お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ウォーリーズ設計の図書館@水口小学校2009/10/01

ウォーリーズ設計の図書館@水口小学校
 待ち合わせの場所にいくのに、ほとんど迷子状態になりました。電話すると、「近くの建物をいってね」といわれましたので、水口小学校の名前をあげました。それでも、要領をないので、「ウォーリーズの図書館の・・・」と切り出されて、思い出したのです。そうそう、この場所は来たことがあると。
 確か、そのときも、写真をとり、ブログに載せた気がします。
 何年ぶりかのウォーリーズ設計の図書館でした。
 同じアングルかも知れません。この角度しかないんじゃないかと思いました。

集落に一つは日露戦争戦死者の墓碑2009/10/02

日露戦争戦死者の墓碑から戦死場所の部分です
 甲賀市に赴任して、二週間あまりが経ちました。水口、土山、甲賀の農村地帯をゆっくり車で走ると、大きな間隔をあけずに、寺院と共同墓地を見つけることができます。目を向けると、隅の一角に戦死者の墓碑が特別の位置を与えられて、並んでいます。
 それと少し離れて、これも特別な位置に背の高い尖った墓碑の姿が必ずと言っていいほど、一基や二基経っています。墓石の表面が共通して黒く汚れているのは、石の種類によるのでしょうか。それとも、年月の違いでしょうか。
 それが、日露戦争の戦死者の墓碑です。
 どの集落からも、日露戦争の戦死者が出たという事実は重いものです。そのことがもたらした深刻な影響はさらに・・・。


(浄土宗 慈雲山 修善寺)

青空に映える黄色のトランペット・フラワー2009/10/14

青空に映える黄色のトランペット・フラワー
甲賀町の街なかを歩きました。
昔はメインストリートのはずが
ずいぶん寂れた気がします。
そんなとき、トラッペットフラワーを見つけました。
青空に映えて美しい。

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~甲賀はやっぱりこれ~2009/10/15

甲賀はやっぱりこれでした
「おすい」フタが気になって一年。
甲賀町(現在は甲賀市)は、
きっとこんなデザインだと
思ったら、そのとおりでした。
忍者と手裏剣。

期待を裏切る路線がいいのか、
それとも、期待どおりの路線がいいのか。
まあ、甲賀町は、これでいいのだと,
私は納得しました。

前は2本で後ろは1本2009/10/16

前は2本ですが
単線の鉄道が走っていました。
草津線の甲賀駅。
電車が通り過ぎた後、
踏み切りに立って撮りました。
前は2本でも、後ろは1本。



単線じゃないと怖くて撮れませんね。

茶畑の風景2009/10/17

茶畑の風景
甲賀市に合併した水口、甲南、甲賀、信楽そして土山。
それぞれに”顔”がある気がします。
土山は、茶のまち。街道のまち。
滞在先の二階の窓から撮りました。

一号線で通えば一時間半かかりましたが、
新名神が開通し、水口よりも近いまちになりました。

ここにも日露戦争の傷跡2009/10/18

ここにも日露戦争の傷跡が
私が甲賀市ですごす最後の日曜日。
駐車場に車を止めた後、近くの
墓地を通り抜けることにしました。
僅か一二分の回り道でしたが、
そこにも日露戦争の戦死者の墓碑がありました。

細長く伸びた墓石の上に、
くっきりした青空が見えています。
近くにみえる扇風機は、
この地が土山であることを
示しています。

鍾馗様ではなくて大黒様2009/10/19

鍾馗様ではなくて大黒様
屋根瓦のうえに、鍾馗様がいるのは
知っていましたが、この姿はちがうようです。
大黒様ですね。

朝のランタナ2009/10/19

ランタナ
朝の光のなかのランタナ。
頭の中に詰まった考えを
振り払うような鮮やかさ。

かぼちゃが6つ2009/10/20

かぼちゃが6つ
カフェの入り口にかぼちゃが6つありました。
人間の容貌をけなす言語材料に使われるより、
重石として、飾りとして使われるほうが、
よっぽどましですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)