お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
沖縄「慰霊の日」(6月23日)に寄せて ― 2009/06/22
私がいま住んでいるのは、滋賀県の県都・大津市。
合併をくりかえして、いまや中核都市。
山野を切り開き、琵琶湖を埋めた土地に、
道路や新興団地や高層マンションが
つぎつぎと建設されています。
失われていく景観や街の変貌を注視しながら、
旧い時代の痛みを追跡する私です。
墓地を見かけると、戦死者の墓碑文を、一柱づつ
ていねいに読みつづける・・・「悼む人」状態です。
岡にむかって細長くつらなる墓地を、
見て回っていたときです。
「故陸軍伍長」の墓碑に、「沖縄」の文字を見つけました。
そうです、この日は、「慰霊の日」の三日前。
つまり沖縄で司令官牛島満中将が自決して、
組織的な戦争が終わった日の三日前にあたるのです。
沖縄に行ったとき、「平和の礎」に沖縄戦で散った
全国の人たちの名前が刻まれているのを見ました。
ですから、滋賀県人がそのなかにいるのも
知識としては持っていたのです。
しかし、遠くはなれた大津の地で、
「沖縄」の文字を目にしたとき、15年戦争が、
全国民をまきこんだ総力戦であったことを感じました。
明日は、6月23日。64回目の「慰霊の日」です。
琉球新報に、「慰霊の日」についての記事が載っていました。
とても、大切な内容だと思いましたので、引用しておきます。
合併をくりかえして、いまや中核都市。
山野を切り開き、琵琶湖を埋めた土地に、
道路や新興団地や高層マンションが
つぎつぎと建設されています。
失われていく景観や街の変貌を注視しながら、
旧い時代の痛みを追跡する私です。
墓地を見かけると、戦死者の墓碑文を、一柱づつ
ていねいに読みつづける・・・「悼む人」状態です。
岡にむかって細長くつらなる墓地を、
見て回っていたときです。
「故陸軍伍長」の墓碑に、「沖縄」の文字を見つけました。
昭和二十年六月二十日於沖縄島戦死
そうです、この日は、「慰霊の日」の三日前。
つまり沖縄で司令官牛島満中将が自決して、
組織的な戦争が終わった日の三日前にあたるのです。
沖縄に行ったとき、「平和の礎」に沖縄戦で散った
全国の人たちの名前が刻まれているのを見ました。
ですから、滋賀県人がそのなかにいるのも
知識としては持っていたのです。
しかし、遠くはなれた大津の地で、
「沖縄」の文字を目にしたとき、15年戦争が、
全国民をまきこんだ総力戦であったことを感じました。
明日は、6月23日。64回目の「慰霊の日」です。
琉球新報に、「慰霊の日」についての記事が載っていました。
とても、大切な内容だと思いましたので、引用しておきます。
あす「慰霊の日」 5大学1129人、3割「由来知らない」
6月22日9時40分配信 琉球新報
沖縄戦アンケート
23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99・4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29・4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61・6%にとどまった。
沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。
高校歴史教科書の「集団自決」の記述から「日本軍の強制」が削除された問題について、県内出身者と県外出身者の意識に差があることも分かった。
日本軍による住民虐殺があった事実は86・8%、学徒動員は92・8%の学生が知っていると答えた。学徒隊の名前を一つ挙げることができた学生は76・0%で、ほとんどが「ひめゆり」を挙げた。
住民の「集団自決」はどのような死かを問うと「日本の軍事体制下で米軍への投降を許さない、追いつめられた死」を選んだ学生は83・6%、「国のために自ら命を捧げた美しい死」は4・4%、「分からない」5・2%、その他6・3%。
「日本軍の強制」が削除された問題を知っているのは90・4%、削除は「正しくない」との回答は81・8%に上った。「正しい」は2・8%。「分からない」が14・2%いた。
