お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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モーの点滴2010/11/04

モーの点滴
 モーが腎臓を患ってしまいました。様子がおかしいので検査してもらったら、ほとんど機能していない状況をしめす数値が出ました。「この子の命は正常な腎臓の部分がどれだけ残っているかに、かかっています」といわれて、緊急に入院し、治療を受けました。3日間の入院で数値は改善されました。あとは自宅でどれだけのことがやれるかです。
 私は正直、カミさんはえらいと思います。
 メー(メスネコ)のときもそうでしたが、献身的にネコの看病をしています。かわいそうといいながら、毎日、点滴の針をさして、モーの治療にあたっています。
 私は思わず、頼みました。
「私が病気になっても、ちゃんと毎日点滴してくれる?」
 答えは、「ノー」でした。
 もちろん理由は正当なものです。
「私は医師や看護師ではないから、ヒトには、点滴できません」
「それはネコへの差別だ!」と叫びそうになりましたが、まあ、夫婦の人情はともかく、安全を考えればそうですね。

ワンコは小脇にかかえるものではありません(私の考え)2010/11/04

ワンコは小脇にかかえるものなんでしょうか?
Qooの散歩は大変です。
KくんがQooの散歩途中に、小学生から
「暴れ犬や!!」と言われたそうです。
・・・飼い主としては少しはずかしい。

でも、かわいいことには変わりはありません。

部屋のなかで飼うといいだしたのは
カミさんでした。
私は、犬は外で飼うものとしか
考えていませんでした。

「毎日、こうして隣にいるからかわいい」

とカミさん。

やってきた頃の小ささが話題にもなります。

「前はこうして脇に抱えられたのにね~」

・・・今も、抱えているじゃないですか。

報国隊員として千島列島に赴き戦没と刻まれた墓碑2010/11/04

報国隊員として戦没という碑文
 各集落の墓地を見て回ると、知らない事実につきあたります。たとえば、この墓碑。真新しいもののように文字はしっかり読めます。碑文には、千島列島に報国隊員として向かうとあります。それは、勤労奉仕だったのでしょうか。国家総動員令によって千島に送られ、非戦闘員として戦没・・・という意味でしょうか。。
 28歳での非業の死。 墓碑の正面は、「戒名」となっています。

砲弾型墓碑が並ぶ墓地にも慰霊碑@深清水2010/11/04

砲弾型墓碑が並ぶ墓地にも慰霊碑@深清水
 旧道を走ると、今津とマキノの境目に、砲弾型墓碑などがならぶ戦死者の墓地があります。そこに建てられている慰霊碑です。名称からして、戦後のものなのでしょう。
 マキノ、朽木、今津、安曇川では戦前建立された忠魂碑がありました。また、このような慰霊碑が存在します。いったいいくつあるのでしょうか。戦争の痛みを刻んだ墓碑や慰霊碑が目の前にあるのに、まったく気がつかないで過ごしていたときがありました。小学生のときの楽しい遊び場の一つは、西南戦争の巨大な紀念碑でした。
人は見たいものしか見ない、また目に入らないものなのでしょうか。
 慰霊碑の右には、墓碑がならんでいます。一番右手に、砲弾型墓地が見えます。

大津市南部の忠魂碑・慰霊碑など2010/11/04

大石の忠霊塔
 大津市南部は、北部ほど見て回ってはいません。それでも、いくつかは目にすることができました。
 上の写真は、大石にある「忠霊塔」。戦前建立された新しいものですね。

□ 軍人勅諭の碑(忠魂碑)  瀬田
いまなお小学校の校庭に忠魂碑が立っています。小学校で起きた事件のため、勝手に校内に立ち入れませんから、遠くから撮りました。鉛筆の先のような形をしていますlが、わかりますか。この忠魂碑には、軍人勅諭が五角柱の各面に刻まれています。

□ 「戦役紀念」碑  田上森
日露戦争の紀念碑だときいています。

□ 牛馬招魂碑  武者が谷(滋賀)
日露戦争を記念して、ある寺院が建立した牛馬のための招魂碑です。珍しいものだと私は思いました。

□ 西南戦争の「紀念碑」  三井寺御幸山
20m四方で高さ3mほどの高台が作られています。そこへ昇るには、10数段の階段。そこに、近代的なフォルムをした台座があり、その上にさらに6メートルをこす紀念碑が聳えています。見上げるばかりです。

□ 「明治廿七八年季没忠勇戦死者紀念碑」  蝉丸神社(藤尾)
最近紹介しましたので、別の角度からの写真にしました。手前に神社の碑があり、その右手に見えています。クリックして拡大してください。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)