お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日米合同演習 ~見つめる視点が大切になります~ ― 2009/09/15
ネットで「日米合同演習」を検索すると、それに反対するさまざまな団体の記事が目立ちます。それはそれで心強く思えたのです。
私が注目したのは、報道記事です。
「基地の街」の人たちの心情は複雑だと思います。高島市でも、自衛隊の海外派兵反対のデモや集会がやられますけれど、全市民的な集まりというには、遠い気がします。「よその人たちばかりが集まっている」という中傷があるのも事実です。
自衛隊員とその家族が多く住んでいる上に、基地があることによって予算的に潤ってきたいう事情もあるのでしょう。
そういうしがらみに着目し、そのなかで、どういう思いで、合同演習を見つめているのかという切り込みは、報道記事として、意味のあるものだと思います。
しかし、「これはいかがなものか?」というものもあるのです。
合同演習がある場合は、自治体に通知がされて、そこを通じて、市民が知ることになります。市民は不安をかかえながらも、平静を保ってきたというのが、この間の経過ではないかと思うのです。
そういう市民に、演習を推進する立場から、積極的に接近を図るという動きがあります。問題は、それをそのまま報道することの是非です。
以下の記事は、ある一般新聞の報道記事です。日付は2008年12月ですが、半世紀以上も昔の記事に思えたのです。当時は、占領軍に命じられて、占領軍のための宣伝をする記事がありえたと思うからです。
私が注目したのは、報道記事です。
「基地の街」の人たちの心情は複雑だと思います。高島市でも、自衛隊の海外派兵反対のデモや集会がやられますけれど、全市民的な集まりというには、遠い気がします。「よその人たちばかりが集まっている」という中傷があるのも事実です。
自衛隊員とその家族が多く住んでいる上に、基地があることによって予算的に潤ってきたいう事情もあるのでしょう。
そういうしがらみに着目し、そのなかで、どういう思いで、合同演習を見つめているのかという切り込みは、報道記事として、意味のあるものだと思います。
しかし、「これはいかがなものか?」というものもあるのです。
合同演習がある場合は、自治体に通知がされて、そこを通じて、市民が知ることになります。市民は不安をかかえながらも、平静を保ってきたというのが、この間の経過ではないかと思うのです。
そういう市民に、演習を推進する立場から、積極的に接近を図るという動きがあります。問題は、それをそのまま報道することの是非です。
以下の記事は、ある一般新聞の報道記事です。日付は2008年12月ですが、半世紀以上も昔の記事に思えたのです。当時は、占領軍に命じられて、占領軍のための宣伝をする記事がありえたと思うからです。
米海兵隊がもちつきエンジョイ 老人ホーム「清風荘」を訪問
2008.12.9 02:55
高島市今津町のあいば野演習場などで陸上自衛隊と共同訓練を行っている米海兵隊の隊員20人が8日、同町の特別養護老人ホーム「清風荘」を訪問、もちつきやギターの演奏で、入所者らとの交流を楽しんだ。
海兵隊員らの「地元の人たちと交流したい」との要望から実現した。隊員らは施設職員の手ほどきを受けながら、初めてのもちつきを体験。隊員らの慣れない手つきを、入所者らは笑顔で見守っていた。もちつきの後は、隊員がギター演奏を披露し、入所者から大きな拍手がおくられた。
入所者側からは、毛糸の手編みのきんちゃく袋が、隊員全員にプレゼントされた。アントニー2等軍曹(27)は「入所者のみなさんが笑顔で楽しんでくれたのがうれしかった」と笑顔を見せていた。
同市での海兵隊と自衛隊の共同訓練は、11月28日から行われている。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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