お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

2倍の時間をかけて2011/08/14

徳山港を15分停車の新幹線駅から物珍しげに眺めました
 琵琶湖の畔の自宅から、九州の備後竹田駅まで、新幹線やソニックを使えば、6時間ぐらいで到着できます。お盆で指定席の予約をとらず自由席にして、始発駅から乗り込んで座って行こうという作戦。ところが、いろいろ失敗して、「こだま」に乗り込むはめに。2倍の時間がかかってしまいました。5時に起きて、勇んでいったのに・・・。
 それでも、ずっと座ることができて、私的には満足。各駅停車で、駅の乗車時間も余裕たっぷり。10分以上の停車時間も停車駅がいくつあったでしょうhか。新岩国や徳山など、売店もない駅での停車時間が長いことに矛盾は感じましたけれど、港の様子などを観察できました。内陸県人にとっては、海港はなにを見ても珍しいものばかりでした。

コメント

_ yatusiro ― 2011年08月16日 13時26分47秒

それは良かったですね!
私はそんなの大好きです。
ずっと座って、音楽を聴きながら外の景色を眺める・・・素晴らしいことです。
この夏も二回、青春切符を使って、名古屋と播州赤穂に行きました。
ゆっくりは無理なので、あちらでは一時間の滞在で、夕方には帰るという日程ですが、車窓の楽しみ、音楽の楽しみは満喫できました。
ちなみに、北回り近江高島へはしょっちゅう行きます。

_ BIN★→yatusiroさん ― 2011年08月16日 16時01分12秒

 お盆の準備作業に遅れたとさんざんいわれましたけれど、車窓の風景を楽しみました。山陽新幹線はトンネルが多くて残念でしたが、大分駅から豊後竹田駅までの旅は、日本の原風景が広がる見どころがいっぱいでした。
 帰途は、大分まで自家用車でした。途中で、巨大な忠魂碑を見つけましたが、自分の運転ではないので、「あ!」と声だけ挙げて、通り過ぎました。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2011/08/16/6048091/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)