
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
幸福の押しつけはよくない ― 2011/09/10
湖西道路の騒音対策で「前原大臣に、要望書」と「住民の会」ニュース ― 2009/10/26
騒音の消えた街・・・・ ― 2009/06/29
大型公共事業で変貌する地域 ダムと第二名神と県道と ― 2008/09/08
公共事業が集中して、河川と森林の地域が
大きく変貌していく姿を見ることができます。
2008年6月の写真です。
遠景なのでクリックしていただければと思います。
大津市上田上の大鳥居は、ダム建設のために
集落がまとめて移動した地域です。
その地域の変貌の起点となった大型公共事業を
ひとつの写真に収めてみました。
もっと、いい場所があるかも知れないし、
上手な写し方もあるでしょうけれど。
山手を横断して伸びる第二名神。
その少し下手に平行して建設中の県道。
写真の右手の土盛は、大戸川ダム建設用の土砂。
それぞれを個別に見ると

第二名神は、上のような特徴的な橋梁に支えられています。

県道は付け替え工事です。それまでの県道に平行して
より高いところを通ります。しかし、工事はストップしています。
この場所では、白い橋梁だけが道路の存在を示唆するだけ。
左上の赤いものは、第二名神。

ダム用の土砂は、上記のように相当な量です。
最後にもう一度全体。

こっち↑の写真のほうがわかりやすいと思います。
レンズの真ん中に汚れがあって、
ぼけているのが残念。
天候はよくなかったので、暗めに写っています。
この地域が巨大な変貌を遂げたことは、
これだけでもわかると思います。
原風景を写した写真をもっていないのが残念ですが。
大きく変貌していく姿を見ることができます。
2008年6月の写真です。
遠景なのでクリックしていただければと思います。
大津市上田上の大鳥居は、ダム建設のために
集落がまとめて移動した地域です。
その地域の変貌の起点となった大型公共事業を
ひとつの写真に収めてみました。
もっと、いい場所があるかも知れないし、
上手な写し方もあるでしょうけれど。
山手を横断して伸びる第二名神。
その少し下手に平行して建設中の県道。
写真の右手の土盛は、大戸川ダム建設用の土砂。
それぞれを個別に見ると

第二名神は、上のような特徴的な橋梁に支えられています。

県道は付け替え工事です。それまでの県道に平行して
より高いところを通ります。しかし、工事はストップしています。
この場所では、白い橋梁だけが道路の存在を示唆するだけ。
左上の赤いものは、第二名神。

ダム用の土砂は、上記のように相当な量です。
最後にもう一度全体。

こっち↑の写真のほうがわかりやすいと思います。
レンズの真ん中に汚れがあって、
ぼけているのが残念。
天候はよくなかったので、暗めに写っています。
この地域が巨大な変貌を遂げたことは、
これだけでもわかると思います。
原風景を写した写真をもっていないのが残念ですが。
『ダムと森林を考えるシンポジウム』@大津市 ― 2008/09/08
どす黒く汚れた色が鍾乳石の元の色なのか!? ― 2008/08/23
溶け出す鍾乳石?@秋芳洞 ― 2008/08/23
風連鍾乳洞をあとにして ― 2008/08/22

鍾乳洞の出口から、外へ出る。
いきなりメガネが曇って、なにも見えない。
洞窟内の温度は低く、外は蒸し暑い。

人間がこの洞窟を発見し、
多くの人の目に触れるよう
開発(整備)しなければ、
ずっと閉鎖された空間であり、
美しいままに残ったはずの場所である。

洞内の鍾乳石にこびりついたコケが
気になって仕方がなかった。
頭を高松塚古墳の運命がよぎる。
いきなりメガネが曇って、なにも見えない。
洞窟内の温度は低く、外は蒸し暑い。

人間がこの洞窟を発見し、
多くの人の目に触れるよう
開発(整備)しなければ、
ずっと閉鎖された空間であり、
美しいままに残ったはずの場所である。

洞内の鍾乳石にこびりついたコケが
気になって仕方がなかった。
頭を高松塚古墳の運命がよぎる。
「滋賀県立 朽木いきものふれあいセンター」見学 ― 2008/08/02
イオンモール出店反対と地球温暖化対策が重なる日 ― 2008/06/24

ここ数日の梅雨空とはうってかわって、午後から、日差しがとても強くなりました。事務所経費節約や地球温暖化のために、3階立ての事務所は、窓を開け放し、スダレが掛けてあります。排気ガスや工場排煙には困りますけれど。
なんか地球温暖化対策熱中モードになっていますが、先日の「STOP地球温暖化」シンポジウムのパネラー・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・センター長(京都大学名誉教授)の内藤正明さんが作成したパンフがとても面白かったのです。
上下二段で、ありえる未来像が併記されています。上段は、食糧自給、太陽光発電や歩いて生活できるまちづくり。下段は、大量生産・大量消費、高度な輸送手段と原子力発電。車社会を前提とした郊外型大型複合商業施設がならぶまち。
あなたはどっちの未来を選びますか・・・というものです。
「化石燃料はなくなります。化石燃料がなくなれば、車はなくなります。車がなくなれば、郊外型のショッピングセンターがなくなります。そんなものがいらない社会にしないと・・・」という温厚な容姿とはかけ離れた過激で断定的なお話でした。「このようにしなければ、目標数値は絶対達成できません」
これって、私たちが《イオンモール出店反対とまちづくりを考える会》で議論してきたことと同じなんです。当面、まちづくりでも訴えてきましたが、交通渋滞はやめてくれという一致点を中心にした世論に支えられてきました。交通渋滞は重大です。でも、そういう対症療法だけではなく、めざしているのは根本療法、つまり、だれもが安心してくらせるまちづくり、地産地消のまち。自然と共存し、あるいていける距離に身近な商店街をはぐくむまちなのです。
そういう構想が、地球温暖化対策と多くの一致点があるという発見は、私たちの主張に未来があると確信できた日でした。
なんか地球温暖化対策熱中モードになっていますが、先日の「STOP地球温暖化」シンポジウムのパネラー・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・センター長(京都大学名誉教授)の内藤正明さんが作成したパンフがとても面白かったのです。
上下二段で、ありえる未来像が併記されています。上段は、食糧自給、太陽光発電や歩いて生活できるまちづくり。下段は、大量生産・大量消費、高度な輸送手段と原子力発電。車社会を前提とした郊外型大型複合商業施設がならぶまち。
あなたはどっちの未来を選びますか・・・というものです。
「化石燃料はなくなります。化石燃料がなくなれば、車はなくなります。車がなくなれば、郊外型のショッピングセンターがなくなります。そんなものがいらない社会にしないと・・・」という温厚な容姿とはかけ離れた過激で断定的なお話でした。「このようにしなければ、目標数値は絶対達成できません」
これって、私たちが《イオンモール出店反対とまちづくりを考える会》で議論してきたことと同じなんです。当面、まちづくりでも訴えてきましたが、交通渋滞はやめてくれという一致点を中心にした世論に支えられてきました。交通渋滞は重大です。でも、そういう対症療法だけではなく、めざしているのは根本療法、つまり、だれもが安心してくらせるまちづくり、地産地消のまち。自然と共存し、あるいていける距離に身近な商店街をはぐくむまちなのです。
そういう構想が、地球温暖化対策と多くの一致点があるという発見は、私たちの主張に未来があると確信できた日でした。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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