お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
歩かなくちゃね ― 2009/06/15
今日は、6月中ごろ。しかも日曜日。
休日を祝福するような晴天でした。
しかし、私は仕事。
祝福とは無縁でした。
午前9時。同僚のK氏を載せて、
大津市北部の○○の里に向かいました。
そこは、20年ぐらい前から開発されている団地。
丘陵地に6000世帯ぐらいが住む街です。
琵琶湖が遠くに見えて美しい。
出かけた目的は、集まりに出席するためです。
2年ほどまえから問題が生まれています。
ひとつは、湖西バイパスの騒音拡大。
無料化のおかげで交通量がふえ、
トラックの騒音が深刻になりました。
今日も声をかき消す騒音が鳴り響きます。
もうひとつは、暮らし向きにかわる問題。
この住宅地は山手で、最寄の駅は、
JR○○温泉駅です。
そこから住宅地へは、車もしくは
バスで向かうことになります。
支所は、山手の住宅街の真ん中。
銀行、スーパーなどと一緒に
暮らしを支えてきました。
わざわざ湖岸に下りなくても、
食料品は手に入る仕組みでした。
ところが、そのスーパーが倒産。
空白期間の間、大騒ぎでしたが、
別のチェーン店が出店して、一安心。
しかし、今度は銀行がなくなるのです。
支店が琵琶湖岸の○○温泉駅に移転。
キャッシュコーナーだけは存続するようですね。
正午となり、話し合いが終わりました。
先発したK氏に車を貸したために、
私は別の手段で戻るハメになりました。
バスの時刻表を見に、離れたバス停へ
あと20分ありますね。
「どうしようかな?」と考えていたら、
住民の女性の方から、声をかけられました。
「虫の調査に来られた方ですか?」
「いいえちがいます。なにか問題でも?」
「テントウムシのことで、、県から
環境問題の方が来られるってことでした。」
カメラを持っているので、そう見えるのでしょうか。
「どこへ行かれますか?」
「JR○○駅から帰るつもりです。」
「では、案内します。歩いて16分ぐらいです」
ご親切はありがたいのですが、
今日はマイペースで歩きたいのです。
途中まで見送ってもらい、あとは
道順を教えてもらいました。
去年は、縄文杉まで歩きました。
ですから、脚力にも自信があったのです。
この4月の右足損傷さえなければ・・・。
整形外科で、半月盤損傷と診断され、
「もう直りません。でも筋肉は落としてはだめ」
っていわれました。
これって無理して歩けってことですよね。
ですから、車を貸すのもOKして、歩いたのです。
女性は16分といいましたけれど、
もっとかかる道のりでした。
6月なのにこの住宅街の空気は澄んで、さわやか。
木々に囲まれた山手だけのことはあります。
事務所に戻ったときの蒸し暑さとは別天地。
車も人通りもなく、不思議な街でしたけれど。
休日を祝福するような晴天でした。
しかし、私は仕事。
祝福とは無縁でした。
午前9時。同僚のK氏を載せて、
大津市北部の○○の里に向かいました。
そこは、20年ぐらい前から開発されている団地。
丘陵地に6000世帯ぐらいが住む街です。
琵琶湖が遠くに見えて美しい。
出かけた目的は、集まりに出席するためです。
2年ほどまえから問題が生まれています。
ひとつは、湖西バイパスの騒音拡大。
無料化のおかげで交通量がふえ、
トラックの騒音が深刻になりました。
今日も声をかき消す騒音が鳴り響きます。
もうひとつは、暮らし向きにかわる問題。
この住宅地は山手で、最寄の駅は、
JR○○温泉駅です。
そこから住宅地へは、車もしくは
バスで向かうことになります。
支所は、山手の住宅街の真ん中。
銀行、スーパーなどと一緒に
暮らしを支えてきました。
わざわざ湖岸に下りなくても、
食料品は手に入る仕組みでした。
ところが、そのスーパーが倒産。
空白期間の間、大騒ぎでしたが、
別のチェーン店が出店して、一安心。
しかし、今度は銀行がなくなるのです。
支店が琵琶湖岸の○○温泉駅に移転。
キャッシュコーナーだけは存続するようですね。
正午となり、話し合いが終わりました。
先発したK氏に車を貸したために、
私は別の手段で戻るハメになりました。
バスの時刻表を見に、離れたバス停へ
あと20分ありますね。
「どうしようかな?」と考えていたら、
住民の女性の方から、声をかけられました。
「虫の調査に来られた方ですか?」
「いいえちがいます。なにか問題でも?」
「テントウムシのことで、、県から
環境問題の方が来られるってことでした。」
カメラを持っているので、そう見えるのでしょうか。
「どこへ行かれますか?」
「JR○○駅から帰るつもりです。」
「では、案内します。歩いて16分ぐらいです」
ご親切はありがたいのですが、
今日はマイペースで歩きたいのです。
途中まで見送ってもらい、あとは
道順を教えてもらいました。
去年は、縄文杉まで歩きました。
ですから、脚力にも自信があったのです。
この4月の右足損傷さえなければ・・・。
整形外科で、半月盤損傷と診断され、
「もう直りません。でも筋肉は落としてはだめ」
っていわれました。
これって無理して歩けってことですよね。
ですから、車を貸すのもOKして、歩いたのです。
女性は16分といいましたけれど、
もっとかかる道のりでした。
6月なのにこの住宅街の空気は澄んで、さわやか。
木々に囲まれた山手だけのことはあります。