県内、県外の出身別でみると、県外出身者は「集団自決」を「―美しい死」と回答した割合が8・1%と県内3・8%よりも高く、歴史教科書問題を知らないと回答した割合も県外は27・4%で、県内6・4%よりも高かった。「日本軍の強制」削除は「正しくない」は県外65・9%で、県内84・3%よりも低かった。
沖縄戦を学ぶことは「とても大切」88・1%、「ある程度大切」11・2%とほとんどが「大切」と回答。沖縄戦について小中高校の授業で学んだことがある学生は91・9%、戦跡や平和資料館に行ったことがある人も95・2%と多かった。
調査は5大学の教員に協力を依頼し、講義の際、学生に回答してもらった。
◆識者分析 新城俊昭氏「意識高いが知識伴わず」
「沖縄戦が終わって何年か」との質問に正答が約6割というのは気になる。8割は超えてほしかった。一方で沖縄戦を学ぶことが大切との回答99%はかなり高い数値だ。現代の若者は一般に言われるほど沖縄戦に無関心ではない。むしろ素直な気持ちで沖縄戦から平和の在り方を学ぼうとする姿勢がうかがえる。意識は高いが知識がそれに伴っていないのが実情だ。平和教育の在り方や教える内容に問題がありそうだ。生徒の実態に合った、体系立てた学習を工夫する必要がある。
毎年6月は特設授業で、演劇や映画鑑賞、戦争体験者の講演などが実施されているが、近年、こうした学習法もマンネリ化し新たな平和教育の在り方が求められ、内容も問われている。
1995年、2000年に高校生を対象にしたアンケートでは戦跡・平和資料館に行ったことのある生徒はほぼ半数だった。それが05年は94・5%と大幅に増え、今回のアンケートでも95・2%と高い。おそらく、多くの学校が総合的学習の時間に平和学習を取り入れ、学年単位で戦跡・資料館巡りをするようになったのだろう。07年の教科書検定問題による沖縄戦への関心の高まりも一因だ。
沖縄戦をじかに語れる世代は急速に減少している一方で沖縄戦研究は大きく進歩し、県平和祈念資料館や対馬丸記念館の建設、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアル、各市町村の戦争体験記刊行など沖縄戦を継承するための未来への環境作りは着実に進んでいる。これからの平和学習はこれら戦争遺跡や資料館に何を語らせるかが大きな課題だ。
教科書から「日本軍の強制」が削除されたことは「正しくない」との回答が県内出身者より県外が大きく下回ったのは気になる。単に沖縄戦への認識が足りないというより、15年戦争への歴史認識そのものに違いがあるように思える。だからこそ教科書で沖縄戦の真実をきっちり記述する必要がある。
(沖縄歴史教育研究会代表)
コメント
_ カム ― 2009年06月22日 22時41分54秒
記事がダブった(^_^;)
_ BIN★→カムさん ― 2009年06月22日 22時59分30秒
まあ、いいじゃないですか。
思いは同じっ!ということですね。
思いは同じっ!ということですね。
_ 座敷 ― 2009年06月23日 15時15分54秒
アレンさんの所から来ました。
私は今年の3月まで沖縄の糸満市にすんでいました。
沖縄戦の話は年配の方々から何度も聞いていて、糸満方面の遺骨収集ににもさんかしました。
年配の方々の話を聞くと集団自決の話は壮絶だったそうです。
亡くなった方々がニライカナイへ無事にいきますように。
私は今年の3月まで沖縄の糸満市にすんでいました。
沖縄戦の話は年配の方々から何度も聞いていて、糸満方面の遺骨収集ににもさんかしました。
年配の方々の話を聞くと集団自決の話は壮絶だったそうです。
亡くなった方々がニライカナイへ無事にいきますように。
_ BIN★→座敷童子さん ― 2009年06月23日 15時56分43秒
いらっしゃい♪
コメントありがとうございます。
遺骨収集に行かれたんですかぁ。
その話を聞かせてほしいと思いました。
3月まで糸満市てことは、もう内地へ?
ところで、ブログにおじゃましました。
沖縄の話がいっぱい書かれていますね。
楽しく読ませていただきます。
コメントありがとうございます。
遺骨収集に行かれたんですかぁ。
その話を聞かせてほしいと思いました。
3月まで糸満市てことは、もう内地へ?
ところで、ブログにおじゃましました。
沖縄の話がいっぱい書かれていますね。
楽しく読ませていただきます。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)