 上海事件
1937年(昭和12) 日中全面戦争(盧溝橋事件以後)
1941年(昭和16) 太平洋戦争(対米英宣戦以後)
このように近代日本は対外戦争まみれの歴史を歩んできた。
そういう歴史的環境に生きていることを
承知しているはずの首相やその近辺から
平然と「敵基地(先制)攻撃論」が聞こえてくる。
時事通信は以下のように伝えた。
敵基地攻撃、法的に可能=能力保有には言及せず-麻生首相
5月26日20時5分配信 時事通信
麻生太郎首相は26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には可能との認識を示した。ただ、能力を保有すべきかどうかには言及しなかった。首相官邸で記者団に答えた。
自民党内には、北朝鮮の核実験を受け、攻撃能力の検討を促す声が出ているが、首相の発言はこうした動きを後押しすることになりそうだ。
「靖国参拝」や憲法「改正」への動きとあわせれば、
冗談ではすまされないリアルさを感じて、
ゾっとする人々がいるにちがいない。
現に、2007年のアンケートだが、以下のような報道(産経新聞)には、注意を払うべきだろう。
日本が最大の脅威国 韓国の世論調査 竹島問題が影響
2008.8.16 18:03
【ソウル=水沼啓子】韓国各紙が建国60周年を機に成人1000人を対象に実施した世論調査で、「最も脅威になる国」は日本と答えた人が最多となり、「韓国の国益のために親しくすべき国」は日本よりも北朝鮮と回答した人が多かったことがわかった。最近起きた竹島(韓国名・独島)をめぐる領有権問題が影響しているとみられる。
京郷新聞が5日、世論調査機関に委託した調査によると、「最も好感を持つ国」は米国(45.4%)と答えた人が最多で、中国(15.2%)、日本(11.7%)、ロシア(8.1%)、北朝鮮(4.0%)-と続いた。逆に、「最も脅威となる国」は日本(35.1%)が最も多く、米国(23.8%)、北朝鮮(20.1%)、中国(19.2%)-の順となった。
東亜日報が13日、別の世論調査機関に委託した調査では、「韓国の国益のために親しくすべき国」として2人に1人が米国(49.8%)と答え、次に中国(22.9%)、北朝鮮(9.3%)。日本と答えた人は3.3%に過ぎなかった。(以下略)
日本は、暴力の悪循環を断ち切る役割を
求められているはずであるし、
そういう願いがこもった憲法をもつ国ではないのかと、
私は、いいたいのである。
コメント
_ hummingbird ― 2009年05月27日 06時39分11秒
_ BIN★→hummingbirdさん ― 2009年05月27日 09時05分35秒
昨晩、ブログを拝見し、戦没将兵追悼記念日のことを知りました。
とても興味ぶかかったので、いろいろ調べたりしました。
今年は、5月26日でしたっけ。5月30日ではなく、5月の最終月曜日になったんでしたね。
とても興味ぶかかったので、いろいろ調べたりしました。
今年は、5月26日でしたっけ。5月30日ではなく、5月の最終月曜日になったんでしたね。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
世界中の大人VS子供で、過去の体験から学べない能力を競い合ったら、ダントツで我々大人の勝利?
笑えませんよね、この現実。