
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
バスもお店も失われていくまちでいいのか! ― 2007/09/22
バス問題の懇談会に出かけてきました。
十数名の方が参加されていましたね。
すでに数年前にも、「大津の山手を循環するバス路線をつくってほしい」という話はあったそうですね。
しかし、バス会社と交渉しても、採算がなりたたないためにダメ。行政は援助金を出す気がない、というところで、行き詰まったわけです。
それ以降進んだことは、まずは高齢化。
山手に開発された団地は、車を運転できる年代のときは問題にならなかったことが、高齢化とともに生活に困難をきたすようになりました。移転してでも、便利な琵琶湖岸へ移りたいという声がでるようになったとか。
つぎに、願いに逆行してバス路線がつぎつぎに廃止されたこと。
去年は2路線が廃止になりました。
バス路線を増やしてという住民の願いがあるのに、なぜ廃止なのか?
不思議な気がします。
でも、バス路線は、高齢者だけで採算がとれるわけがないのです。普通に生活している世代は、いまでもバスではなく、自家用車を乗り回しています。若い世代は、ますますそうでしょうね。
幅広い世代がバスを利用しない限り、高齢者だけが切実でも、採算ベースには乗らないのです。
それにバス会社の意識の変化があるのかも知れません。
ある程度採算度外視して社会に尽くすという立場より、厳しく採算性を求められるようになったんでしょう。規制緩和で、参入が容易になったことも、競争を激化させている要因の一つ。
行政の姿勢も大事な要因です。
高齢者の無料パスを発行している自治体はいくつもあります。
巡回バスを運行したり、補助しているところもあります。
しかし、大津市には、その思いがありません。これも、大事なポイントです。
最後に、近場のスーパーの閉店。
ここ数年、つぎつぎと閉店。中心商店街がシャッター通り化するだけではなく、それぞれの地域の中核的なスーパーがなくなるのは、目立つ現象です。現に、いまバス問題の懇談をしている地域でも、この15日に閉店が起こったばかりです。
足をもたない高齢者や地域住民の需要だけでは、採算がとれないのです。
さらに、重大な危機が待っています。それは、参加者のひとりが強調されていましたが、イオンモールのような超大型の複合商業施設がまもなくできるかも知れないからです。
そうなれば、地域のお店がつぎつぎとつぶれる事態は加速していくでしょう。
バス問題の懇談会でしたが、バス問題だけにかぎらず、お店がほしいという声がつぎつぎと出ました。
「モリタがなくなり、ミキがなくなった。そして、今度は生協!生鮮食料品が自分で買いにいけず餓死してしまう」とさえおっしゃいました。
「いまは車があるけれど、使えなくなったら、どうしていいかわからない。」「他の人の車に乗せてもらって毎週2回ほど買い物に行っている」
「バスで買い物に行くのに、その時間にあわせなくてはならないので、車ならすぐのところなのに、行くだけで1時間も2時間もかかる」
私は、「困難さも多様だし、思いも多様。解決方法も、いろいろありそうですから、もっと地域住民の間で話し合い、知恵を出し合って、バス会社や行政とも協力できる案を練り上げて、立ち向かう必要がある」と思ったので、そういう発言をしました。
地元の議員さんも尽力したいと発言されましたし、私も知恵と力を出したいと思いました。
十数名の方が参加されていましたね。
すでに数年前にも、「大津の山手を循環するバス路線をつくってほしい」という話はあったそうですね。
しかし、バス会社と交渉しても、採算がなりたたないためにダメ。行政は援助金を出す気がない、というところで、行き詰まったわけです。
それ以降進んだことは、まずは高齢化。
山手に開発された団地は、車を運転できる年代のときは問題にならなかったことが、高齢化とともに生活に困難をきたすようになりました。移転してでも、便利な琵琶湖岸へ移りたいという声がでるようになったとか。
つぎに、願いに逆行してバス路線がつぎつぎに廃止されたこと。
去年は2路線が廃止になりました。
バス路線を増やしてという住民の願いがあるのに、なぜ廃止なのか?
不思議な気がします。
でも、バス路線は、高齢者だけで採算がとれるわけがないのです。普通に生活している世代は、いまでもバスではなく、自家用車を乗り回しています。若い世代は、ますますそうでしょうね。
幅広い世代がバスを利用しない限り、高齢者だけが切実でも、採算ベースには乗らないのです。
それにバス会社の意識の変化があるのかも知れません。
ある程度採算度外視して社会に尽くすという立場より、厳しく採算性を求められるようになったんでしょう。規制緩和で、参入が容易になったことも、競争を激化させている要因の一つ。
行政の姿勢も大事な要因です。
高齢者の無料パスを発行している自治体はいくつもあります。
巡回バスを運行したり、補助しているところもあります。
しかし、大津市には、その思いがありません。これも、大事なポイントです。
最後に、近場のスーパーの閉店。
ここ数年、つぎつぎと閉店。中心商店街がシャッター通り化するだけではなく、それぞれの地域の中核的なスーパーがなくなるのは、目立つ現象です。現に、いまバス問題の懇談をしている地域でも、この15日に閉店が起こったばかりです。
足をもたない高齢者や地域住民の需要だけでは、採算がとれないのです。
さらに、重大な危機が待っています。それは、参加者のひとりが強調されていましたが、イオンモールのような超大型の複合商業施設がまもなくできるかも知れないからです。
そうなれば、地域のお店がつぎつぎとつぶれる事態は加速していくでしょう。
バス問題の懇談会でしたが、バス問題だけにかぎらず、お店がほしいという声がつぎつぎと出ました。
「モリタがなくなり、ミキがなくなった。そして、今度は生協!生鮮食料品が自分で買いにいけず餓死してしまう」とさえおっしゃいました。
「いまは車があるけれど、使えなくなったら、どうしていいかわからない。」「他の人の車に乗せてもらって毎週2回ほど買い物に行っている」
「バスで買い物に行くのに、その時間にあわせなくてはならないので、車ならすぐのところなのに、行くだけで1時間も2時間もかかる」
私は、「困難さも多様だし、思いも多様。解決方法も、いろいろありそうですから、もっと地域住民の間で話し合い、知恵を出し合って、バス会社や行政とも協力できる案を練り上げて、立ち向かう必要がある」と思ったので、そういう発言をしました。
地元の議員さんも尽力したいと発言されましたし、私も知恵と力を出したいと思いました。
お店が消えていく不安と向き合って ― 2007/09/18
まちが壊れていく悲しさ、寂しさ、不安・・・そういうものを主題にして、ブログを書いていました。
たとえば
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/24/1601336
今月は、「軍都・大津」を追いかけていることが多かったのですけれど。
地方都市の衰退は、いちじるしいのです。
人口が増加している大津市でさえ、そうなのです。
2007年のはじめのワコーの倒産。
大津市内に8箇所ありました。
その一部は、別会社が再開していますが、
もうからないところはそのままです。
昨日聴いた話は、富士見学区というところで、生協のお店が閉店したこと、地域住民が真剣にそのあとに別の経営主体で再開してもらえるように努力したこと、結局、それがならなかったなどのことです。
では、どうするのか。
住民の方は、せめてバス路線をつくってほしいとのことらしいです。
明日、時間が許せば取材してきたいと思います。
私もよく知っているお店ですから。
たとえば
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/24/1601336
今月は、「軍都・大津」を追いかけていることが多かったのですけれど。
地方都市の衰退は、いちじるしいのです。
人口が増加している大津市でさえ、そうなのです。
2007年のはじめのワコーの倒産。
大津市内に8箇所ありました。
その一部は、別会社が再開していますが、
もうからないところはそのままです。
昨日聴いた話は、富士見学区というところで、生協のお店が閉店したこと、地域住民が真剣にそのあとに別の経営主体で再開してもらえるように努力したこと、結局、それがならなかったなどのことです。
では、どうするのか。
住民の方は、せめてバス路線をつくってほしいとのことらしいです。
明日、時間が許せば取材してきたいと思います。
私もよく知っているお店ですから。
公営ギャンブルと無料バス Ⅳ 西大津駅 ③時刻表 ― 2007/07/02

