お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日清戦争で戦病死した高島郡(市)の17名の若者 ― 2009/09/16
写真は、現在の高島市勝野。現在は「びれっじ」など新しい取り組みもありますが、由緒ある商店街です。もしかしたら日清戦争当時の姿の名残があるかも知れません。
さて、引き続き『高島郡史』(大正15年)をもとにして、高島市で戦病死した人たちの姿を追っていきたいと思います。
この本には、西南戦争、日清戦争そして日露戦争の戦病死者の名簿があります。西南戦争・日清戦争では、はっきり書かれていませんが、日露戦争の名簿には、項目「戦病死場所」に、「長嶺子(病死)」というように、病死と戦死の区別が明確にされています。
これは、靖国神社との関係で出てくる区別かも知れません。
日清戦争の戦病死者の名簿では、戦病死場所が「病院」とはっきり書かれています。これは、旧大津陸軍墓地の墓碑との違いです。同じ陸軍墓地でも旧真田山陸軍墓地の墓碑には、「病院」の文字がありましたが、旧大津の場合はありません。一切書かれていないのです。
高島市の戦病死者17名中11名が「病院」もしくは「療養所」で死亡したとされています。
内訳は以下のとおりです。病院名はそのままにしています。
「所属部隊名」は、不明が6名と書かれています。今回私が2名(福井・日置)の方の所属部隊を見つけたので、実際は、4名。したがって、残り13名の所属部隊が分かっています。
その内訳は以下のとおりです。
さて、引き続き『高島郡史』(大正15年)をもとにして、高島市で戦病死した人たちの姿を追っていきたいと思います。
この本には、西南戦争、日清戦争そして日露戦争の戦病死者の名簿があります。西南戦争・日清戦争では、はっきり書かれていませんが、日露戦争の名簿には、項目「戦病死場所」に、「長嶺子(病死)」というように、病死と戦死の区別が明確にされています。
これは、靖国神社との関係で出てくる区別かも知れません。
日清戦争の戦病死者の名簿では、戦病死場所が「病院」とはっきり書かれています。これは、旧大津陸軍墓地の墓碑との違いです。同じ陸軍墓地でも旧真田山陸軍墓地の墓碑には、「病院」の文字がありましたが、旧大津の場合はありません。一切書かれていないのです。
高島市の戦病死者17名中11名が「病院」もしくは「療養所」で死亡したとされています。
内訳は以下のとおりです。病院名はそのままにしています。
○清国盛京省海城病院 2名同一の可能性がある病院もありますが、まずは区別しています。
○金州沙家屯舎營病院 2名
○清国金州兵站病院 1名
○清国金州病院 1名
○牛馬頭患者宿泊所病院 1名
○朝鮮平安道瀧川兵站病院 1名
○台湾台北兵站病院 1名
○基隆兵站病院 1名
○旅順口日本療養所 1名
「所属部隊名」は、不明が6名と書かれています。今回私が2名(福井・日置)の方の所属部隊を見つけたので、実際は、4名。したがって、残り13名の所属部隊が分かっています。
その内訳は以下のとおりです。
○陸軍歩兵第九連隊 8名「兵種」と「階級」は、以下のとおりでした。
○近衛歩兵第二連隊 1名
○工兵第四大隊 2名
○台湾守備歩兵第四連隊 1名
○軍夫 1名
○軍夫 1名つぎに出身地。
○輜重輸卒 2名
○歩兵 13名
二等卒4名、一等卒5名、上等兵3名、一等軍曹1名
○工兵 1名(上等兵)
①剣熊村
②海津村
③西庄村 1名 井花長太郎(蛭口)
④百瀬村
⑤川上村
⑥今津村
⑦三谷村
⑧饗庭村 2名 富田梅吉(饗庭)、内田検次郎(旭)
⑨新儀村 1名 大塚長次郎(太田)
⑩本庄村
⑪青柳村
⑫安曇村 3名 日置卯市(三尾里)、山崎松蔵(田中)、福井乙吉(常盤木)
⑬広瀬村
⑭水尾村 1名 吉田伊之助(宮野)
⑮大溝町 5名 三矢松太郎(永田)、中村林造(勝野)、仁賀宗太郎(勝野)、島村幸太郎(勝野)、中江幸四郎(音羽)
⑯高島村 2名 奥村粂蔵(拝戸)、林甚蔵(畑)
⑰朽木村 2名 森岩五郎(栃生)、金子兼助(宮前坊)
コメント
_ kozanaszanna ― 2009年10月12日 09時02分11秒
_ kozanaszanna ― 2009年10月17日 07時30分10秒
おはようございます。
お忙しいのですか。
私も雑多な日々の中、
おまちしているのですが、、。
なにか誤解をされたのでしょうか?
私は、あなた様が書いた福井乙吉'のみ'の消息その他に反応して、情報のやりとりを望んでいるのですが。無理でしょうか。
どうぞ、ご意向が分かるコメントか、メールを下さいませ。
お忙しいのですか。
私も雑多な日々の中、
おまちしているのですが、、。
なにか誤解をされたのでしょうか?
私は、あなた様が書いた福井乙吉'のみ'の消息その他に反応して、情報のやりとりを望んでいるのですが。無理でしょうか。
どうぞ、ご意向が分かるコメントか、メールを下さいませ。
_ BIN★→kozanaszanna さん ― 2009年10月17日 22時59分04秒
PCメールを差し上げましたが、返ってきてしまいました。
ケータイがいいのでしょうけれど、いま居るところは
圏外の地域です。
月曜日には、一週間ぶりに自宅にもどりますので、
そこから送らせていただきます。
申し訳ありません
ケータイがいいのでしょうけれど、いま居るところは
圏外の地域です。
月曜日には、一週間ぶりに自宅にもどりますので、
そこから送らせていただきます。
申し訳ありません
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
どうぞメールくださいませ。私が分かることをお伝えしたいと思います。お忙しいと思いますがお待ちしております。