お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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高島市議会開会中2009/06/19

高島市議会でバス問題の質問を聴いた
高島市役所に立ち寄る。
本会議で一般質問の最中である。
傍聴は自由にできるけれど、座席が窮屈。
一階の休憩室でリアルタイム中継を
見ることにした。

ちょうどバス問題をめぐって質問中。
ゆったりしたイスに腰掛けて聴く。
中継のTVの前には、職員が2名。
質疑のチェックをしている。

高島市でも、高齢者を中心に、
バスを求める声は多いと聞いている。

合併前にも、便利なバスがあった。
たとえば、旧安曇川町の「ふれあいバス」
合併協議の結果、廃止の方向が決まった。
安曇川の住民や出身議員が
党派をこえて署名運動に取り組んだが
突破できなかった・・・。
それでも、別の形態で存続中。

大津市でも、バス路線がなくなって
困る人たちが多数いる。
京都新聞でも取り上げられていた
唐崎学区がそうだ。
旧志賀町でも、走らそうという運動が
起きている。

注目して聴いたが、進展は困難なようだ。

駅前広場の風景を・・・2008/07/03

廃線・・・「●●バス」の表示だけが残っていました
唐崎のTさんは、
いつも熱い思いとエネルギーを
発散している方です。
昨日もメールをいただきましたので、
直接お話を聞くことにしました。
JR湖西線・唐崎駅発のバス問題やチラシのことなど。

ちなみに湖西線の駅の並びは、
京都→山科→大津京(西大津)→
唐崎→比叡山坂本→雄琴温泉→堅田→・・・。
「大津京」駅の駅前には、
ジャスコとまち一番のノッポマンション。
近くには、競艇場や競輪場。
比叡山坂本駅は、観光の起点。
タクシーがたむろし、まだ賑わいがあります。
その中間の唐崎駅は、閑散としています。

驚くほどの違いです。

お話が終わったあと、
Tさんのパッションの余波にゆられながら、
考えをめぐらせていました。
ふと思い出して、
以前撮影した写真を
もう一度PCから取り出しました。

「京阪バス」は名札だけ残して廃線。
「近若バス」は存続。
しかし、時刻表を視ると、
北向きの堅田方面だけで、しかも一日一便。
 タクシーで反対側の
JR大津駅に行こうと思えば、
小型タクシーで片道1800円、往復で3600円。
中型なら、それぞれ1980円と3960円。

 私も、Tさん同様に、
この風景を胸に刻まないと
ダメだと思ったからです。







「京阪バス 西大津線の突然の減便を突然通知」@月報 山中比叡平2008/03/23

月報 山中比叡平
 ただでさえ大津市から孤立している山の上にある山中比叡平。マイカーのない人たちには、貴重な交通手段が減便!
 自治連合会の月報を見せてもらいました。

仰木の里「3点セット」2008/02/09

仰木の里(里東)のみなさんのつどい
もう先月のことになります。
仰木の里でもちつき大会がありました。
たいへん楽しい集まりでしたが、そのときに
仰木の里(学区)の3点セットという問題が
あると言われていました。

具体的には、

①ワコーの突然の閉店問題。
  歩いて買い物ができるまちをどうつくるか、
  バス路線をどう充実させるか
 ・・などに発展する問題

②バイパス無料化にともなう騒音問題、
  バイパス料金が無料になったので、
  トラックが昼夜を問わず通過し、
  すさまじい騒音がでる。

③大津市が中核市以降にともなう
  動物保護管理施設計画が
  仰木の里団地の中にある。
  現在、署名運動をされているそうです。

なお、その集会で、
障害者自立支援法の欠陥について、
訴えられている姿も印象的でした。

私も問題の解決のために、力をつくしたいと思います。

唐崎のTさんへ、ふれあいバスについてのメモ2007/10/23

唐崎のTさんへ

連日、熱心に、バス問題を勉強されている様子。
お役に立てばと思います。
メールで、高島市の旧安曇川町の
「ふれあいバス」について調べてほしいということでした。
とりあえず、旧安曇川町出身のF市議会議員さんに、
電話のついでに、おききした内容をメモとしてお伝えします。

●「ふれあいバス」とはなに?

