お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

北湖(琵琶湖)の水2011/07/24

海津の浜で琵琶湖を撮影
 琵琶湖は中央のくびれで北湖と南湖にわかれます。北湖は、南湖に比べると、面積も10倍、平均の深さも10倍です。上の写真は、マキノの海津の浜で撮った写真です。私は、南湖の畔に暮らしていますが、北湖の美しさはくらべものになりません。

高島市(湖西地域)で眺める琵琶湖と紅葉と2010/10/31

高島市(湖西地域)から眺める琵琶湖
 2008年11月から2009年1月まで、高島市の今津で仕事のために泊まり込んでいました。目の前には、竹生島がうかび、水鳥の鳴き声で目をさます朝でした。
 そんな美しい土地で、仕事の傍らとはいえ、今、戦争の痕跡をたどっていることが不思議です。しかし、この土地は、日本軍(自衛隊)が常駐し、軍用車両の通行は日常茶飯事。訓練のための砲声が遠くから響き、米軍が共同演習にやってくる土地なのです。
同じ紅葉も、米軍との共同訓練のもとでは、楽しめるものではありません。

10月の琵琶湖岸(旧志賀町)にて2009/11/19

10月の琵琶湖岸(旧志賀町)にて
10月××日。琵琶湖大橋から北にある旧志賀町を走りました。
ふと思いついて、いつも通るバイパスではなく、
湖岸の縁の細い道を通ることにしました。
そこは、いろんな企業や団体の保養地となっていたところ。
だが、そのための建物は次々閉鎖されて、
昔のにぎやかな面影がない様子です。

変わらないだろうと思えたのは琵琶湖の風景。
ゆっくり走りのも、眺めるのも私ははじめてでした。

琵琶湖発 15時2009/11/06

午後3時の琵琶湖にて
西日に照らされた琵琶湖を撮りました。
鳥は思ったよりも多くはいませんでした。

海津の秋に浮かぶいくさの影2009/10/28

海津の秋
10月下旬の海津。
夕暮れが迫ってくる。
手前は琵琶湖。
昔ながらの風景かも知れない。

私は、ここに観光にきたわけでなく、
「忠魂碑」という戦前の遺物を
探しに来たのだ。
湖岸から身をひくと、琵琶湖を
背景にして忠魂碑がシルエットとして浮かぶ。
忠魂碑はシルエットとして浮かぶ
その前には、真新しい
「殉国英霊芳名誌」が建てられている。
戦争の記憶と傷跡は深く、
忠魂碑は、いまなお遺物ではない。

戦死はあまりに突然で無惨。
若い命を奪い取る所業は、
容易に受け入れるものではないのだ。
その死は意味がなければ、ならない・・・・。

まだ「原風景」を残している気がします2009/09/17

まだ琵琶湖の「原風景」を残している気がします
 ここは旧仰木。遠くに見える湖岸には住宅が建てこんでいますが、農村風景と一体に、琵琶湖が見渡せるポイントになっています。



 なんか懐かしい風景に思えました。

千野の展望台から琵琶湖を見下ろす2009/09/12

千野の展望台から琵琶湖を見下ろす
一つ前の日記の写真は、千野の南部。
これは、北部で、バイパス沿いの高台。
雄琴の歓楽街と琵琶湖が見えます。

以前に同じアングルで撮ったときよりも、
住宅が広がっていますね。

対岸は守山市でしょうか。


琵琶湖(南湖)を千野から眺める2009/09/12

琵琶湖(南湖)を千野から眺める
大津市の中央部の湖岸には、
高層マンションが並び、
琵琶湖が近くにあっても、
その存在が感じられません。

高台にあるわが家もそうです。

中央部を離れ、唐崎、坂本、日吉と北上。

千野の天満宮の近くに、
琵琶湖が遠望できるスポットがありました。
この風景を残したいと思い
記念撮影。

琵琶湖にろうそくのように
立っているのは、プリンスホテル。

ある「足跡」に2009/04/11

これは、どんなトリの足跡なんでしょうね。
今年の3月はじめに一人で琵琶湖岸を歩きました。
そして、砂浜に足跡を見つけました。

灰色の砂浜に、スジ状の痕跡。
トリの姿は見えないし、
まもなく消えていくんでしょうね・・・。

日常的な光景のはずなのに、
私は、大発見したような気持ちになり、
あちこち見て回りました。

こんな生き物の痕跡さえ、
私には新鮮に思えたのです。

同じ琵琶湖でも北湖はいいなぁ。

↓これが北湖の湖岸。


こっち↓は南湖の「なぎさ公園」(人工)

2008/11/26

岬から虹に空に伸びていました
大津市から湖西道路を北上すると、
美しい紅葉が広がっています。
写真が撮れないのが残念だといつも思います。

高島市に入ったとき、虹が見えました。
虹は、湖岸縁から弧を描いています。
いつもの湖岸に立ったときは、
岬の先に。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)