お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「ヤマアラシのジレンマ」2009/06/30

解散・総選挙が気になる季節。
ぼんやり、8月の計画を考えていたら、
突然、昔、ある女の子がしていた話を思い出した。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
ねぇ、聞いて!こんな話なの。
・・・とても寒い冬の日、ヤマアラシの夫婦は
寒さに震えている。
そして、暖まろうと体を寄せ合う。
しかし、ヤマアラシは、体中にとげがあって
身体を強く寄せ合うと、とげが刺さる。
「痛いよ!アンタ」「うん、痛いね・・・」
それでもまた、互いに歩み寄るが、
「あ、痛い!」そして、また離れる。
「ねぇ、半分だけ、近づこうよ」
ゆっくり、相手をいたわりながら接近。
「ねえ、暖かいねぇ」「うん」
・・・・いい話じゃない、ねえ。
そう思わない?
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

もちろん、いい話だとは思いました、
独身だった私でも・・・。

ショーペンハウエルがつくり、
フロイトが仕上げた「ヤマアラシのジレンマ」
こういうヴァージョンもあるんだ、
と今になって、感心する私。

なぜ、こんなことを思い出したのか?

口げんかしたくもないのに、
ついやってしまう。そして、後悔。
いくつになっても、ありませんか?
暖まりたいのにねぇ。
・・・そうしたら、どんなにいい人生かと思うのですが。

いつからなんだろう、お互いに、
「お父さん」「お母さん」と呼び合うようになったのは。
子どもができたときは、それがなんかうれしくて、
「あ、ああ」とかいいながら、返事してました。

でも、いまはねぇ、それがまずくないだろうか。
じゃあ、なんて呼べばいい?
ファーストネーム?

不自然ではなく、人間として
向かい合えるには、どうしたらいい?
寓話には、トゲを取るというオプションはないの?

郷土の兵士の運命を辿る2009/06/30

 民間墓地を歩いて、戦死者の墓碑を眺め、記録する・・・そんな作業を始めて、3年目の夏がやってきます。
 案内を頼まれるようになったこともあって、漫然と記録しつづけるのではなく、後世のために役に立つ資料をつくるようにしたいと思いました。
(8月6日の案内は不要になったらしいです。少し残念)
 大津市に眠る戦死者、ただしくは大津市内に墓碑が置かれている戦死者たちの運命を系統的に辿るには、どうしたらいいのでしょう。
 一つは、ここに置かれた陸軍歩兵第九聯隊の歴史に重ねて、辿ることなんでしょうね。多数の墓碑がこの聯隊とかかわっているように思えるからです。
 そうするには、その歴史を頭に入れておく必要があります。

  Wikipediaは、今の時点で次のように「歩兵第九聯隊」の沿革が書かれています。ただし、(A)などの表記はBIN★がつけました。

1874年(明治7年)5月 - 第5大隊を基幹に改編
12月18日 - 軍旗拝受
1877年(明治10年) - 西南戦争に従軍(A)
1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍(B)
1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍(C)
1919年(大正8年) - シベリア出兵、満州の警備につく(D)
1921年(大正10年) - 帰還
1925年(大正14年) - 宇垣軍縮にともない京都へ移駐し第4師団から第16師団に所属変更
1937年(昭和12年)9月14日 - 日中戦争勃発、塘沽に上陸し順徳を占領、南京攻略戦ののち華北へ転戦する(E)
1939年(昭和14年)8月 - 帰還
1941年(昭和16年)12月22日 - ルソン島リンガエン湾に上陸し第一次・第二次バターン半島攻略戦、コレヒドール島攻略戦に参加(F)
1942年(昭和17年) - カマリネス・スル州ナガに移動、南部ルソン島とビサヤ地区諸島の守備につく (G)
1944年(昭和19年) - サマール島に移動(H)
7月19日 - レイテ島に進出(I)
10月27日 - ロビ山脈に後退(J)
12月6日 - 和号作戦、ブラウエン飛行場を奪回するにみえたが、アメリカ軍の反撃を受け連隊は壊滅する(K)
1945年(昭和20年)8月 - 終戦

上の表に、AからKまでの記号をつけました。
それぞれの戦死者の墓碑があるかどうかですが、A、B、C、Dの犠牲者の墓碑は確認できると思います。残る、E、F、G、H、I、J、Kについてですが、あまりに多数なので、私の手に負えるのかどうかわかりません。でも、努力してみたいのです。

 大津市の民間墓地には、歩兵第九聯隊だけでなく、 海軍や他の軍隊組織に属した将校や兵士の墓碑も存在します。それらは、それとして、見ていけばいいのでしょうね。

「支那事変」の戦死者@木戸共同墓地2009/06/30

「支那事変」の戦死者@木戸共同墓地
この間、紹介している旧志賀町木戸共同墓地。
墓地を入ってすぐ左手に並ぶ戦死者の墓碑
一番目立つのが、写真の墓碑・・・
「故陸軍伍長中村信雄之墓」です。



立派な墓碑です。
大きさもそうですけれど、右側面に、
碑文があり、戦歴が刻まれています。
最後に「陸軍少佐力石勝壽書」と署名があります。

そこには、昭和9年1月20日に、
歩兵第九聯隊に入営したこと。
「支那事変」とともに、応召。
昭和12年10月1日に河北省小範鎮で
戦死したことなどが刻まれています。

墓碑の裏面には、つぎの写真の文字が
刻まれていて、私は、胸をつかれます。

映画『エンゼル・ハート』Angel Heart(1987)2009/06/30

桐野夏生の『メタボラ』をゆっくりと読み続けています。
分厚い単行本の231ページまで来ました。
この小説の設定が、いいんです。
ほんとに、スリリング。

ですからね、読みながら、
いろんなことを思い出すのです。

たとえば、映画『エンゼル・ハート』

マンガの『エンジェル・ハート』ではなくて。
ミッキー・ロークが主演したもの。

話の展開は全然ちがうのですが、
『メタボラ』を読んだことのある人なら、
この二つの類似点がわかるはず。

それは、”私”とはなにか?

という点についてなのです。

この『エンゼル・ハート』あまりに不気味。
ロバート・デニーロが似合いすぎて怖かったです。
血が降るシーンのおぞましさと恐怖。
忘れられるシーンではないと思っていましたが、
『メタボラ』読むまで忘れていました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)