お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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日清戦争戦病死者「陸軍歩兵一等軍曹島村幸次郎碑」@高島市2011/07/25

「陸軍歩兵一等軍曹島村幸次郎碑」@高島市
 島村幸次郎の名前は、『高島郡誌』の日清戦争戦病死者の名簿に掲載されていました。死亡年月日は、明治28(1895)年11月17日。所属部隊などの詳細は不明でした。
 旧高島町の勝野のお寺の境内にぽつんと置かれていた(下の写真)のが、「陸軍歩兵一等軍曹島村幸次郎碑」です。正面の碑文から、下士官であったことがわかりました。立派な墓碑です。側面にも、碑文が刻まれています。
 解読すれば、『郡誌』ではわからなかった詳細が判明するはずです。

Qooの追っかけ遊び2011/07/25

ついにつかまりました
わが家の柴犬さんは、大型犬が大好きの様子。追いかけられて遊んでいましたが、このときばかりは、逃げ切れなかったようです。

「縣社 水尾神社」の石碑の起源は日露戦争2011/07/25

「縣社水尾神社」の石碑
高島市の旧高島町にある水尾神社の入り口に、神社のありかを示す石柱が建っています。わたしは、古来からあったと思っていました。背面を見ると、違っていました。
「縣社水尾神社」碑の背面
明治三十七八年戦役従軍紀念献進」と刻まれています。日露戦争に従軍した村の有志がそれを記念して、建てたということでしょう。
 社名だけの碑がなぜ戦争にかかわって建てられたのか?おそらく、この神社で、戦争への出征や無事祈願などの儀式があったからなんでしょうね。

水尾村「戦時事績」から日露戦争戦没者名簿2011/07/25

水尾村「戦時事績」から日露戦争戦没者名簿
 水尾神社の記事を書いたので、水尾村の日露戦争の戦没者についての資料があるので紹介します。現在も保存されている「戦時事績」です。
 村出身の死亡者は6名。そのうち、戦死が1名、負傷により死亡が2名、「流行病ニヨリ死亡」が3名となっています。
 つい先日まで私が実際の墓碑を見ることができたのは、鈴木勘三郎林善蔵の2名だけでした。
歩兵一等卒鈴木勘三郎の墓碑
上が、鈴木勘三郎、下が林善蔵の墓碑です。
陸軍歩兵一等卒林善蔵の墓碑
 この7月には、さらに3柱を見ることができました。  「戦時事績」には、上記のように、公葬場所が記録されています。しかし、すべての「戦時事績」が書いているわけではありません。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)