お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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軍神を祭る広瀬神社、昭和10年建立でも神社に変わりはありません2010/10/04

軍神を祭る広瀬神社、昭和の創建でも特別な形をもっていません
日露戦争で戦死した広瀬武夫中佐を祭る広瀬神社。
「創建奉賛会」の尽力で、昭和10(1935)年に落成。

軍事施設や武器を連想させる形態ではありません。

門も拝殿も、ごく普通の神社の形をしていました。

こうべおすい ありま2010/09/20

こうべおすい ありま
各地の汚水のフタを撮っています。

これは有馬温泉にあるもの。

デザインは、「町」のidentityを意識したもの。

ウォーリズ通り@今津(高島市)2010/03/12

「今津ヴォーリズ資料館」(旧百三十三銀行今津支店)
去年、近江八幡市でヴォーリーズ建築を見て回った。
それ以来、「ヴォーリーズ」の名前が
なつかしく思われる。

高島市の今津。
そこにも、ヴォーリーズ建築が保存されている。

その内の一つ、旧「百三十三銀行今津支店」。
現在は、「今津ヴォーリズ資料館」

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~熱海市の場合~2010/01/16

民宿から海岸へ出ようと思いました。
急な坂道の途中で、
マンホールの蓋を発見。

「おすい」のフタは「まちの顔」です。
私が滞在しているのは熱海市。
これはなにが描かれているのでしょうか?

トンネルを抜けると2009/12/09

不思議なトンネルを抜けると美術館
若冲の展示会に行ったことは、すでに日記に書いたでしょうか。
それは山の中にある美術館でした。
宗教色の強い建築物で、
不思議なトンネルを抜けた先にありました。

特別展示は、若冲。
どの絵も私は気に入りました。
強い個性と主張を感じました。

残りは、古代文明の遺産。
そこには、近代とはちがう世界がありました。
個の主張のない彫像は、
宗教施設にはお似合いのものです。

大津教会 ~ご近所のヴォーリズ建築~2009/11/26

大津教会 ~ご近所のヴォーリズ建築~
10月に、近江八幡市までわざわざ行って、
ヴォーリズ建築の数々を見てきた。
そのいくつかは、ブログで紹介した。

その日、展示された1枚の写真に目が釘付け。
あっと驚いた。見慣れた建物だったからだ。

大津市には、ヴォーリズ建築が二つある。
一つは、堅田教会。もう一つが、大津教会。
上の写真は後者の一部。

近くを毎日通るのに、
これがヴォーリズ建築だとは知らなかったのだ。
とても自慢にならない話である。

内部には一度入ったことがある。
温かみのある木で作られた
見事な空間に驚いた記憶がある。
それは、友人でキリスト者だったIさんの葬儀。
仏教式しか知らない私は、
強いカルチャーショックを受けた。

たちまち店の棚に早変わり2009/11/05

たちまち店の棚に早変わり
近江八幡市は近江商人発祥の地。
商家のつくりも興味深いものがあります。
「バッタン床机」というものがありましたね。
あれは座るためのもの。
商家の前には、バッタン店棚とも
いうべきものがありました。

上の写真では、わかりにくいのですが、
よく見ると、手をかけて倒すことが
できるように切れ込みが見えますね。
手をかけて倒す切れ込みがみえますね

町に溶け込む「旧ヴォーリズ住宅」2009/11/01

町に溶け込む「旧ヴォーリズ住宅」
 ヴォーリズが後半生を過ごした自宅は、いまなお健在である。
そして、なにより、町に溶け込んだ存在であることが印象的である。
 周囲から浮き立つような派手さはない。
むしろ、地味なくらいである。
それでも、チムニーは、その個性を主張しているように建っている。
これがなければ、見逃してしまいそうだ。
入り口から見た旧ヴォーリズ住宅
正面に門があるけれど、玄関は住宅の側面にある。
門から玄関までの空間は、異次元への通路。
下の写真は、玄関から門を眺めたもの。
奥にある入り口から門を眺める
住宅の内部は写真撮影が禁止されている。
出かけて、実物を見る値打ちはあると私は思う。

滋賀県指定有形文化財「旧ヴォーリズ住宅」の解説パネル2009/11/01

滋賀県指定有形文化財「旧ヴォーリズ住宅」の解説パネル
「旧ヴォーリズ住宅」は、滋賀県指定有形文化財になっている。
写真のまえに、解説パネルをご覧ください。

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~大津市の場合~2009/11/01

これは「大津絵」のデザインですね
大津市の場合、「おすい」のフタは、
大津祭りのヴァージョンがあるのを知っていた。

「大津絵」のヴァージョンもあったのだ・・・。

それにしても、過去の遺産にたよるばかり
で、いいはずはない。
まちの”いま”を発信するものをもちたいと思うのだが。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)