お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ワンコを連れて宵宮へ2011/10/09

ワンコを連れて宵宮へ
予想外に早めに仕事を終えて、大津祭りの宵宮にでかけることができました。いつもは人通りの少ない街路に人があふれ、とても、ワンコの散歩しながらの鑑賞は無理でした。抱きかかえて、すぐにUターン。

これは鍾馗ではなく、恵比寿ですね2011/07/30

これは鍾馗ではなく、恵比寿ですね
ブログ「鍾馗を尋ねて三千里」に刺激されて探したこともありますが、このブログの管理人さんのように、執念がつづくものではありません。竹田市を歩いたときのこと、屋根の上に、写真のような像を見つけました。・・・しかし、鍾馗さんには見えません。恵比寿さん??

『聯隊史』に掲載された広告② ~『花王石鹸』~2010/11/16

『聯隊史』に掲載された広告② ~『花王石鹸』~
おなじく『第九聯隊史』に掲載された広告。花王石鹸は、いまもありますね。これもまた、軍人。キャッチコピーが時代を感じさせます。

『聯隊史』に掲載された広告 ~『アサヒビール』~2010/11/16

『聯隊史』に掲載された広告  ~『アサヒビール』~
 図書館で帝國聯隊史刊行會が発行した『歩兵第九聯隊史』(大正7年3月)を見ていたとき、最後のページに、広告を見つけました。いかにもこの本らしく、軍人が登場しています。

散歩道に「犬塚」2010/10/24

散歩道で「犬塚」
散歩道に「犬塚」があります。
ずっと昔から見慣れたもの。
あまり大事にされて
こなかった遺跡。

しかし、ひさしぶりに見ると、 防護柵ができていて、
近くからは大きな木の
全体を見ることができません。

言語の発見と消滅2010/10/21

CNN.co.jpを見ていたら、言語についてのニュースがあった。タイトルは、『インド奥地で未知の言語見つかる 使用者わずか800人』
 記事を読むと「アカ語」の採取の途上で発見されたらしい。未知の言語は「ロコ語」。両者の違いを際だたせるとき、つぎのような表現が使われた。
チームを率いる米スワースモア大学のデービッド・ハリソン准教授は「アカ語とコロ語の響きには、英語と日本語ほどの大きな違いがある」と指摘する。
 こういう場面での日本語の登場に驚いたのだが、アメリカの一般人にはわかりやすい比喩なのだろう。それよりも、ニュースの結びを読んだとき、さらに深く考えさせられるものがあった。
研究者らによると、世界では2週間ごとに1つの言語が消滅している。現在使われている6910の言語のうち、2100年には半数以上が消滅する見通しとされる。
生物学的多様性もそうだが、言語の多様性を守ることも、人類的な課題ではないか。

巡行を終えて山車がもどってきます@大津祭り2010/10/11

巡行を終えて山車がもどってきます@大津祭り
10月10日は、大津祭りの山鉾巡行。

一番賑やかな祭りですが、年中行事なので、
出かけるつもりはありませんでした。

巡行が終わった夕方に、
クーと一緒に散歩に出かけました。

そして、各町の格納場所に
戻る山車のいくつかに出会いました。

もちろん、お囃子は続いていました。

クーは気の毒に、一時的に
歩かせてもらえませんでした。

フランス、イギリス、アメリカの友人が寄贈したフェノロサの墓碑2010/10/05

フランス、イギリス、アメリカの友人が寄贈したフェノロサの墓碑
アーネスト・フェノロサの墓碑は、
大津市の法名院に
ひっそりと置かれています。

ほとんど訪れる人もないと思われます。
その墓碑は、日本人が建てたものではありません。
彼の人柄と業績を惜しむ国際的な友人が
寄贈したものです。

墓碑の前にある石柱。
その碑文には、つぎのように刻まれています。

THE STONE OBJECTS
ARE DEDICATED BY

GASTON MIGEON
FRANCE,

LAURENCE BINYON
GREAT BRITAIN,

ARTHUR WESLEY DOW
U. S. A,

HARLES L.. FREER
U. S. A.

それぞれの国名が誇らしく見えて、
なんとも心が熱くなる思いがしませんか。

明治までの日本文化が絆となったのですね。

フェノロサの墓碑と寄贈者の石柱モニュメント2010/10/05

フェノロサの墓碑と寄贈者の石柱モニュメント
フェノロサの墓碑については、
ずいぶん前に書きました。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/17/1803422

上がその全景です。

右手に小さな石柱が見えます。
「2001年宇宙の旅」の
モノリスのような形です。

そこに注意を向けました。

William Sturgis Bigelow の墓碑文2010/10/05

William Sturgis Bigelow の墓碑文
大津市には、フェノロサの墓碑があります。
そしてその隣には、William Sturgis Bigelowの墓碑。
HERE AND IN HIS NATIVE LAND AMERICA, LIE THE ASHES OF WILLIAM STURGIS BIGELOW. A FOLLOWER OF THE BUDDHA, KNOWN IN RELIGION AS GESSHIN KOJI., A PUPIL OF SAKURAI AJARI, A SUPPORTER OF HOMYO-JI, A DOCTOR OF MEDISINE, A LOVER AND COLLECTOR OF THE FINE ARTS OF JAPAN, A RECIPIENT OF THE ORDER OF THE RISING SUN.. HIS LIFE WAS DISTINGUISHED BY HIGH THOUGHTS AND BY THE GIFTED OF SYMPATHY . HE WAS EVERYWHERE BELOVED AND HONORED MOST BY THOSE WHO KNEW HIM BEST.
APRIL 4TH, 1850-OCTOBER 6TH, 1926


 ビゲローは、日本語版のWikipedeiaに項目としてあがっていません。英語版なら、あります。William Sturgis Bigelow

 その国の人々や文化を愛する人が愛国者とするならば、私は愛国者です。同時に、外国の人々や文化も大事に思っていますし、それは矛盾しません。
 日本人に生まれなくても、外国生まれのすぐれた愛国者が現在にも過去にも存在します。フェノロサやビゲローなどのように。排外主義とは、こういう事実を見ない人たちのことだと思います。
 その国の文化や自然が好きだからといって、その国の政府におもねる必要はりません。その国の政府や国民と、ある問題で---たとえば領土問題--意見が違っても、交流の妨げになるとは思えません。
 そんなことを、この碑を見ながら、考えました。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)