
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
てんとう虫の幼虫 ― 2009/06/18
「おばちゃん」の駄菓子屋が消えた・・・ ― 2009/06/18
木の格子がはまったガラスの戸。
陽に焼けた白いカーテンが開かれると、
名もないお菓子が棚や天井からつるされていた。
表におかれたガチャポンには、
ときどき子ども達が固まっていた。
乱雑に並べられた自転車が
いまはなつかしい。
今日訪れると、表も店も、がらんとしている。
街から、ひとつ駄菓子屋さんが消えた・・・
胸のどこかに小さな痛みが走る。
つい先日、ささやかなパーティが
近所の人たちによって、行われた。
長年の苦労への感謝をこめて。
翌日、高齢となった「店のおばちゃん」は、
施設に入所することになった。
梅雨の季節というのに、
今日も晴れて、気持ちがいい。
お店の裏の自宅の格子戸が開いている。
足を踏み入れると、管理をまかされたSさんが、
空気の入れ換えをしていた。
「こんにちは」
家にあげてもらうと、食卓のうえに、
駄菓子の入れ物が置かれていた。
マジックで書かれた値段の文字。
それが唯一の証となってしまった・・・
「おばちゃん」のお店があったという。
陽に焼けた白いカーテンが開かれると、
名もないお菓子が棚や天井からつるされていた。
表におかれたガチャポンには、
ときどき子ども達が固まっていた。
乱雑に並べられた自転車が
いまはなつかしい。
今日訪れると、表も店も、がらんとしている。
街から、ひとつ駄菓子屋さんが消えた・・・
胸のどこかに小さな痛みが走る。
つい先日、ささやかなパーティが
近所の人たちによって、行われた。
長年の苦労への感謝をこめて。
翌日、高齢となった「店のおばちゃん」は、
施設に入所することになった。
梅雨の季節というのに、
今日も晴れて、気持ちがいい。
お店の裏の自宅の格子戸が開いている。
足を踏み入れると、管理をまかされたSさんが、
空気の入れ換えをしていた。
「こんにちは」
家にあげてもらうと、食卓のうえに、
駄菓子の入れ物が置かれていた。
マジックで書かれた値段の文字。
それが唯一の証となってしまった・・・
「おばちゃん」のお店があったという。
内田春菊『ファザーファッカー』(1993) ― 2009/06/18

内田春菊『ファザーファッカー』。
内容はタイトルのとおり。
しかし、私には、マザーが
タイトルにないのが不思議な気がする。
そういう本。
『口だって穴のうち―ホントとホンネ内田春菊対談集』
を読むと、さらりと体験本だと語られている。
いまなぜ、『ファザーファッカー』?
ふつうは近づかない世界。
桐野夏生の『ローズガーデン』や、
天童荒太の『永遠の仔』を読まなければ。
つまり、これらを読んで、頭に浮かんだのが、
内田春菊の世界だったのだ。
私は、どちらかといえば、
桐野夏生の『ローズガーデン』の方が
異常だと思える。
『ファザーファッカー』から、
伝わってくるのは、ざらざらした痛み。
その痛みが賢い女の子に突き刺さる。
内容はタイトルのとおり。
しかし、私には、マザーが
タイトルにないのが不思議な気がする。
そういう本。
『口だって穴のうち―ホントとホンネ内田春菊対談集』
を読むと、さらりと体験本だと語られている。
いまなぜ、『ファザーファッカー』?
ふつうは近づかない世界。
桐野夏生の『ローズガーデン』や、
天童荒太の『永遠の仔』を読まなければ。
つまり、これらを読んで、頭に浮かんだのが、
内田春菊の世界だったのだ。
私は、どちらかといえば、
桐野夏生の『ローズガーデン』の方が
異常だと思える。
『ファザーファッカー』から、
伝わってくるのは、ざらざらした痛み。
その痛みが賢い女の子に突き刺さる。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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