事務所に戻ったときの蒸し暑さとは別天地。
車も人通りもなく、不思議な街でしたけれど。
今年も「反核ウォーキング」からお誘いがありました ― 2009/06/15
抜けるような青空と溶け合う琵琶湖。
去年の八月の写真です。
その八月の話。
「BIN★さんですか?お久しぶりです」とHさん、
「新聞に平和ハイキングのことが載っていましたね」
「ええ」
「8月6日に時間を空けてもらえますか?」
「なんでしょうか?」
「去年もやった反核ウォーキングなんですが、
今年もやるつもりです。」
「なるほど」
「去年は、Tさんといっしょに案内してもらいましたね」
「ええ」
「Tさんが体調がよくないので、今年も参加して
戦跡を案内してほしいのです」
「どういうコースですか?」
「唐崎を出発して、皇子が丘までです」
「時間は?」
「午後2時から4時までの予定です」
「何曜日でしたっけ?」
「木曜日です」
「じゃあ、なんとかなると思います」
この8月6日(9日)は特別の日です。
しかも、「核のない世界」オバマ演説の直後。
核保有国が真剣に廃絶にすすめるかどうかの
分岐となる重要な年です。
息子のK君は「原水禁大会に行くつもり」
「えぇ~そうなん」と私が言うと、
同じくH君も「受験のための日程がなければ」と
言っています。
「おまえたち、歴史的な大会に親を置いて行くのか!」
と思いましたけれど、未来は次の世代に託すべきもの。
ともかく、私は大会に行くことをあきらめて、
離れたこの琵琶湖岸の街で、
自分の力と創意でできることをしようと思うのです。
ところで、反核ウォーキングですが、
反核と戦跡・・・一緒であるような、ないような。
主催者の意図は、反核の思いを込めて、
戦跡をめぐるってことなんでしょうね。
真夏の太陽に焼ける日を思いながら、
プログラムをつくる楽しみができました。
去年の反核ウォーキングの日記は→ここをクリック。
去年の八月の写真です。
その八月の話。
「BIN★さんですか?お久しぶりです」とHさん、
「新聞に平和ハイキングのことが載っていましたね」
「ええ」
「8月6日に時間を空けてもらえますか?」
「なんでしょうか?」
「去年もやった反核ウォーキングなんですが、
今年もやるつもりです。」
「なるほど」
「去年は、Tさんといっしょに案内してもらいましたね」
「ええ」
「Tさんが体調がよくないので、今年も参加して
戦跡を案内してほしいのです」
「どういうコースですか?」
「唐崎を出発して、皇子が丘までです」
「時間は?」
「午後2時から4時までの予定です」
「何曜日でしたっけ?」
「木曜日です」
「じゃあ、なんとかなると思います」
この8月6日(9日)は特別の日です。
しかも、「核のない世界」オバマ演説の直後。
核保有国が真剣に廃絶にすすめるかどうかの
分岐となる重要な年です。
息子のK君は「原水禁大会に行くつもり」
「えぇ~そうなん」と私が言うと、
同じくH君も「受験のための日程がなければ」と
言っています。
「おまえたち、歴史的な大会に親を置いて行くのか!」
と思いましたけれど、未来は次の世代に託すべきもの。
ともかく、私は大会に行くことをあきらめて、
離れたこの琵琶湖岸の街で、
自分の力と創意でできることをしようと思うのです。
ところで、反核ウォーキングですが、
反核と戦跡・・・一緒であるような、ないような。
主催者の意図は、反核の思いを込めて、
戦跡をめぐるってことなんでしょうね。
真夏の太陽に焼ける日を思いながら、
プログラムをつくる楽しみができました。
去年の反核ウォーキングの日記は→ここをクリック。
忘れてほしい・・・ ― 2009/06/15
カミさんとドライブに行くときは、
運転はカミさんがするのです。
「他人の運転は酔う」っていうのがその理由。
日曜日も二人で早朝に出かけました。
「ねぇ、練習する?」とカミさん。
「ん??」と私。
「このスピードで飛び降りるの」
先日無理矢理車から降りたことを
まだ怒っているのでした。
「そのときはゴメンナサイ」と
言えばすむのでしょうけれど、
迷惑そうに笑っている私です。
これが事態をさらに悪化させます。
「ねえ、ヤクルトのビン」
「それがなに?」
「それで○○美(妹)さんをたたいたってほんと?」
「一度だけね(たぶん中学生の頃)」
「ひつこく言うと私もたたく?」
「たたかないよ」
車は快調に巡航速度。
「ねぇ、ここで降りてみる?」
忘れてほしい・・・・両方とも。
運転はカミさんがするのです。
「他人の運転は酔う」っていうのがその理由。
日曜日も二人で早朝に出かけました。
「ねぇ、練習する?」とカミさん。
「ん??」と私。
「このスピードで飛び降りるの」
先日無理矢理車から降りたことを
まだ怒っているのでした。
「そのときはゴメンナサイ」と
言えばすむのでしょうけれど、
迷惑そうに笑っている私です。
これが事態をさらに悪化させます。
「ねえ、ヤクルトのビン」
「それがなに?」
「それで○○美(妹)さんをたたいたってほんと?」
「一度だけね(たぶん中学生の頃)」
「ひつこく言うと私もたたく?」
「たたかないよ」
車は快調に巡航速度。
「ねぇ、ここで降りてみる?」
忘れてほしい・・・・両方とも。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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