お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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4万円の「90式戦車」が10億円の本物に挑む2010/10/18

「90式戦車」を見る
友人のOさんがあるとき言った。
「90式戦車をつくりたい」

予算は?
・・・・4万円。

私の知っている「90式戦車」は
ソ連軍の北海道侵攻を想定して、
つくられた北海道専用の戦車。
50㌧あり、重すぎて本州では使えない。
しかも、一両が10億円する代物である。
高価であるうえに、小売もしていない。

そんなものをなぜ、つくりたい?

もちろん、許せないからである。

90式戦車は、1990年に採用された。
だから、90式。このときは、27両。
ソ連崩壊は、1991年のことである。
つまり、翌年には、対戦相手を失った戦車である。

しかし、自衛隊による購入は止まらなかった。
1991年には30両を購入した。
その後、毎年20両ぐらいづつ増え続け、
2009年に8両を加えて、全341両となった。

そして、生産中止。
製造元はよいだろうが、
国民の側からすれば、
あまりの無駄遣いに驚くほかはない。

「事業仕分け」していいはずのものである。
しかし、それは聖域とされた。

そのことへの怒りがO氏を駆り立てる。

怒りに燃えるベニヤの90式戦車。
4万円VS10億円。
さあ、勝つのはどっちだ!

「上等卒伊藤惣七之墓」@旧大津陸軍墓地 K1372010/10/18

「上等卒伊藤惣七之墓」@旧大津陸軍墓地 K137
K137は、ケッヘル番号ではありません。
旧大津陸軍墓地のKブロックの135という墓碑のID。

私が勝手につけたものです。

この墓碑の正面の碑文ですが、
「上等卒」と刻まれています。
本来は、「二等卒」、「一等卒」、「上等兵」と
いうのが正しい名称のはずです。
しかし、墓碑の現実から推察すれば、
これらの墓がつくられた明治の十年代は
名称として確定していなかったのではないでしょうか。
興味深く思います。

背面にはなにも刻まれていません。

右側面と左側面に碑文があります。
ただ、読み取るのは困難だと思います。

「生兵生田亀吉之墓」@旧大津陸軍墓地 K1382010/10/18

「生兵生田亀吉之墓」@旧大津陸軍墓地 K138
「生兵」は、”せいへい”と読むそうです。

徴兵されて営所に入営したばかりで、階級がつかない兵のことです。 明治の陸軍では、兵卒は、二等卒、一等卒、そして上等兵という階級に分かれていました。「生兵」は、その段階にも達していない訓練兵。

生田亀吉は、いったい、いくつで、どういう死に方をしたのでしょうか。

基礎は二段です。
右側面には、文字が刻まれています。
生田亀吉之墓の右側面
右側面の最初の単語は、「三重県下伊勢」と読める気がします。二行目下から、三行目にかけては、「安政四年五月三十日生」ではないでしょうか。

生田亀吉之墓の左側面

左側面の方が文字は鮮明です。
「十四年」「一大隊●中隊入営」「大津営所病室」などの文字が読み取れます。これは、完全に読んでしましたくなりますし、読める可能性はあります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)