お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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大津市の中学生自殺事件2012/07/10

名前は公にされていませんが、
私の昔々の母校です。
その点から、私的にも、一言いうべきだと思いました。

当局の記者会見を見ての印象ですが、
「いじめとの因果関係はない」
という立場が先にありきで、
事実の追及があいまいにされた
としか思えません。

ただ、根は浅くはありません。
全国各地で、心痛む事件がおきています。
弱肉強食の社会がもたらずゆがみを
ただす大人の勇気が必要だと思います。

休日の楽しみは「ドッグラン」2011/05/10

ドッグランにて
 わが家は、ヒト4、ネコ3、ワンコ1という構成。
 ネコやワンコはずっと家にいますが、ヒトの方は、仕事や大学やバイトのために、帰宅時間がバラバラの生活です。たまに深夜に同じ時間に帰宅する場合があります。そこで、にぎやかに夕食。そのにぎわいのせいか、ネコも全員集合、ワンコ(もともと居間に住まいがある)とあわせて、8哺乳類家族が勢ぞろい。
 騒ぎすぎでお隣が迷惑したかも知れません。

 家族が休日を過ごすのは、ドッグラン。もしくは、ワンコのための教室。シバのクーが絆の役割を果たしています。

 上の写真は、ドッグランで、大型犬(シベリアンハスキー?)と遊ぶクーです。大型犬が好きで、自分から挑発して、逃げ回って楽しんでいる様子です。

それにつけても、大震災で取り残され、亡くなった動物たちには心が痛みます。飼い主さんたちの思いはどれほどつらかったでしょう。

滋賀県教育委員会が高校統廃合計画の実施を一年延期を表明2010/12/08

 今年7月の知事選で、公立高校の統廃合問題が争点になりました。その後、署名運動などが行われ、県教育委員長は、現在開催中の議会で今年度の実施はあきらめ、来年度以降に延期すると述べたそうです。
 私は歓迎します。
 この議論のなかで、あらためて高校が地域の拠り所となっていることを知りました。同時に、生徒数が減少するという根拠も失われたなかで、実施が断念されることないことを考えれば、運動は続けることが大事だと思います。
 滋賀県では、びわ湖空港、新幹線新駅、大型産廃施設など、無駄遣いや環境破壊の計画に対して、住民運動で対抗して、それらを止めるということが続いています。誇れることだと思います。

小学校の統廃合の波のなかで2009/10/22

全校生徒は88名
 話をきいていると、「甲賀市立小中学校の適正規模及び適正配置に関する基本的な考え方について(答申)」が、今年の6月に出されたそうです。見せていただきましたが、「小学校については、 各学年2学級程度を理想」「確保が困難である場合には、学校の再編等を行う」と明記されています。
 住民との合意を大切にするとも書かれていますが、こういう答申自身が統廃合への布石となっているのだと思います。
 地域にとっては、かけがえのない中心であり、思い出が共有される場所だと思います。もちろんそれだけではないでしょうけれど。
 少人数化を歓迎する人もいれば、より多数のなかで育ってほしいという人もいることでしょう。財政上の理由というのは、ありえるかもしれませんが、強権的な対応ではなく、子ども達の育ち合いをなによりも大事にすべきことだと思います。
 私には、少ない人数が、いけないこととは思えません。

沖縄県「教科書検定意見撤回を求める県民集会」上京し要請2007/10/16

15日に、沖縄から県民集会の代表が、首相官邸を訪問して、要請文を手渡した。この行動が、マスコミや新聞紙上で大きく取り上げられていないことに、憤りを感じる。

以下は、沖縄タイムスの記事。

*************************
政府、具体策言及せず/教科書検定 再要請

 【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した教科書検定問題で、十一万人が参加した県民大会の要請団約百七十人が十五日上京し、仲里利信実行委員長(県議会議長)ら代表十一人と県関係国会議員が首相官邸で大野松茂官房副長官と会談した。検定意見の撤回と記述の回復を含めた四項目を要望。大野副長官は「要望の一つ一つを認識しながら重いものとしてしっかり受け止める」と述べる一方、具体的な対応策に言及しなかった。
 会談は非公開で行われ、仲里委員長は会談後、記者団に「正直なところ、前回の要請とあまり変わりがなかった」と失望感を表明。大野氏が「県民の多くが(大会に)集まったことを政府として重く受け止める」と述べた三日の会談から、官邸の対応に進ちょくがなかったことを強調した。仲里委員長は「(大野氏から)具体的な回答があれば『何回答』『何%』と言えるが、そういうことを言っていないので…」と述べ、実質的な“ゼロ回答”だったとの認識を示した。
 一方で、大野氏から「渡海紀三朗文部科学相に皆さんの意をくんだ形で対処してほしいと伝える」との発言もあったと紹介。これに対しては「大変、ありがたく思う」と謝意を表した。
 要請団の要望は(1)検定意見の撤回と記述の回復(2)教科用図書検定調査審議会の速やかな再開催(3)審議の公開と審議会への沖縄戦研究者の参加(4)沖縄条項の確立―の四点。いずれにも、明確な回答はなかった。
 会談に同席したのは県PTA連合会の諸見里宏美会長、沖縄の未来を語る会(二十二の旧制学校同窓会で構成)の大浦敬文事務局長らと、県関係国会議員九人。諸見里会長は、東中学校の生徒が検定意見の撤回を求める意見書可決を東村議会に要望したことをきっかけに、PTAが活動に加わった経緯を説明。「最初に声を上げた子どもたちの指摘で運動が盛り上がった」として、県民運動の広がりを強調した。大浦事務局長は「沖縄戦の体験者の声を聞いてほしい」と訴えた。
 仲村正治氏(自民)、照屋寛徳氏(社民)、赤嶺政賢氏(共産)の各衆院議員と喜納昌吉氏(民主)、山内徳信氏(社民)、糸数慶子氏(無所属)の各参院議員も発言した。要請団は十六日、数グループに分かれて各政党や教科書会社などを訪ねる。

