お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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幸福の押しつけはよくない2011/09/10

 山手を開発して生まれた仰木の里、仰木の里東の住宅地。琵琶湖を一望にできる緑豊かな環境に惹かれて入居した人が多数。しかし、近年、住民生活に影を落とす出来事が相次いでいる。バイパス無料化による騒音問題など。 いま大問題は、「幸福の科学」学園の建設計画。

湖西道路の騒音対策で「前原大臣に、要望書」と「住民の会」ニュース2009/10/26

湖西道路の騒音対策で「前原大臣に、要望書」と「住民の会」ニュース
 甲賀市にでかけていたので、すれちがいが多くなり申し訳ありませんでした。《湖西道路の騒音対策を求める仰木の里「住民の会」ニュース》(2009.10.26)を確かに受け取り、拝見しています。私でお役にたてることがあれば、なんなりと。

騒音の消えた街・・・・2009/06/29

人と騒音の消えた街・・・・にはなりませんねぇ。
気温が40度近くなったある日、
人と車が突然街から消える・・・・
そして、街は静けさに包まれる・・・

そんなことを妄想していました。
だって、暑いうえに騒音では
たまりません。

実際には、無理な注文。
カメラアングルを工夫すれば、
そんな風景が擬似的に写らないかと
思ってやって見ました。

街なかで人と車の姿を
視野に入れないなんてとても難しいです。

写真の端っこに写っていますね。

でも、なんとなく、
不思議な印象がありましたので、
この写真を日記に載せることにしました。

そうそう、今思い出しました。
キリコの絵のような
写真が撮りたかったんです。

大型公共事業で変貌する地域 ダムと第二名神と県道と2008/09/08

ダムと第二名神と県道と
公共事業が集中して、河川と森林の地域が
大きく変貌していく姿を見ることができます。

2008年6月の写真です。
遠景なのでクリックしていただければと思います。

大津市上田上の大鳥居は、ダム建設のために
集落がまとめて移動した地域です。
その地域の変貌の起点となった大型公共事業を
ひとつの写真に収めてみました。

もっと、いい場所があるかも知れないし、
上手な写し方もあるでしょうけれど。

山手を横断して伸びる第二名神
その少し下手に平行して建設中の県道
写真の右手の土盛は、大戸川ダム建設用の土砂。


それぞれを個別に見ると



第二名神は、上のような特徴的な橋梁に支えられています。



県道は付け替え工事です。それまでの県道に平行して
より高いところを通ります。しかし、工事はストップしています。
この場所では、白い橋梁だけが道路の存在を示唆するだけ。
左上の赤いものは、第二名神。



ダム用の土砂は、上記のように相当な量です。

最後にもう一度全体。


こっち↑の写真のほうがわかりやすいと思います。
レンズの真ん中に汚れがあって、
ぼけているのが残念。
天候はよくなかったので、暗めに写っています。

この地域が巨大な変貌を遂げたことは、
これだけでもわかると思います。
原風景を写した写真をもっていないのが残念ですが。

『ダムと森林を考えるシンポジウム』@大津市2008/09/08

『ダムと森林を考えるシンポジウム』@大津市
滋賀自治体問題研究所と
明るい滋賀県政をつくる会が主催して、
『ダムと森林を考えるシンポジウム』を、
9月13日(土)に開催します。
上は、そのチラシです。



大津市では国が推進に再転換した
大戸川ダムが今問題となっていますので、
私も可能な限り参加したいと思っています。


興味のある方は、下記に連絡場所を
書いておきましたので、よろしくお願いします。

問い合わせ先

●大津市梅林1丁目3-30 県労連内
  電話 077-521-2536
  FAX 077-521-2534

どす黒く汚れた色が鍾乳石の元の色なのか!?2008/08/23

表面が黒く汚れているように見える鍾乳石
巨大な空間に次々現れる美しい鍾乳石
・・・それが、秋芳洞の印象でした。
2007年3月に訪問したときには、
それが悲しいまでに崩れていきました。

記憶による美化かもしれません。
しかし、確実に元の形を失っているように思えます。

それは色も同様です。

鍾乳石は名前のとおり、白いもののはず。
しかし、もはや、灰色でさえありませんでした。

「大松茸」の隣にある鍾乳石。
その色は、どす黒く醜悪でさえありました。

・・・それがここを楽しむ人間の仕業とすれば、
(それしか考えられませんが)、
元に戻す責任を果たさなければならないと思いました。

溶け出す鍾乳石?@秋芳洞2008/08/23

溶け出す鍾乳石?@秋芳洞
「大松茸」と名づけられている鍾乳石は、
最初に出かけたときから覚えています。
写真も撮ったからです。
いまその写真はどこへ行ったのでしょうか。
探して見てみたいと思います。

現在の大松茸(上の写真)は、どう見ても、
表面が溶けているように見えます。

石灰岩の彫刻が酸性雨で溶けていくように。


なお、上の写真は以前にもアップしたものです。

風連鍾乳洞をあとにして2008/08/22

鍾乳洞をあとにして
鍾乳洞の出口から、外へ出る。
いきなりメガネが曇って、なにも見えない。
洞窟内の温度は低く、外は蒸し暑い。



人間がこの洞窟を発見し、
多くの人の目に触れるよう
開発(整備)しなければ、
ずっと閉鎖された空間であり、
美しいままに残ったはずの場所である。



洞内の鍾乳石にこびりついたコケが
気になって仕方がなかった。
頭を高松塚古墳の運命がよぎる。

「滋賀県立 朽木いきものふれあいセンター」見学2008/08/02

「滋賀県立 朽木いきものふれあいセンター」
ある方を訪ねて、「朽木いきものふれいセンター」に出かけました。



残念ながら、不在。短い時間ですが、内部を見学しました。







イオンモール出店反対と地球温暖化対策が重なる日2008/06/24

クーラーよりスダレでいい・・・
 ここ数日の梅雨空とはうってかわって、午後から、日差しがとても強くなりました。事務所経費節約や地球温暖化のために、3階立ての事務所は、窓を開け放し、スダレが掛けてあります。排気ガスや工場排煙には困りますけれど。
 なんか地球温暖化対策熱中モードになっていますが、先日の「STOP地球温暖化」シンポジウムのパネラー・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・センター長(京都大学名誉教授)の内藤正明さんが作成したパンフがとても面白かったのです。
 上下二段で、ありえる未来像が併記されています。上段は、食糧自給、太陽光発電や歩いて生活できるまちづくり。下段は、大量生産・大量消費、高度な輸送手段と原子力発電。車社会を前提とした郊外型大型複合商業施設がならぶまち。
 あなたはどっちの未来を選びますか・・・というものです。
 「化石燃料はなくなります。化石燃料がなくなれば、車はなくなります。車がなくなれば、郊外型のショッピングセンターがなくなります。そんなものがいらない社会にしないと・・・」という温厚な容姿とはかけ離れた過激で断定的なお話でした。「このようにしなければ、目標数値は絶対達成できません」
 これって、私たちが《イオンモール出店反対とまちづくりを考える会》で議論してきたことと同じなんです。当面、まちづくりでも訴えてきましたが、交通渋滞はやめてくれという一致点を中心にした世論に支えられてきました。交通渋滞は重大です。でも、そういう対症療法だけではなく、めざしているのは根本療法、つまり、だれもが安心してくらせるまちづくり、地産地消のまち。自然と共存し、あるいていける距離に身近な商店街をはぐくむまちなのです。
 そういう構想が、地球温暖化対策と多くの一致点があるという発見は、私たちの主張に未来があると確信できた日でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)