お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

ショパン:ノクターン集*アファナシエフ2009/06/04

ショパン:ノクターン集*アファナシエフ
繰り返し立ち戻り、
繰り返し耳を耳を傾ける・・・そんな
ピアニストとCDがありはしないだろうか。
頭では、「そうではない」といいたくても。

アファナシエフは、ピアニストであり、小説家である。
ただ「旧ソ連の」と付け加えるわけには、ゆかない。
亡命したことによる傷跡は深そうだから。

DENONには、アファナシエフの録音が多数ある。
そこには、彼自身のライナー・ノートがついている。
どれも、詩的で哲学的で、そして、難解である。

私は、最後まで読みきった人がどれだけいるのか
あやしむばかりである。

しかし、ていねいに読むと、えるものは多い。
私は、ヴァージニア・ウルフやプルーストや
レールモントフを改めて読みたいと思ったほど。

最後に、アファナシエフは言う。

「私達は、皆、会員が前世においてショパンであった
一種の秘密結社に属しているのではないか。
どれだけ多くの人が、恋に落ち、苦しみ、また
記憶の小道を逍遥するたびに、ショパンと一体
化するであろうか」

そして、私は言う。

すくなくとも、私は、会員が前世において
アファナシエフであった一種の秘密結社に
属しているのではないか・・・。

①変ロ短調 作品9の1
②嬰ヘ長調 作品15の2
③嬰ハ短調 作品27の1
④変ニ長調 作品27の2
⑤ロ短調 作品32の1
⑥ト長調 作品37の1   
⑦嬰ヘ短調 作品48の2
⑧嬰ハ短調 遺作
⑨ハ短調 遺作

DENON COCO-70868

Идёт дождь2009/06/05

ときどきお世話になっています
雨がふる。そして私は休日。

Идёт дождь
「雨がふる」・・・最初のほうで学ぶロシア語。

「ロシア語では、雨が降るは、fallではなく、
go にあたる идтиを使いますよ」
と注意されたことを思い出す。
「なぜ、go なんだろう?」
そういう質問をしたのか、しなかったのか、
もう忘れてしまった。・・・今は昔。

そして今日、なぜか気になって調べてみる。
しかし、辞書には書いていない。

Pocket Oxford Russian Dictionarryを見る。
ここにも説明はない。しかし、
rainy day = чёрный(=黒い) день(日)
と書かれている。
え?!「雨の日」って、「黒い日」だっけ?と、たじろぐ私。

しかし、よくよく考えてみれば、
これは「まさかの日」という表現にちがいない。
provide for a rainy day!
(まさかのときに備えなさい!)

そのまさかのとき、雨が、しかも「黒い雨」が
ヒロシマに降った。1945年のことである。

私たちのчёрный день
もう雨を汚させてはならないのだ。

石原慎太郎『国家なる幻影』(上)(下)(2001)2009/06/05

石原慎太郎『国家なる幻影』(上)(下)(2001)
本は、いったい何種類あるのだろう。
読みたくて読む本、読みたくても読めない本。
読みたくなくても読める本、読みたくないので読まない本。

気分的に引きそうな人でも、私は読んでみたいと思う。
いろんな人に対して、フェアでいたいからだし、
時代に流されたくないと思うからだ。
だれかがイスラエルで言ったように、
壁になるよりは、卵になるほうがいい。

この本には、不思議な人物が登場する。
執拗に描写されるけれど、素顔が見えてこないのだ。
そんなに下劣な人種なら、相手にすることもない。
もしかしたら、ここには『魔笛』のような逆転が
用意されているのだろうか。
もちろん、黒の反対が白とは限らないのだが。

人間の歴史は大方、戦争の歴史とさえいえるが、当時のあの戦争に反対して、しょせん平和への感傷だけをかざして大騒ぎしていた日本のベ平連などに表象された進歩的文化人と称される、結果から見れば尻切れとんぼの無責任でいしかなかった手合い・・・
キリストという神の誕生を祝うと称してわずか四十八時間の間殺し合いの手を控えるということで戦争での人間性の復活を見立てようとするにせよ、しょせん虚偽の上に虚偽を重ねるだけの欺瞞と冒涜にしかすぎぬものについてセンチな日本の進歩的文化人・・・


