お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

大津市で見ることができる日露戦争の墓碑 ~その3 招魂碑と記念碑~2011/08/16

日露戦争「戦役紀念」碑@大津市
 「終戦記念日」の特集番組を見ていたとき、滋賀県内の戦跡が次々と壊されていることを知りました。民間の土地なら、仕方ないこともあるでしょうけれど、公の土地でありながら、駐車場にかえられて、跡形もない姿を見たとき、寒々とした思いがしました。それは、単なる過去の遺物ではなく、未来に生かすべき過去だからです。モノはモノですが、人間の頭のなかにあるのではなく、現物がそこにあることのもつ迫力は、かけがえのないものだからです。
 失われたものは、どうしようもありません。記憶を残すことに力を注ぐしかありません。
   私が墓碑にこだわるのも、実は、そのあたりに理由があります。もちろん、墓碑は、銃弾の跡が生々しく残る戦跡ではありません。しかし、そこには、戦争による死という事実が刻まれています。戦死を忘れてくれるなという遺族やその時代のの思いがこもっています。

 さて、今回の「その3. 招魂碑と記念碑」は、墓碑とは趣が異なります。戦争がもたらす熱狂を伝える碑とでもいうべきものです。上の写真は、その一つです。大津市の田上学区にある日露戦争の「戦役紀念」碑
 下の写真は、大分県竹田市にある日清戦争と日露戦争にかかわる記念碑です。戦勝記念碑であることはその文言から明らかです。
 これらのほかに、大津市の武者が谷墓地には日露戦争を記念した「牛馬招魂碑」(下の写真)というものも、存在します。その建立のいきさつは、まだ調べられていません。
大津市で見ることができる日露戦争の墓碑・記念碑

個人墓碑

■陸軍歩兵大尉 徳大寺 龜一
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック
■陸軍歩兵大尉 伏木 徳太郎
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック
■陸軍歩兵少佐 奈良 鉞治郎
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック
■陸軍歩兵大尉 谷村 元吉
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック
■陸軍歩兵少尉 村治 昭
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック
■陸軍歩兵少尉 鎌倉 誠一
      *旧大津陸軍墓地 Aブロック

合葬碑

□明治三十七八年戦役将校同相當官戦病死者合葬碑
     *旧大津陸軍墓地(上段東)
□明治三十七八年戦役准士官戦病死者合葬碑
     *旧大津陸軍墓地(中段東)
□明治三十七八年下士戦病死者合葬碑
     *旧大津陸軍墓地(中段東)
□明治三十七八年戦役兵卒戦病死者合葬碑
     *旧大津陸軍墓地(中段西)

記念碑

▽「戦役紀念」碑
      *田上森
▽牛馬招魂碑
      *武者が谷墓地

大津市で見ることができる日露戦争の墓碑

  →その1 合葬碑   →その2 将校の墓碑

シバのQooとパピヨン(トントンン)2011/08/16

シバのQooとパピヨン(トントンン)
 お盆の帰省先で出会ったパピヨンは載せたけれど、我が家のQoo(シバ)の写真を載せませんでした。それは、まずいかもと思いました(家族が見るので・・・)。先のパピヨンは、モナミ。これは、トントン。

雷雨をうけとめる2011/08/16

雷雨
 日常の繰り返しをしているときには、気がつかないけれど、旅先のなんでもないことが、妙に、なつかしくなるときがある。シャッターを押しながら、次々と過去となっていく”今”の意味を考えていた。
 東日本大震災のとき、暮らしの記録があとかたもなく押し流された。人々は、かけがえのない家族や知人の安否とともに、それらの人々と過ごした生活の記録を探しもとめた。写真業者の方々が見つかったネガや印字されたものを、懸命に復活させるよう力を尽くした。
 撮影すべきは家族との平凡な日々なのかも知れない。しかし、いま急に撮影し始めるのは変だし、抵抗もある。
 雷の音とともに、降り出した雨。乗り継ぎの2時間を、書店とスターバックスで過ごした長男のK君と私は、傘もなく、濡れない道を探して駅に急いだ。駅に着き、電車を待つ間、反対方向で特急ソニックが激しい雨をじっと受け止めていた。
 雷の音はカメラでは写らない。激しい雨さえ、下手な私では、写しこむことはできない。ましてや、私が抱いた思いが画面に写ることはない。けれど、意図不明の写真の画面を見ながら、”今”の意味を考えていた自分を思い出すことができるのではないかと考えた。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)