県、九州知事会に決議案

 沖縄戦での「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した高校歴史教科書検定問題で、仲井真弘多知事が十八日に那覇市内で開かれる九州地方知事会(会長・金子原二郎長崎県知事)に、県が政府に要望している検定意見の撤回と記述回復などについて、「県の要望に対して真摯な対応」を国に求める決議案を提案することが十五日、分かった。
 決議案では、教科書検定問題をめぐって、県議会や県内全市町村議会で、検定意見の撤回と記述回復を求める意見書が可決されたことや、県内の各界・各層を網羅した超党派による県民大会が開かれたことなどを明記。
 その上で九州地方知事会として、国に対し「沖縄県の教科書検定意見に関する要望に対して真摯な対応」を要望している。同案は全会一致で可決される見込み。
 同知事会には山口県を含む九州各県の知事が参加する予定。

「集団自決」問題で文部科学省が検定見直しを開始2007/10/02

 9月29日の沖縄県民の11万人が参加する大会が、政府を揺るがし、軍の関与を認める方向で検討が開始されました。
 これは、参議院選挙での自民・公明政権の大敗北、
安倍政権の無残な週末と無関係ではないと思われます。
 世論が政治を正していく、この流れをさらに広げたいものです。

「集団自決」の実際を語る生存者の方の話は、衝撃的でした。
それに突き動かされない人はいないと思われます。
軍は、他国民を聖戦の名のもとに虐殺しただけではなく、
自国民をいかに追い詰めていくものなのか。
これらの人たちの体験は、
動かすことのできない事実の重みがあります。

その事実を、教科書検定という形で抹殺することと、
靖国神社の公式参拝、
防衛庁の防衛省への昇格、
憲法改悪、
イラク特措法などは、一連のものです。

現在の日本軍は、かつて激しく戦った米軍とともに、
なぐりこみ戦略のもとで海外派兵を
主任務にするように変質しました。
政府は、国民の納得と参加をえるために、
執拗に歴史を改ざんするのです。

2018年にはこれらの生き証人が
いなくなるといわれてます。
同じ過ちを繰り返さないためにも、
教科書からの削除は
許されることではありません。

沖縄の熱い大会を見て、
私は、戦争の真実を明らかにし、
過去の戦争を美化し、
新たな犠牲者を生み出そうという流れを
追い詰めていくために、
少しでも役立ちたいと思うのです。

修身の教科書には天皇の詔書2007/08/31

きれいに保存されている修身の教科書。
自分の目を疑うような記述がそこにあります。
文献や父母の話から知った戦前と戦争。
それがモノとして目の前につきつけられると、また違った迫力があります。
モノを大切に残すことの意味が納得されます。

「優等生全科参考書」の内容は軍事一色2007/08/31

 ミニ戦争展は、手にとって見ることができます。
私が見ていると、声をかけてくる高齢の女性がいて、説明するでもなく、語っていただけました。
 この本は、修身の参考書ってことなんでしょうか?

ミニ戦争展を見てきました2007/08/31

 大津市の北部にある介護施設「日和の里」で、ミニ戦争展が開かれていました。8月いっぱいで終わりなので、ぎりぎりですが、見に行ってきました。
 入り口の喫茶の隅に、コーナーが設けられ、戦前の写真や教科書などが展示されていました。
 上の写真は、修身の教科書と優等生全科参考書。

学習船「うみのこ」でした2007/08/22

今津港に停泊中の船は、学習船「うみのこ」でした。
1983年8月から、県内の小学校5年生全員が一泊二日の学習航海をしているのです。
 うちの息子さん二人ももちろん体験した旅です。

http://www.pref.shiga.jp/edu/content/05_pr/pr-mag/2003/09/05.html

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)