石原慎太郎氏のこの本は、最後まで読み通すことにした。
無邪気なまでの傲慢さ
読みたくなくても読める本。

すべては歴史の審判の前へ。

『中国面白雑貨買い歩る記』(新潮文庫)2009/06/05

『中国面白雑貨買い歩る記』(新潮文庫)
漫画家って、やっぱり、ふつうじゃないですね!
つくづく思いました。

なにがあっても、楽しんじゃう。

中国に行く前から、たった16人の読者
(つまり、旅行する仲間)だけの新聞を
つくって、盛り上がる。
行ったらいったで、雑貨で盛り上がる。
旅行した団体名まで変えてしまう。
帰ってきたら、またお土産で盛り上がる。
本までつくっちゃう。

う~ん、こうでなくちゃ。

写真満載ですから、雑貨も面白い!!

ところで、これは、1980年代のことですね。
古本しか買わないので気がつかなかったけれど。

中国はそれからものすごく変わったと思います。

この続編ってないのかな?

「ライオンがシマウマを食べるとき、何か感じるでしょうか」2009/06/05

茨城県土浦市での殺人事件。
その被告は、被害者への思いを聞かれて、
つぎのように答えたそうです。
「ライオンがシマウマを食べるとき、
ライオンはシマウマに何か感じるでしょうか」

私は、大変、驚き、考え込みました。
そして、黙ってはいられなくなったのです。

K被告へ。
 あなたはライオンではありません。
 そして、ライオンがどう考えるのかは、わかる問題ではありません。ただ、人は、シマウマの悲しさ、苦しさはわかるようにつくられているはずです。
 あなたは、次のように言ったと報道されています。
「ファンタジーの世界がすべて。」
「このつまらない世界にいる自分の人生を終わらせたかった。
ゲームの世界では主人公は才能にあふれ、自由に行動できる。」
「自分は才能はなく、つまらない毎日を過ごしている。
どこにも生きている意味はない。」

 ファンタジーの世界は、触れることができない世界です。触れることのできる世界は、冷たくあれば、暖かくもあります。ファンタジーの世界は、その影であって、ホンモノに触れる喜びには及びません。
 つまらないかどうかを決めるには、早いのです。
 ですから、終わらせる必要はありません。
 人間としての感性をとりもどし、そして、心から泣き、悔い改めることが 大事だと私は思います。
 あなたが歪んだ結果、罪を犯し、犠牲者が生まれました。私は、その犠牲者は、気の毒でなりません。しかし、酷なことかも知れませんが、その歪んだままで、死を望むことはあまりに身勝手。
 不遜な笑いと罰を平然とうけいれる態度は、犠牲者の家族の怒りと悲しみを増幅させ、むなしさをいっしょうかきたてます。
 あなたには、後悔する義務があります。
 人間は悔い改めることができること、そして、心からわびをいえてこそ、あなたも犠牲者も救われるのだと思うのです。

・・・

人でありながら、なぜ、みずからを
ライオンになぞらえ、
他人をシマウマとして殺傷できるのか、
そのチャンネルへどうして、
切り替わっていくのか。
どうして、人間としての自分を
とりもどしていくのか。

ドストエフスキーの『罪と罰』は、
旧き物語ではないのです。

まったくの他人が口を挟める問題ではないと
思いながら、書きました。不愉快におもわれる
犠牲者の関係者がおられるかも知れません。
お許しください。

日露戦争の個人墓碑2009/06/06

「明治三十八年三月九日 清国奉天ニ於イテ戦死」
私は、あるときから突然、
墓地を歩くようになりました。
家族は、驚くばかりです。
それも当然、本人も驚きなんですから。

身近な特定の人を探すのではありません。
戦死者の墓碑をたずねているのです。

大津市内には、軍人の墓碑が多数あります。
最も古いものは、明治五(1872)年。
さがせば、近代日本が引き起こした
あらゆる時代の墓碑が存在します。
古いものでは130年以上になります。

私がそれらの存在を目にしながら、
無関心でいたことに気づき、後ろめたさを感じました。
それで、自分の住む街のすべての
戦死者の墓碑を探し、記録しようと思ったのです。

