お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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日清戦争の影~明治20年代前半と後半の墓碑を分けるもの~2010/11/01

台石は1列目は1段、2列目以降は2段@旧大津陸軍墓地Lブロック
 上の写真は、旧大津陸軍墓地のLブロック。その左側面から撮影しています。右が正面。見れば、一列目と二列目では、台石の数が違います。前列は一段で、後列は二段。前には、若い年代の墓碑、二列目以降は、旧い年代の墓碑。
 具体的に言えば、右の一番手前が、明治44年歿の馬場寅吉の墓碑(東2)、その後ろが明治22年歿の米田兼蔵の墓碑。
 二段から一段へと変わるのは、明治の20年の半ばです。明治22年の墓碑は2段。しかも、個人的経歴をわずかにせよ刻んでいます。しかし、明治27年以降は、台石は1段で、しかも、階級、氏名、死亡年月日のみとなっています。
 明治20年代の中頃になにが起こったのか。
 いうまでもなく日清戦争(明治27~29年)です。

下段東側でもっとも新しい墓碑:大正7(1918)年歿の「故陸軍一等卒高坂早實之墓」(東8=L146)2010/11/01

大正7(1918)年歿「故陸軍一等卒高坂早實之墓」
 大正年間だからといって、墓碑があたらしい形をしているわけではありません。明治10年代の墓碑と形も大きさも特に変わることはありません。粗悪な墓石を用いているのか、文字が摩滅状態で読み取りが困難です。
 右側面には文字はなく、左側面に「大正七年十月二十七日死亡」とだけ、刻まれています。
大正年間の墓碑@旧大津陸軍墓地Lブロック

大正1年11月  陸軍歩兵一等卒 西田 末次郎 東3
大正2年 8月  陸軍二等看護卒 藤井 安太郎 東4
大正2年 8月  陸軍二等看護卒 奥村 季吉  東5
大正6年11月 故陸軍歩兵一等卒 八木 喜之助 東6
大正7年 5月  陸軍上等看護卒 月井 彦太郎 東7
大正7年10月 故陸軍歩兵一等卒 高坂 早實 東8

階級、氏名と死亡年月日のみの墓碑 「陸軍歩兵二等卒 馬場寅吉(墓)」(東2=L140)2010/11/01

階級、氏名と死亡年月日のみ 「陸軍歩兵二等卒 馬場寅吉」(墓)
全く簡素な墓碑です。表に彫られているのは、「陸軍歩兵二等卒 馬場寅吉」のみ。「墓」は省略されている様子。
左側面に記事はなく、右側面に死亡年月日だけが刻まれています。「明治四十四年二月五日死亡」。

 このように経歴が刻まれず、階級、氏名、死亡年月日のみの墓碑が墓碑番号では東1から41まで続きます。年代でいけば、明治28(1895)年以降(大正12年まで)がそうです。
 亡くなった若者への手がかりは、プツンと断ち切られる気がします。

明治12年に病没した「生兵 川﨑 松之助墓」(東93=L227)2010/11/01

明治12年に病没した「生兵 川﨑 松之助墓」(東93=L227)
 旧大津陸軍墓地のLブロックの埋葬者一覧表を作成したので、記事を書くのにも、ずいぶん楽になりました。ランダムに掲載しても、読む人にあまり迷惑がかからないと思うからです。さて、この墓碑は、「生兵川﨑松之助墓」。
墓碑の右側面から、松之助の経歴が始まっています。
摩滅してとても読みにくいです。一行目に「高」の文字。「高知縣平民」でしょうか。2行目には「明治十二年六月二日應徴」が読み取れます。
左側面は、全部読めます。
明治十二年十月八日歿於大津営所病室干時二十二年五月

Lブロック埋葬者名簿(簡略版)@旧大津陸軍墓地2010/11/01

Lブロックの墓碑配置
旧大津陸軍墓地Lブロック(移葬前は下段東ブロック)埋葬者名簿
 *随時更新するようにします。
① L以下の番号は、現在の位置
② 階級
③ 氏名
④ 東以下は下段東の頃の位置
⑤ 病死した年月(日)
一列目 L141~159