「ふれあいバス」は、旧安曇川町に生まれました。
運営開始は、平成14(2002)年度から。
合併して高島市になっても、2年半は存続していたそうです。
しかし、今は、廃止になっています。
(反対運動はもちろんありました)
廃止の理由は、市長が「市民間の平等を保つため」だそうです。

●玄関から玄関まで

そもそも、「ふれあいバス」とはなにかということです。
それは、「玄関から玄関まで」送迎してくれるバスのこと。
前日までに予約すれば、自宅まで来てくれます。
予約受付は、社会福祉協議会の窓口。
町(市)の担当者がいて、対応していました。

●運営は?

運営主体は、安曇川町(合併後は高島市)
ただし、運転は町内(市内)のタクシー業者に委託していました。
車両台数は、2台。

●運賃は?

当初は、100円の運賃。
これが高島市になって、220円に値上げされました。

●廃止にたいする住民の対応

交通弱者である高齢者から、廃止しないで欲しいという
声はあがりました。
そして、署名運動が行われ、1300筆あつまったそうです。
(旧安曇川町の有権者数は、11000人ぐらい)

●運動の結果は?

合併後、2年間は存続させることができましたが、
市長が上記の理由で廃止。
その代わり、巡回バスが走っています。

●高島市にはどういうバスがいま走っていますか

市営のバス、巡回バス、そして民営のバス。

まあ、電話ですので、これくらいしか聞けませんでした。
ただ、この内容は私のメモですので、間違いがあるかも
知れません。
資料はくれるそうです。届けば、お渡しします。

これでよろしいでしょうか?

比良トピアバス廃止でバス路線への願いが切実に2007/10/14

いろんな人にバスへの期待を聞いてみた。

大津市と合併するまえに、志賀町には
比良トピアという温泉(たしか町立)のために
循環バスが出ていた。
町民へのサービスという形なのだろう。

そのバスは、南北に長大な志賀町を
上手にカバーしていた。
比良トピア自身が北部にあったので、
人口密集地の南部から通えるようにと
いうわけで。
その路線は、国道161号線上に
バス停があり、アクセスにも便利。

本来の目的とは別に、
町民の買い物(和邇平和堂)や
通院(国立比良病院→日赤分院に変更など)
に使えた。
ところが合併で廃止。

町民の足がなくなった。

そもそも旧志賀町北部には、スーパーなどのお店がない。
病院もない。
高齢化してくると、車が使えない。
タクシーはカネがかかるし、息子・娘に頼むのも
気苦労が多い。

だから、公共交通への期待は大きいのだ。
期待というより、切実な要求といえる。

大江循環バス2007/10/14

大津市の大江。
学区で言えば、瀬田学区。
そこに、近江鉄道バスが「大江循環バス」を運行しています。

これが、大江学区(大江財産区)がお金を出して、
運行させているバス。
こういう方法(お金がある地域では)で、
足を確保している場合もあるのです。

ちなみに、近江鉄道バスのサイト
ここに入って、時刻表をクリックし、大津を選ぶ。
http://www.ohmitetudo.co.jp/bus/

バス問題はなぜ深刻になったのだろう2007/10/13

関係する論文を読むとかたい言葉がたくさんでてきます。
で、結局なんなんだって思うのです。

それで、自分の言葉に直して行こうと思います。

どうして市民の足が奪われるようになったのか?