日清戦争の個人墓碑は、とても珍しく、
見つけることは稀です。
日露戦争の墓碑は、一つの墓地にいくつか
見出すことができます。
ある墓地では、それは無縁のものとして、
つみあげられたなかに存在しています。

大津市の穴太駅ちかくの墓地は、
山にむかった細長く広がっています。
そこで2柱見つけました。

ひとつの墓碑には、写真のように、
『明治三十八年三月九日 清国奉天ニ於イテ戦死』
と刻まれています。

中村悟郎 『母は枯れ葉剤を浴びた』(新潮文庫)2009/06/06

中村悟郎 『母は枯れ葉剤を浴びた』(新潮文庫)
 中村悟郎さんの写真によるベトナム戦争告発の書。
 カバーはいわさきちひろさんの絵です。

 ベトナム戦争でのアメリカ政府の許されざる所業が胸にささる鋭さで迫ってきます。私は、文庫本になるまえに読んで(見て)、寝られなくなるほどの衝撃を受けました。
 『枯れ葉剤』による深刻な被害は、ベトちゃん・ドクちゃんだけではないのです。大地も、合衆国自身の兵士も。

 つぎの箇所だけ、引用しておきます。
 ヒロシマ・ナガサキとかかわる重要な指摘と告発です。

 戦争のさなか、ベトナムで核兵器を使う誘惑に、アメリカは何度もかられたようだ。
 ・・・秘密裏にたてられた限定核攻撃プランは、しかし踏み出せぬままに終わる。ヒロシマ・ナガサキを知る国際世論、ベトナム侵略そのものに反対する世論がすでに生まれていたからであった。
 ベトナムで核が使えぬならどうするか。そこでスポットライトを浴びたのが化学兵器だった。大きな破壊力、安価、容易に「生物学的絶滅」が可能なこと、そして、”人畜無害な人道的兵器”の宣伝が可能だった。報復の恐れもなく、どこから見ても”核兵器よりすぐれている”のであった。
 核にとってかわった化学物質。それを長期にわたって投与した場合、人間にはいったい何が起こるのか---まさに新しい生体実験の輿望をになって、ダイオキシンはベトナムのヒトの頭上にふりそそぐ。

井上ゆり・井上ひさし他 『米原万里を語る』2009/06/07

井上ゆり・井上ひさし他 『米原万里を語る』
見て、手にとって、すぐ購入しました。
古い家族の写真や幼い時代の写真が
ならんでいます。
しかし、もっとも輝いているのは、
私達が米原万里として知っている時代。

おお!!ネコの「道理」くん(さん?)と
「無理」さん(くん?)の姿もありますね。

妹の井上ゆりさん、
そして、その伴侶の作家井上ひさしさん、
その他、”ご親戚”のみなさんが、
万里さんの思い出を語りながら、
読者を万里ワールドへ導きます。
これは、「米原万里を読むハンドブック」
のような気がしました。

そこで一句。

え~、そうだったんだ。
やっぱりなあ。
などと思っている間に読み終わり。

お粗末でした。

キャットピープル・ストーリー2009/06/08

キャットピープルとその家族
カミさんが、20になったばかりの頃、
仕事場の近くで、2匹のネコを拾いました。
でも、寮では飼うことが許されませんでした。
捨てることが出来なかったカミさんは、
はるか九州の実家まで、友人に頼んで、
送り届けてもらいました。
家は、山間地。両親も祖母も健在でした。
ネコたちは、一人娘のかわりとなり、
のびのびと暮らしました。
周りには、谷と美しい山が広がっていました。

祖母とお散歩に行こうと一匹のネコが、
滅多に車の通らない道へ走り出ました。
そして、はねられ、息を引き取りました。
祖母は、ネコがかわいそうで一日泣きました。
カミさんは、遠く離れた大津で、何日も泣きました。

やがてカミさんは、仕事場の寮を出て、
一軒家を借りて住むようになりました。
そこでも、ネコを拾って飼いました。
ぼろぼろの雑巾のようなネコでした。
いつも鼻水をたらして、くしゃみをして、
カミサンの布団を汚していたそうです。
でも、カミさんはいっこうに気にならず、
一緒に寝て、暮らしました。

