お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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旧大津陸軍墓地に眠る兵卒の出身地はどこか(1) ~「近江国甲賀郡」出身の坂幸治郎の墓碑~2010/10/30

坂幸治郎の墓碑の左側面:出身地のみが刻まれています
 旧大津陸軍墓地に眠る兵卒は、下段だけで239名。死亡年月は、明治11(1878)年から大正13(1924)年までの47年間に及びます。他の墓地(Fブロック)兵卒(明治8年)を考慮すると、ちょうど50年間の歴史を刻んでいます。
 死亡年月の記録は、大津市に保管されている名簿に書かれています。欠落しているのは、兵の履歴です。出身地、生年月日など後代にいくほど、簡略になっていきます。
 ここを衛戍地とした旧日本陸軍第九聯隊を例として、徴兵制度などを学ぶためにも、また、この墓地の意味を理解するためにも、出身地がわかることが大事だと考えました。
 断片的に紹介していますが、「三重縣」が多く出てきます。これは、どういうことなんでしょうか。その地が第九聯隊に配属される範囲に入っていたのは、わかりますが、とくに三重縣・・・遠いために、自宅で埋葬することが不可能で、大津にある陸軍墓地に埋葬(当時は土葬)することを選んだのでしょうか。
 上の写真は、明治22年12月に亡くなった「坂幸治郎」(東47=L182)の墓碑の左側面です。出身地が大きく刻まれています。 「近江国甲賀郡朝宮村」(現在の滋賀県甲賀市)。「宮」という字に自信がもてませんが。

○補足:「朝宮」を「朝国」に訂正します。10月31日。

コメント

_ やつしろ ― 2010年10月31日 15時49分06秒

訂正して申し訳ありませんが・・・・
「朝宮」ではなく「朝国」です。

朝国村・・岩根村と合併・・大字朝国・・三雲村と合併して甲西町。
平成の大合併で石部町と合併して「湖南市」・・・現在「湖南市朝国」です。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年10月31日 16時49分17秒

訂正ありがとうございます。
どう見ても、「宮」には見えなかったのですが、
それ以外の名前が思いつかなかったのです。

本文の下に訂正記事を入れるようにします。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)