L140 陸軍歩兵二等卒 馬場 寅吉   東2
     明治44年2月5日死亡 記事①
L141 陸軍歩兵一等卒 西田 末次郎  東3
     大正1年11月
L142 陸軍二等看護卒 藤井 安太郎  東4
     大正2年8月
L143 陸軍二等看護卒 奥村 季吉   東5
     大正2年8月
L144 故陸軍歩兵一等卒 八木 喜之助 東6
     大正3年11月
L145 陸軍上等看護卒 月井 彦太郎  東7
     大正7年5月
L146 故陸軍歩兵一等卒 高坂 早實  東8
     大正7年10月 記事①
L147 陸軍歩兵二等卒 盛田 留蔵   東14
     明治43年6月
L148 陸軍歩兵一等卒 杉森 祐吉   東15
     明治43年9月
L149 歩兵一等卒   山口 佐兵衛  東16
     明治43年8月
L150 ○○○○○ 平野 彌三八 東17
     明治39年2月 記事①
L151 陸軍歩兵二等卒 西堀 政吉 東18
     明治39年10月
L152 歩兵二等卒 中嶋 浅次郎 東19
     明治39年9月
L153 陸軍歩兵一等卒 小杉 喜一郎 東20
     明治39年9月
L154 陸軍歩兵一等卒 西村 喜太郎 東21
     明治39年12月
L155 陸軍歩兵二等卒 松井 元市 東22
     明治40年4月
L156 陸軍歩兵二等卒 河合 増太郎 東23
     明治40年5月
L157 陸軍砲兵二等卒 塚嵜 倉太郎 東24
     明治40年5月 記事①
L158 ○○○ 大北 雅郎 東25
     明治33年6月 記事①
L159 歩兵一等卒 池田 藤十郎 東26
     明治33年8月
2列目 L160~179

L160 歩兵二等卒 米田 兼蔵 東44
     明治22年11月
L161 歩兵二等卒 雁瀬 其三吉 東43
     明治22年7月 記事①
L162 ○○○○ 上田○○ 東42
     明治22年11月
L163 歩兵一等卒 光崎 宗貫 東34
     明治27年2月
L164 二等卒 増田 重吉 東94
     明治12年8月
L165 歩兵二等卒 大瓦 松蔵 東92
     明治12年9月
L166 陸軍歩兵二等卒 吉川 重吉 東41
     明治28年12月
L167 森本 徳松 東40
     明治28年8月
L168 永井 兼太郎 東39
     明治28年1月
L169 細田 大蔵 東38
     明治27年12月
L170 岸下 嘉次郎 東37
     明治27年11月
L171 高岡(?)友次郎 東36
    不明
L172 仲井 幾太郎 東35
     明治27年10月
L173 陸軍歩兵二等卒 菊田 友三郎 東33
     明治35年3月
L174 陸軍歩兵二等卒 油浦 藤蔵 東32
     明治34年8月
L175 釈勇勤○○ 中尾 庄三 東31
     明治34年5月 記事①
L176 釈勇進 俗名 中西 丹○ 東30
     明治33年11月 記事①
L177 釈強覚 中村 勘四郎 東29
     明治33年10月 記事①
L178 歩兵一等卒 畑野 澤次郎 東28
     明治33年9月
L179 重地 虎次郎 東27
     明治33年9月
第三列 L180~199

L180 歩兵二等卒 物部 平吉 東45
     明治22年11月
L181 歩兵二等卒 山田 菊松 東46
     明治22年12月
L182 ○○○○ 坂 幸治郎 東47
     明治22年12月 記事①
L183 歩兵一等銃卒 仲 亀松 東48
     明治29年8月(*19年?)
L184 ○○○○卒 木村 種吉 東49
     明治19年8月
L185 歩兵一等銃卒 中村 粂三郎 東50
     明治19年8月
L186 歩兵一等銃卒 前田 留吉 東51
     明治19年8月
L187 ○○○  辻本(?)乙松 東52
     明治19年10月
L188 ○○○○ 七里 万治郎 東53
     明治19年10月
L189 生兵 水川 丑松 東54
     明治19年10月
L190 看護卒生兵 小笹 丈之進 東55
     明治17年11月 記事①
L191 歩兵二等卒 小島 源次郎 東56
     明治17年11月
L192 生兵 中岡 捨吉 東57
     明治17年12月
L193 二等看護卒 安場 繁次郎 東58
     明治17年12月
L194 歩兵二等卒 小椋 甚太郎 東59
     明治17年12月
L195 故生兵 久野 彌三郎 東60
     明治18年12月
L196 故歩兵一等卒 川崎(?)増次郎 東61
     明治19年4月
L197 歩兵 平川 歌次郎 東62
     不明
L198 歩兵二等卒 中村 九市郎 東63
     明治16年9月
L199 生兵 梶川 太郎(市) 東64
     明治16年9月
4列目 L200~234

