お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「第四十三号潜水艦」遭難事故(1924)の犠牲者の墓碑2009/07/22

「第四十三号潜水艦」遭難事故(1924)の犠牲者の墓碑
JR大津駅を見下ろす古い墓地には、次のような刻まれた墓碑がある。「大正十三年三月十九日第四十三号潜水艦遭難殉職ス」正面には、「故海軍大尉中比良義太郎之墓」とある。階級から推して、艦長クラスの方の墓碑ではないだろうか。



この事故について、調べているうちに、佐賀新聞で次の記事を見つけた。ここに出てくる高橋氏は、まだ、ご健在だろうか?ぜひ連絡を取りたいものだ。

潜水艦事故の遺族捜し20年 佐世保の高橋さん

 佐世保港沖で1924(大正13)年に起きた旧日本海軍の「第43潜水艦事故」。この事故で亡くなった乗組員の遺族を約20年にわたり、捜し続けてきた人がいる。佐世保市の高橋輝吉さん(81)。乗組員の遺書などを記した文献資料を見つけ、不戦の思いを込め、その資料を遺族に手渡してきた。乗組員の中に4人の県出身者がいたことが分かり、県内でも交流を広げている。

 第43潜水艦事故は1924年3月に起き、乗組員45人が死亡。海底に沈んだ艦艇の中で、25人が絶命するまでに遺書を残した。

 高橋さんは20年ほど前、この遺書を収載した本を図書館で見つけた。2人の兄を戦争で亡くしていた高橋さんは「事故の記憶を風化させてはいけない」と決意。郷土史家の助言を受けて調べるうち、乗組員の経歴などを詳しく記した『忠勇列伝』(1925年発刊)の存在を知った。

 これらの資料を基に、住所が分かった遺族の訪問を開始。県内では旧有明、塩田、小城、牛津町の4人の県出身者を突き止め、塩田町の遺族を訪ねることができた。

 高橋さんは「会えなかった遺族もあるが、よく調べてくれたと感謝されたことも多い。これからも後世に語り継いでいければ」と話す。
佐賀新聞社
なお、潜水艦事故として有名なものは、1910年(明治43年)4月15日、第六潜水艇の遭難。艦長は佐久間勉海軍大尉。これは、修身の教科書や軍歌にもなった。

戦死者した兄弟の墓碑2009/07/22

戦死者した兄弟の墓碑
戦死した二人の兄弟が同じ墓碑のもとに眠っている。
私には、この兄弟と同じく二歳違いの子どもがいる。こういう墓碑に出会うと、他人事とは思えない。そして、そこからしばらくは動くことができないのだ。

「嗚呼第四十三潜水艦」 という歌2009/07/22

昨晩、《「第四十三号潜水艦」遭難事故(1924)の犠牲者の墓碑》という記事を書いた。この事故が気になっていた。
 ネットで調べれば、探せるものだとあらためて感動する。以下のところに、「嗚呼第四十三潜水艦」の歌が掲載されていた。しかも、事故の経過も少し書かれている。
 わかったことは、この遭難が、大正13(1924)年3月19日、佐世保児島沖の演習中に起こったこと。原因は、軽巡洋艦「龍田」との衝突事故。艦長は桑島少佐。45名が死亡。鑑は引き上げられ、呂号第二十五潜水艦として再就役。

ここをクリック→嗚呼第四十三潜水艦

また、「鵜渡越四十三号潜水艦忠魂碑」という古書もあるらしい。ということは、この忠魂碑もあるはずだが、現存しているのだろうか。

日本の潜水艦については、ここが詳しい→日本潜水艦史

だから、ネコはやめられない・・・2009/07/22

どうしてこんな格好で寝るんだろう・・・?
飼い主バカであるのは、夫婦ともに認めていますが、ネコを飼うのは止められません。こんな格好を見たらね。ホームコタツの下にいて、足をひっかけているんですよ、上に。大股開きで。

「モリアオガエルの池」にて2009/07/22

モリアオガエルの卵
「くつきの森」を朝一人で散策する。
地図の看板を見ると、
すぐ近くに「モリアオガエルの池」

とりあえず、歩いてみた。
すると、たちまち到着。
道に面して池があった。



池に枝をたれた木に、
握りこぶしほどの
白い泡を見つける。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)