お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
旧真田山陸軍墓地に眠る日置住吉(安曇村三尾里出身) ― 2009/10/21
『高島郡誌』に掲載されている西南戦争の戦病死者は、15名。それぞれの名前を見つめていたとき、「この人たちの墓碑はどこにあるのか」という疑問がわきました。
戦死した場所か、旧真田山陸軍墓地か。
確かめる方法の一つは、『国立歴史民俗博物館研究報告』の102集「慰霊と墓」に掲載されている名簿を探すことです。旧真田山陸軍墓地の墓碑名簿がありましたから。
そこで見つけたのが、日置住吉の墓碑です。 コード№は「B-17-11」。ただし、名前は「日置住・・・」。墓碑からは最後の一字が読み取れなかったのです。
墓碑には『高島郡誌』ではわからなかった部隊名がきちんと掲載されています。「大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊」。しかし、「高島郡」ではなく、「高崎郡」となっています(下の写真)。別人ではない証拠に、墓碑から「滋賀県近江国高崎郡三尾・・・」と読み取れた部分の記載があります。「高島郡誌」では、出身地は「安曇村三尾里」。墓碑と郡誌を照らし合わせれば、相互にわからなかった部分が補完できるわけです。
私が旧真田山陸軍墓地で撮影した写真のなかにも、日置住吉の墓碑がありました。上の写真が正面で、下が右側面。
『高島郡誌』では、戦病死年月日と戦病死場所が「明治十年六月二十九日 宮崎県三田村」となっています。墓碑(左側面=下の写真)では、「明治十年鹿児島県賊徒征討之・・・六日負傷日向国三田井村九月・・・陸軍臨時病院時廿ニ年二月・・・」と読み取れます。
戦死した場所か、旧真田山陸軍墓地か。
確かめる方法の一つは、『国立歴史民俗博物館研究報告』の102集「慰霊と墓」に掲載されている名簿を探すことです。旧真田山陸軍墓地の墓碑名簿がありましたから。
そこで見つけたのが、日置住吉の墓碑です。 コード№は「B-17-11」。ただし、名前は「日置住・・・」。墓碑からは最後の一字が読み取れなかったのです。
墓碑には『高島郡誌』ではわからなかった部隊名がきちんと掲載されています。「大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊」。しかし、「高島郡」ではなく、「高崎郡」となっています(下の写真)。別人ではない証拠に、墓碑から「滋賀県近江国高崎郡三尾・・・」と読み取れた部分の記載があります。「高島郡誌」では、出身地は「安曇村三尾里」。墓碑と郡誌を照らし合わせれば、相互にわからなかった部分が補完できるわけです。
私が旧真田山陸軍墓地で撮影した写真のなかにも、日置住吉の墓碑がありました。上の写真が正面で、下が右側面。
『高島郡誌』では、戦病死年月日と戦病死場所が「明治十年六月二十九日 宮崎県三田村」となっています。墓碑(左側面=下の写真)では、「明治十年鹿児島県賊徒征討之・・・六日負傷日向国三田井村九月・・・陸軍臨時病院時廿ニ年二月・・・」と読み取れます。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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