そのネコはフーちゃんといいました。

フーちゃんはオスでした。
あるとき、近所の方がたずねてきました。
「あなたの家のネコが、たくさん子どもを
産んで、困っている。なんとかして!」
カミさんは、けんめいに謝りました。
子猫をつれて歩いているフーちゃん
の姿を見ていたからです。
だけど、フーちゃんはオスでした。

20代も後半に入ったある日、
カミさんは私とつきあうことにしました。
すぐさま、職場で「私、結婚するの」といいました。
人づてに聞いた私がいいました。
「つきあうってことと結婚はちがうんだけど」
カミさんはしばらく考えて言いました。
「ん~ん、ま、いいか」
こうしてわずか一週間で、私はひろわれました。

カミさんと私は、新居を構えました。
ずいぶん考えましたが、カミさんは
フーを連れて行くことにしました。
しかし、フーは、すぐにいなくなりました。
数年後、突然、カミさんがいいました。
「昨日、フーを見た気がするの・・・」
キャットピープルは、ネコを忘れていなかったのでした。

子どもが生まれ、二人とも小学校に入った頃、
ペットショップで、いじめられている子ネコが
気の毒になって、店主からひきとりました。
ネコとの暮らしをはじめると、
もう止めることが出来ませんでした。
キャットピープルは、つぎつぎ拾ってきました。
職場で一匹、家の前の公園で一匹。

昨晩、私は私のキャットピープルのために、
見知らぬ子ネコを助けようとして、
あやうく車に轢かれそうになりました。

その話はいずれまた。

キャットピープル・ストーリーは、
新しい伝説を産みながら、まだまだ続くのでした。

『対訳 ホイットマン詩集 木島 始編』(岩波文庫)2009/06/09

『対訳 ホイットマン詩集 木島 始編』(岩波文庫)
ホイットマンは『草の葉』(Leaves of Grass)で
知られたアメリカの詩人です。

今日、たまたま書店で見ましたが、
『草の葉』ってものすごい分量です。
分厚い文庫本で3冊!

『対訳 ホイットマン詩集』は、
そこから、33編の詩が選ばれています。
元の詩が読めるのがうれしいし、
分量も適当です。

「まえがき」を読みました。
訳詩が・・・少しフィットしないと思いました。

たとえば、
A great poem is no finish to a man or woman
but rather a beginning.

訳詩は、
「ひとつの偉大な詩は、男もしくは女にたいする仕上げ
ではなく、むしろ始まりだ」
となっています。
私は、
「偉大な詩は、人生の終わりの満足を与えるのではなく、、
新たな生をはじめる勇気をあたえるものだ。」
と訳したい・・・。

本編を読みました。
『草の葉』って、こんなスケールの大きな詩集なんだと
関心ばかりしていました。

「う~ん、この日本語なんとかならないのかな?」
って思ったのは、つぎの愛の詩。

O you whom I often and silently come
where you are that I may bi with you.,
As I walk by your side or sit near,
or remain in the same room with you,
Little you know the subtle electric fire
that for your sake is playing within me.

訳詩はつぎのようになっています。

「おお、きみと一緒にいたいために、
きみのいるところへ、
しばしばわたしはそっと近よっていく、
そのきみよ。
きみと並んでわたしが歩くとき、また、
そばに腰をおろすとき、また、
きみと同じ部屋にとどまるとき、
きみはほとんど知らないのだ、
きみのためにわたしの内部に
ゆらゆらと燃えている精妙な電気の火を。」

もっと自然に。
思いつくままに訳すと、

「ぼくはきみのそばにいたい。
だから、なんども、そっと近づいていくんだ。
でも、きみは知りもしない。
ぼくがどんなにきみへの気持ちを燃やしているか。
きみと並んで歩くときも、
きみの横で腰をおろしているときも、
いっしょの部屋にいるときもそうなのに。」

う~ん、やっぱり、うまくないなぁと思いました。

口説き文句に使えるくらいじゃないとねぇ。
元の詩が悪い?
オイオイ・・・。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)