お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「殉国英霊芳名誌」@マキノ海津公園2009/10/28

「殉国英霊芳名誌」@マキノ海津公園
マキノの海津公園にある「忠魂碑」はすでに紹介しました。
その碑の前におかれているのが、「殉国英霊芳名誌」のプレートです。夕暮れどきなので、よくわからないかも知れません。
「殉国英霊芳名誌」

海津の秋に浮かぶいくさの影2009/10/28

海津の秋
10月下旬の海津。
夕暮れが迫ってくる。
手前は琵琶湖。
昔ながらの風景かも知れない。

私は、ここに観光にきたわけでなく、
「忠魂碑」という戦前の遺物を
探しに来たのだ。
湖岸から身をひくと、琵琶湖を
背景にして忠魂碑がシルエットとして浮かぶ。
忠魂碑はシルエットとして浮かぶ
その前には、真新しい
「殉国英霊芳名誌」が建てられている。
戦争の記憶と傷跡は深く、
忠魂碑は、いまなお遺物ではない。

戦死はあまりに突然で無惨。
若い命を奪い取る所業は、
容易に受け入れるものではないのだ。
その死は意味がなければ、ならない・・・・。

10月も終わりのアサガオ2009/10/28

10月のアサガオ
街を歩くと、アサガオが見事に咲いていたが、
事務所では、お隣のサクラが話題になっていた。
昨日から、2輪ほど咲き始めたらしい。
夏の名残を飛び越えて、春の始まりの暖かさ。

戦車第十聯隊之碑@陸上自衛隊今津駐屯地第1営舎2009/10/28

記念行事のときに、陸上自衛隊今津駐屯地に入りました。
見学してまわったとき、この碑が目につきました。

「戦車第十聯隊之碑」

高島市の陸上自衛隊今津駐屯地には、
自衛隊第十戦車大隊が駐屯しています。
この名前の関係から、碑が建てられたと思われます。
戦車第十聯隊之碑の碑文

店先を飾るサザエ2009/10/28

店先のサザエ
先日行った「黒壁スクエア」の話。
ガラス館を中心にして、懐かしい昭和のお店。
そして、ブティックという組み合わせ。
古さや地域の特性だけではないところが
ミソだと思いました。

店先を飾るサザエを撮りました。
ちょっとしたお気に入り。

龍遊館2009/10/28

龍遊館
「黒壁」で若者を意識したフィギアのお店。
「龍遊館」というらしい。
「北斗の拳」のケンシローと
大魔神がお出迎え。
なつかしいけれど、私はパス。

要するに人力車2009/10/28

要するに人力車
さて、BIN★の黒壁ウォッチングは続きます。
 向こうからなにが来るんだろうと興味深く見ていていました。これは、雨でも大丈夫なようにした・・・人力車・・・自転車・・・ですね。青年が似三人乗り場(?)で、客引きをしていました。お代は1000円なり。
 そういえば、長浜駅の構内には、案内コーナーにも、若い女性が笑顔でお出迎え。
 若い人たちも企画に参加しているのでしょうか。

「衆徳之帯」という言葉のルーツはどこに?2009/10/28

「愛 衆徳之帯也」と刻まれた故陸軍砲兵曹長の墓碑
 十字架がついた墓碑が旧大津陸軍墓地にあります。
 葬られているのは「久保田篤次郎」。陸軍砲兵曹長という階級。
 国産車の歴史のなかで名が残っている人物と同姓同名ですね。
 この墓碑に注目したのは、十字架とともに『愛○衆徳之帯也』(○はそこに字があるように見えますが読めないので)と刻まれているからです。「衆徳」という言葉の意味を正確に知ろうと、広辞苑(第六版)をみなしたが、掲載されていません。ということは、かなり狭い世界の用語なんでしょうね。十字架がありますから、キリスト教関係だと思いますが。
 ネットで検索して、芥川龍之介の短編小説「おしの」のなかにあるのを見つけました。
神聖な感動に充ち満ちた神父はそちらこちらを歩きながら、口早に基督の生涯を話した。衆徳備り給う処女マリヤに御受胎を告げに来た天使のこと・・・
 たしかにキリスト教の教えのなかにあるようですね。
 しかし、「愛 衆徳之帯也」という一節は、聖書のどこかにあるのでしょうか?漢字ですから、むしろ仏教用語にように思えますが、どうなんでしょううか?
 調べてみたいと思います。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)