L200 二等卒 田中 重太郎 東84
     明治13年9月
L201 歩兵二等卒 高橋 佐吉 東83
     明治12年8月
L202 歩兵二等卒 九木 由之助 東82
     明治15年3月
L203 生兵 永田 春吉 東81
     明治15年
L204 生兵 山下 音松 東80
     明治15年2月
L205 生兵 小松 正  東66
     明治16年10月
L206 生兵 西野 仁吉 東78
     明治14年12月
L207 歩兵二等卒 ○○ 吉松 東77
     明治14年11月
L208 歩兵二等卒 高田 佐之助 東76
     明治14年8月
L209 歩兵上等卒 近藤 安之助 東75
     明治15年11月
L210 歩兵二等卒 吉田 友次郎 東74
     明治15年11月
L211 歩兵二等卒 ○寺 乙松 東73
     明治15年11月
L212 生兵 小林 甚九郎 東72
     明治15年9月
L213 歩兵二等卒 和田 専次 東71
     明治15年9月
L214 生兵 松本 岩吉 東70
     明治15年9月
L215 歩兵二等卒 ○○○○ 東69
     明治15年9月
L216 歩兵二等卒 永田 巳之助 東68
     明治16年10月
L217 歩兵二等卒 山口 彦太郎 東67
     明治16年10月
L218 歩兵二等卒 澤崎 ○○ 東101
     明治11年11月
L219 歩兵二等卒 上田 平助 東65
     明治16年9月
L220 陸軍二等卒 秋山 亀吉 東79
     明治15年1月
L221 歩兵二等卒 ○○之助 東86
     明治13年10月
L222 生兵 西口 丈吉 東87
     明治13年10月
L223 二等兵卒 馬渕 新吉 東88
     明治12年8月
L224 生兵 西出 勇吉 東89
     明治12年9月
L225 生兵 原田 國兵 東90
     明治12年9月
L226 二等兵卒 春山 由松 東85
     明治13年9月
L227 生兵 川﨑 松之助 東93
     明治12年10月 記事①
L228 二等兵卒 安澤 利三郎 東91
     明治12年9月
L229 二等兵卒 今井 藤松 東95
     明治12年8月
L230 生兵 橋爪 佐次郎 東96
     明治12年8月 記事① 記事②
L231 二等兵卒 脇谷 榮吉 東97
     明治12年8月
L232 二等兵卒 川崎 力之助 東98
     明治11年10月 記事①
L233 上等卒 宮崎 伊三郎 東99
     明治11年10月
L234 二等卒 堀川 ○次郎 東100
     明治11年10月
5列目 L235~237

L235 二等卒 堀田 源七 東102
     明治12年1月 記事①
L236 竹村 治三郎 東103
     明治42年7月 記事①
L237 二等卒 峯 熊次郎 西134

以上98柱。

旧大津陸軍墓地に眠る兵卒の出身地はどこか(2) ~「近江国神崎郡」出身の雁瀬其三吉の墓碑~2010/10/30

「滋賀縣下近江国神崎郡」出身の二等卒の墓碑
 大津市は滋賀県の県庁所在地。滋賀県出身者の兵卒の墓碑は、どれだけあるものなのか。
「歩兵二等卒雁瀬其三吉墓」(東43=L161)の左側面には、「滋賀縣下近江国神崎郡池田村平民」と刻まれています。とりわけ、「平民」と刻まれているところに関心がわきます。叛乱を起こした「士族」ではないという意味でしょうか。要はプラスのイメージなのか、マイナスのイメージなのか、それともニュートラルか。死亡年月は、明治22年7月。
 ちなみに神崎郡は、その大部分(葉枝見村は彦根市)が、現在の東近江市になっています。池田村は、どこなのか、私にはわかりません。
墓石の材質に関心が湧き始めました。同じ年代でも、摩滅が激しい墓碑とそうではない墓碑があります。この墓碑はまだくっきりしているようです。赤っぽい材質ですね。