JR西大津駅から、競艇場へむかう送迎バスの時刻表です。
JR大津駅では、時刻表はありましたが、
実際は、満杯になればつぎつぎ発車していきました。
JR大津駅では、時刻表はありましたが、
実際は、満杯になればつぎつぎ発車していきました。
公営ギャンブルと無料バス Ⅳ 西大津駅 ②はずれに発見 ― 2007/07/02

JR西大津駅から、公営ギャンブル場行きの送迎バス停は、
ふうつのバス停から少し離れた場所にぽつんとありました。
JR大津駅に比べて、地味でした。
これがそれ。
ふうつのバス停から少し離れた場所にぽつんとありました。
JR大津駅に比べて、地味でした。
これがそれ。
公営ギャンブルと無料バス Ⅳ 西大津駅 ① ― 2007/07/02

公営ギャンブル場へむかう送迎バスは、西大津駅からも
出ています。
これが西大津駅。
そこで、競艇場行きのバス停を探しました。
出ています。
これが西大津駅。
そこで、競艇場行きのバス停を探しました。
公営ギャンブルと無料バス Ⅲ JR大津駅 ⑥つぎつぎとバスは待機 ― 2007/07/02

JR大津駅から競輪・競艇場への送迎バス。
開催日ともなると、バス停で2台が待機して
つぎつぎ発車していきます。その後ろには
常時3台が待機しています。
開催日ともなると、バス停で2台が待機して
つぎつぎ発車していきます。その後ろには
常時3台が待機しています。
公営ギャンブルと無料バス Ⅲ JR大津駅 ⑥開催日は続々と ― 2007/07/02

JR大津駅の競輪・競艇への送迎バス乗り場は、
開催日となると人が続々つめかけてきます。
JR大津駅からバス停へ人の列がつづきます。
開催日となると人が続々つめかけてきます。
JR大津駅からバス停へ人の列がつづきます。
公営ギャンブルと無料バス Ⅲ JR大津駅 ⑤無料の文字 ― 2007/07/02

JR大津駅からの公営ギャンブル無料送迎バス停の様子。
近づいて、看板を見ると・・・「無料」の文字が見えます。
近づいて、看板を見ると・・・「無料」の文字が見えます。
公営ギャンブルと無料バス Ⅲ JR大津駅 ④乗り場の様子 ― 2007/07/02

JR大津駅の公営ギャンブルへの無料送迎バス。
その乗り場の様子はこんな感じです。
このときは、だれもいませんでした。
その乗り場の様子はこんな感じです。
このときは、だれもいませんでした。
公営ギャンブルと無料バス Ⅲ JR大津駅 ③乗り場 ― 2007/07/02

JR大津駅の公営ギャンブル場への無料バス。
案内表示の先には、こんな乗り場があります。
ところで、右に見える白いフェンスはKOBANの建設のためのものです。
写真を撮ったときにはありましたが、いまはありません。
案内表示の先には、こんな乗り場があります。
ところで、右に見える白いフェンスはKOBANの建設のためのものです。
写真を撮ったときにはありましたが、いまはありません。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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