お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「静かな夏」 ― 2009/09/01
8月は火事場でした。そのため、ほとんど個人的なことを考えませんでした。目の前の必要に自分をあわせて、過ごしてきたからです。もちろん、受身に生きてきたわけではありません。いろいろ考え、行動はしましたけれど、「書きたい」という欲求は生まれませんでした。いつも読んでいただいている方には、申し訳ない気がしています。
仕事にかかわることを、むしろ書けばよかったのかも知れません。そういう性質のものでもあったわけですから。
でも、それはできませんでした。
ときどき境界があいまいになったとしても、ブログは仕事とは別個のものにしてきたからです。
8月にいくつかの日記を書きました。あとで読み返すのが恥ずかしいくらい変な文章がつづられています。 『硫黄島からの手紙』の文章もそうでした。いいたいことをストレートに書けばいいものを、もって回った言い方をしています。
ひどく疲れていたんでしょうね。
この映画に触発されて梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)を読み始めました。ですが、ほとんど進まないままでしたから、冒頭から読み直すつもりです。
最後に、8月の感想・・・「政権交代」がキーワードとして用いられ、そして、その結果が出ました。
しかし、それはすでに決まったプロセスのように、静かに、そして着実に訪れた気がします。確かに、相戦う陣営にとっては、熱い夏だったのですが、それを受け止める多くの人たちにとっては、粛々と進む12日間に思えたのではないでしょうか。
片や死に体、片や勝利を約束された集団。多くの人たちが、投票行動を超えて、能動的に関与する必要を感じなかったのです。
街宣車が行き交っていても、実際は嵐の前の静けさ。
騒がせてみたいと願う自分の意思とは別に、「静かな夏」だったように思えました。
今年の秋は、多くの方が予想するように、めまぐるしく変化し、期待と失望が交差する「暑い秋」になる気がします。
仕事にかかわることを、むしろ書けばよかったのかも知れません。そういう性質のものでもあったわけですから。
でも、それはできませんでした。
ときどき境界があいまいになったとしても、ブログは仕事とは別個のものにしてきたからです。
8月にいくつかの日記を書きました。あとで読み返すのが恥ずかしいくらい変な文章がつづられています。 『硫黄島からの手紙』の文章もそうでした。いいたいことをストレートに書けばいいものを、もって回った言い方をしています。
ひどく疲れていたんでしょうね。
この映画に触発されて梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)を読み始めました。ですが、ほとんど進まないままでしたから、冒頭から読み直すつもりです。
最後に、8月の感想・・・「政権交代」がキーワードとして用いられ、そして、その結果が出ました。
しかし、それはすでに決まったプロセスのように、静かに、そして着実に訪れた気がします。確かに、相戦う陣営にとっては、熱い夏だったのですが、それを受け止める多くの人たちにとっては、粛々と進む12日間に思えたのではないでしょうか。
片や死に体、片や勝利を約束された集団。多くの人たちが、投票行動を超えて、能動的に関与する必要を感じなかったのです。
街宣車が行き交っていても、実際は嵐の前の静けさ。
騒がせてみたいと願う自分の意思とは別に、「静かな夏」だったように思えました。
今年の秋は、多くの方が予想するように、めまぐるしく変化し、期待と失望が交差する「暑い秋」になる気がします。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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