旧大津陸軍墓地に眠る兵卒の出身地はどこか(1) ~「近江国甲賀郡」出身の坂幸治郎の墓碑~2010/10/30

坂幸治郎の墓碑の左側面:出身地のみが刻まれています
 旧大津陸軍墓地に眠る兵卒は、下段だけで239名。死亡年月は、明治11(1878)年から大正13(1924)年までの47年間に及びます。他の墓地(Fブロック)兵卒(明治8年)を考慮すると、ちょうど50年間の歴史を刻んでいます。
 死亡年月の記録は、大津市に保管されている名簿に書かれています。欠落しているのは、兵の履歴です。出身地、生年月日など後代にいくほど、簡略になっていきます。
 ここを衛戍地とした旧日本陸軍第九聯隊を例として、徴兵制度などを学ぶためにも、また、この墓地の意味を理解するためにも、出身地がわかることが大事だと考えました。
 断片的に紹介していますが、「三重縣」が多く出てきます。これは、どういうことなんでしょうか。その地が第九聯隊に配属される範囲に入っていたのは、わかりますが、とくに三重縣・・・遠いために、自宅で埋葬することが不可能で、大津にある陸軍墓地に埋葬(当時は土葬)することを選んだのでしょうか。
 上の写真は、明治22年12月に亡くなった「坂幸治郎」(東47=L182)の墓碑の左側面です。出身地が大きく刻まれています。 「近江国甲賀郡朝宮村」(現在の滋賀県甲賀市)。「宮」という字に自信がもてませんが。

○補足:「朝宮」を「朝国」に訂正します。10月31日。

「看護兵卒」の墓碑@旧大津陸軍墓地2010/10/30

「二等看護卒安場繁次郎之墓」@旧大津陸軍墓地
旧大津陸軍墓地の下段東側の兵卒の墓地には、「看護兵卒」の墓碑が、(すでに紹介した「看護生兵」の墓碑を含めて)、4柱あります。

 上の写真は、明治17(1884)年12月に亡くなった「二等看護卒安場繁次郎之墓」の正面です。こういう墓碑を見てはじめて、そういう人たちの存在に目を向けることになりました。
右側面の写真ですが、摩滅していて読み取ることが困難ですね。冒頭は「三重縣平民伊勢國阿・・・」。途中に「文久三年」という年号が見えます。
旧大津陸軍墓地下段東側の看護卒の墓碑

東58(L193) 二等看護卒   安場繁次郎
    明治17年12月没

東55(L190) 看護卒生兵   小笹丈之進
    明治17年11月没

東 5(L143) 陸軍二等看護卒 奥村季吉
    大正 2年 8月没

東 4(L142) 陸軍二等看護卒 藤井安太郎
    大正 2年 8月没
 4人ですが、2人づつ死亡年月が重なります。明治17年冬と大正2年の夏に、なにか特別のことがあったのでしょうか。
 大正2年に亡くなった奥村季吉と藤井安太郎の墓碑には、履歴の類は一切なく、死亡年月日が刻まれているだけでした。

「歩兵」と誤記「陸軍砲兵二等卒 塚嵜倉太郎之墓」(東24=L157)2010/10/29

「陸軍砲兵二等卒 塚嵜倉太郎之墓」(東24=L157)
 大津市が保管している名簿では、「歩兵二等卒」になっています。しかし、墓碑を検証しなおすと、「砲兵」であることがわかります。
左側面には碑文がなく、右側面に、「明治三十三年九月十三日死」と簡単に記されているだけです。明治十年の墓碑が、定型とはいえ、出身地や父親の名前、生年月日、入営日などが記されているのに対して、あまりにそっけない気がします。

「看護卒生兵 小笹丈次之進墓」(東55=L190)2010/10/29

「看護卒生兵 小笹丈次之進之墓」(東55=L190)
 東下段を順番に見るのを中断して、私自身興味深い墓碑を見つけて紹介しています。たとえば、歩兵上等卒、歩兵一等卒、歩兵二等卒などの墓碑は多数ですが、「看護卒」の墓碑は多くありません。それは、軍の構成の比率からしてそうなのでしょう。
 下段東の55は、「看護卒生兵」という階級名のある墓碑でした。
 「看護卒」という階級名がつく墓碑は、ほかに二三ありますが、「看護生兵」は、この若者の墓碑だけでした。
 上の写真は右側面。冒頭に「滋賀縣」と刻まれているように見えます。あとは、まだ読めません。日の光が別の角度からあたるときに、見に行くことが必要ですね。
左側面からは、「明治十七年十一月三日没於大津営所」などと読むことができます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)