第一、「車社会」になったから。
    マイカーを乗り回すようになった。
    このおかげで、バスや鉄道に乗らなくなった。

第二、高度成長の結果、過疎過密問題。
    人の乗らなくなった過疎地域で
    廃線が続く

第三、規制緩和
    貧困な交通対策のうえに、
    勝手に参入し、勝手にやめていいことになった。

  2000年2月は
    参入規制  免許制→許可制
    休廃業   許可制→一年前の事前届出制
    運賃     認可制→上限認可範囲内の事前届出制
  2002年2月
    乗り合いバス事業の規制緩和
     廃止は、六ヶ月前に届ければいいことになる。

   要するに、自由に参入できるので、競争が激化し、
   儲からないところは廃止しないとやっていけない。
   その結果、被害をこうむるのは、住民ということ。

これにまた別の要因が働く。

第四、市町村合併。
     これまで独自に行われていたバスが廃止された。
     平等の名のもとに、地域の事情で工夫されてきた
     バスがすっかり廃止されてしまう。

第五、高齢化社会
     マイカーに依存してきた層が高齢化で
     交通手段をもたない層へ
     認知症ドライバー問題など。

だいたいこんな内容かな?

付け加えるとしたら、

第六に、近くお店が廃業
     これまで以上に、歩いて買い物ができる暮らしが
     破壊されていき、交通手段の重要性がます。

くりちゃんバス2007/10/10

滋賀県の栗東市がコミュニティ・バスを運行しています。
2003年5月1日からだそうです。

栗東市のHPのアクセスしたあと、ネットで検索すると、
ウィキペディアに掲載されているんですねぇ。

知り合いの市議会議員の方にこのバスについて
教えていただこうと電話しました。

その方のお話はだいたい以下の通りでした。

①コミュニティ・バスを市が走らせるきっかけと
 なったのは、既存の路線バスの廃止。
 住民の足がなくなったことが出発点。

②署名運動は行われなかったが、
 議会で繰り返し質問した結果
 栗東市が決断をした。
  周辺の都市で行っていることもあり、
  やらざるをえなかったと  思われる。

③問題点はある。

  その1 土日は運行しない
  
その2 すべての地域を回るわけではない。
       
不平等があり、「空気を運んでいる」と
       いう批判があるが、
       年々利用客は増えている。
  
その3 全市を循環するコースがつくれない。
       希望する路線は、JR駅への直行コース。
       それがない。循環すると時間がかかる。
 
  その4 料金は一律200円。
       70歳以上の無料パスもある。
       しかし、当初は年間60枚の無料パスも
       48枚に削られ
       今年は、36枚にされた。

  その5 駅への直行がないので、乗り継ぐ必要がある。
       乗り継ぐと100円加算される。
       つまり、直行バスがあると200円でいけるが、
       それがないために、300円かかるということ。

などなどでした。

唐崎地域の公共交通を考えバスを走らせよう準備会(仮称)2007/10/09

バス路線が廃止され閑散とするJR湖西線唐崎駅バス停留所
上のような名称の会が作られようとしています。
事務局のTさんから案内をいただきました。

日時 10月28日(日)午後2時から午後4時30分まで
会場 唐崎市民センター一階中会議室
内容 バス再生をめざして全国の経験に学ぶなど

*****************************
●バス問題

私がバス問題に関心をもったのは、2005年の高島市の
合併のときでした。それまで、マキノ町や安曇川町で
あった「ふれあいバス」などが廃止にされる方向が
だされたときでした。
それは、まちがっていると強く思いました。
同じことが、2006年3月、志賀町と
大津市の合併のときにも、起こりました。
比良トピアバスです。
2006年6月には、唐崎駅発着のバス路線の廃止などが
相次ぎました。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/05/29/1540255
この会は、それを直接の基点としています。

●いま大津市の各地で運動がはじまる

私は、先日富士見のバス問題を考える会に参加してきたところです。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/22/1814230

重要なことですので、唐崎の会にも参加したいと思っています。

★バス問題だけのカテゴリーをつくることにします。
 上の写真は、バス路線が廃止され(堅田方面だけ一日一便のみ)
 バス停が閑散としているJR唐崎駅の様子

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)