お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
頑固でマイペース ― 2011/09/05
コメント
_ やつしろ ― 2011年09月05日 15時40分48秒
_ BIN★→やつしろさん ― 2011年09月07日 02時08分37秒
そういえば、彼岸花の群生地を教えていただきましたね。
あの鮮やかな赤が、気候によって色あせるのは、知りませんでした。
あの鮮やかな赤が、気候によって色あせるのは、知りませんでした。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
彼岸花は律儀な花で、秋のお彼岸の時期になると、決まって綺麗な花を咲かせます。
つまり、お彼岸の入りの18日くらいには、あちこちに
顔を見せてくれます。
ところが、異状気候が続くと、さすがの彼岸花さんも混乱を起こしてしまいます。近年になっての現象ですが・・。
一昨年、(2009年)・・・この夏は低温夏でした。
7月から8月の土用の晴れた日に、梅干しを天日に干すのですが、全然機会がなく、ようやくお盆の頃に干したものでした。これはとても珍しいことです。
だから、彼岸花はとんでもない早い日に咲き出し、早い時期に満開になりました。名所(今津町桂浜)、9月26日には、もうすっかりダメになっていたくらいです。
昨年(2010年)、歴史上一番の暑い夏でした。10月になっても、冷房が要りました。
9月の20日(彼岸の入りの日)、市内の、よく咲く場所を全部調べましたが、たった一箇所、永田墓地の片隅にほんの数株咲いているだけでした。(どの世界にも、えらいヤツがいます。)
名所は、26日にやっと咲き始めました。去年と大違いです。10月10日、満開でした。
今年(2011年)、例年より早く梅雨が開け、続いて,7月はとんでもない暑さになりました。
そして、19日の台風通過後、涼しくなりました。
私の家の近く・・・鬱蒼と木や草がが茂っていたので、スッポンポンに切り払ってもらいました。風が通り、すっきりしたものです。
そこに、8月の20日頃、彼岸花の花軸が顔をのぞかせました。いつも咲く場所ですが,とんでもない時期です。
彼岸花さんは、気候の変化と環境の変化で、「ああ、もうお彼岸なんだ!」と、甚だしい勘違いをしたのでしょう。
彼岸花は、葉がない時に花がさくのですから、全く勘に頼っているのです。
立派な花を咲かせましたが、哀しいかな、準備が整っていません。いつも真紅の華を咲かせるのに、色素が足りず、白っぽい哀れなものでした・・・・今はもう、枯れています・・・
昨年、健気にも、市内で唯一咲いていた彼岸花さんは、どうなっているのか、台風の中、見に行ってきました。
感受性の強いあの方は、ちゃんと咲いていました!!
色素不足で、いつもより小さな背丈で・・・しっかりと。
どの世界にも、えらいヤツはいるもんです。