お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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イ・チュンニョル『牛の鈴音』2010/10/22

『牛の鈴音』サイト特典映像から
先日の土曜日。DVDを3枚レンタル。
そのうちの一枚がこの映画。
イ・チュンニョル監督の第一作『牛の鈴音』

まったく予備知識もなく、見る。

俳優??にしてはリアルすぎる老夫婦。
愚痴をこぼしつづける妻が
いわばナレーター。

病身でも働きつづける牛
その牛をいたわり、また
自らと同様に酷使する老人。
寡黙な夫と饒舌な妻。

別れの時。
老人、妻、そして牛が流す涙。

ネットで検索してはじめてドキュメンタリーと知る。

兵卒の墓碑と階級名 Ⅴ ~K069からK085まで~2010/10/22

K069の墓碑:背後に見えるのは日清戦争へ出征し戦病死した兵卒の墓地(Eブロック)
大津市に残る名簿と実際の墓地および墓碑とを見比べるのは、単調な作業です。しかし、Kブロックもあと半分になりました。
Kブロック前から5列目 K069~K085

K069 歩兵○○卒? 森田 喜次郎 西側64
K070 歩兵上等兵 西村 岩吉 西側65
K071 歩兵二等銃卒 坂口 捨吉 西側66
K072 歩兵○○○卒 三上 松之助 西側67
K073 歩兵○○銃卒 新谷 宣吉 西側68
K074 歩兵二等卒 増田 ○之助 西側69
K075 生兵 山下 長松 西側70
K076 歩兵二等卒 西田 戈治郎 西側71
K077 歩兵二等卒 山本 兼松 西側72
K078 歩兵二等卒 安井 伊之助 西側73
K079 歩兵二等卒 瀧原 定吉 西側74
K080 喇叭一等卒 田原 仁次郎 西側75
K081 歩兵二等卒 山元 石之助 西側76
K082 歩兵二等卒 四方 榮吉 西側77
K083 歩兵二等卒 早馬 徳次郎 西側78
K084 歩兵二等卒 久保田 留二郎 西側79
K085 歩兵二等卒 亀井新郎 西側80
K069 明治19年 6月 西64
K070 明治19年 6月 西65
K071 明治19年 6月 西66
K072 明治29年 6月 西67
K073 明治19年 7月 西68
K074 明治19年 7月 西69
K075 明治18年11月 西70
K076 明治16年11月 西71
K077 明治17年11月 西72
K078 明治17年 6月 西73
K079 明治17年 7月 西74
K080 明治17年 8月 西75
K081 明治17年 9月 西76
K082 明治16年 4月 西77
K083 明治15年11月 西78
K084 明治15年 8月 西79
K085 明治15年12月 西80
 Kブロックの第五列目は、明治10年代後半の病死者の墓碑が並んでいます。当初の並び方もこのようになっていますね。
 しかし、K072だけ年代が違います。
 これが「明治29年6月」ではなく、明治19(1886)年6月なら問題はないと思います。見間違いなのか、誤記なのか、それとも事実なのか。碑文から読み取るのは、困難な状態です。
 年代ごとに違う墓碑の特徴などから、解明することができるかも知れません。

 残るは、第六、第七、第八、第九の4列。54柱ですね。

Qooとの散歩: 先輩シバにも敬遠される?2010/10/22

大きな先輩柴犬にも遠慮なく大接近するQooでした
 ご近所に、○郎左右衛門といういかめしい名前の柴犬がいます(○はプライバシー保護ですね)。朝の散歩で出会ったシバくんは、もしかして・・・と思うのです。
 Qooは散歩で犬を見かけると、シッポをふりふり、興味津々。どんどん近づいていきます。この先輩シバくんは、その勢いに押されてしまっている様子です。
 カミさんは、○郎左右衛門の飼い主の方から、Qooは「シッポが長い!足も細くて長いから、そんなに大きくならないのじゃないかな」と言われたそうです。

アンモナイト・・・には見えませんが2010/10/22

別の生物のように見えたらいいかなと・・・モノクロにしました
すべてのネコが丸くなるわけではありません。

うちの三匹のネコのうち、

ムーが一番見事に丸くなります。

今年の冬も、この姿が見られると

思います。

兵卒の墓碑と階級名 Ⅵ ~K086からK102まで~2010/10/22

手前がK102の墓碑。次の列からは並ぶ墓碑数が減ります。
 Kブロックの前から6列目 K086~K102。これらは、基本的に元の埋葬場所の順番をそのまま残して配置されています。ただし、例外あり。西側の93の墓碑は、別の箇所に移葬されています。理由は、台石が1段であるためでしょう。
 同じ二等卒の兵士でも、墓碑の記載の仕方が「歩兵二等卒」と「二等卒」が同じ年代に存在します。どちらでも、よかったのでしょう。
K086 二等     村田斉?五郎  西98
K087 歩兵二等  望月 新吉  西97
K088 二等     中川 元吉  西96
K089 歩兵二等  瀬尾 ○一郎? 西95
K090 歩兵二等  森 文六   西94
K091 歩兵上等  末 鉄次郎  西92
K092 歩兵二等卒  濱地 次郎  西91
K093 歩兵二等  渡 吉 西90
K094 歩兵二等  藤枝 ○次郎  西89
K095 歩兵二等  中濱 松 西88
K096 歩兵二等  仲井 乙吉 西87
K097 歩兵二等  松永○○   西86
K098 歩兵二等卒  山野 伊達?  西85
K099 歩兵二等卒  守谷 丈吉  西84
K100 歩兵二等卒  田畑 芳松  西83
K101 歩兵二等卒  大中 芳松  西82
K102 歩兵一等卒  鈴木 力之助 西81
K086 明治14年 1月 西98
K087 明治12年12月 西97
K088 明治13年11月 西96
K089 明治13年11月 西95
K090 明治13年11月 西94
K091 明治15年 9月 西92 *中折れ
K092 明治15年 9月 西91
K093 明治14年11月 西90
K094 明治15年 8月 西89
K095 明治15年 8月 西88
K096 明治19年11月 西87
K097 明治15年 5月 西86
K098 明治17年10月 西85
K099 明治16年 4月 西84
K100 明治16年 7月 西83
K101 明治16年 2月 西82
K102 明治16年 2月 西81

兵卒の墓碑と階級名 Ⅶ ~K103からK116まで~2010/10/22

手前がK116。右側面に文字が読み取れます。
つづいて、前から7列目 K103~K116を、大津市保管の記録を訂正しながら、掲載します。
K103 歩兵二等  武智 隆太 西99
K104 歩兵一等  萬濃 勇吉 西100
K105 生兵     脇田 福蔵 西101
K106 歩兵二等  生川 光三郎 西102
K107 二等兵  入山 五郎右衛門 西103
K108 二等兵  瀧岡久二郎??  西104
K109 生兵    越知 清太郎 西105
K110 陸軍歩兵二等卒  嶋 浅太郎 西106
K111 喇叭二等卒 奥藤 吉五郎  西107
K112 喇叭?二等卒  黒田 太蔵  西108
K113 二等卒  田中 藤次郎 西109
K114 一等卒  奥村 次郎吉 西110
K115 陸軍一等卒  今西 丑松  西111
K116 二等卒  松井 音松  西112
K116の墓碑の右側面
K103 明治14年 2月 西99
K104 明治14年 4月 西100
K105 明治12年10月 西101
K106 明治10年12月 西102
K107 明治13年 1月 西103
K108 明治13年10月 西104
K109 明治13年 1月 西105
K110 明治13年 8月 西106 *建て直し?
K111 明治11年10月 西107
K112 明治13年 8月 西108
K113 明治12年 8月 西109
K114 明治12年 8月 西110
K115 明治12年 8月 西111
K116 明治12年 9月 西112

棚田の風景から鈴が聞こえる ~高島市畑~2010/10/22

棚田の風景から ~高島市畑~
 今年の夏、Kさんのログハウスに行ったとき、周囲の農村風景を撮りました。その帰り道、道を聞いた相手は、ちょうどこの写真の向こうに住む高齢者のご夫婦でした。「朽木に抜けたいのですけど・・・」とたずねたとき、老農夫の方は、「こっちの細い道も行けるけど、道路があるから、そっちへ行ったらいい」と道案内を始めました。同じく野良仕事着の奥さんは「あんた、そっちは通行禁止やで」と止めにかかりました。それを無視して案内をつづける夫。
 どうしていいやらわからないまま、お礼を言って、立ち去りました。結局は、ジュラシック・パークのようなゲートを自分で開けないと通れない自動車道でしたから、通行はやめにしました。
 そんなことを思い出したのは、昨晩見た韓国映画『牛の鈴音』のおかげでした。
 この映画で思い出したのは、夏の農村風景だけではありません。カミさんの里での家族、親戚総出の焼き肉パーティの光景も浮かびました。映画とまったく同じでした。高齢の夫婦を息子達夫婦がたずねて、孫もろともに、賑やかに庭で机をならべて、焼き肉・・・。
 ただ、もう義父はいません。カミさんは映画を見ながらどう思ったのだろうと、横顔を見ました。いつもは、仕事疲れで寝てしまうカミさんが、しっかり見ていました。
 気になったのは、ドキュメント映画のなかの息子達が、農業を継ぐ気配がまったくなかったことです。高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』の世界は、農業回帰がテーマでしたが、現実は容易にその方向に向かうことはないようです。ふと、アニメの「有機農業は有機がいる農業」ってセリフも思い出しました。
 棚田を写真からは、以前には聞こえなかった牛の鈴音が聞こえてくる気がしました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)