お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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9月の公園にて2011/09/28

9月の公園にて
9月も終わりに近づいてきました。
午後に、湖岸の公園を歩きました。
考え事をしていたので、
風景が目に入らないままでしたが、
思った以上に長く伸びた木の影に
季節の変化を感じました。

セピア2011/09/26

セピア
倉敷はbittersweetな街。
記憶が蘇る美観地域から、
一歩外へ出ると
見慣れた”今”の街角。

過去への入り口をもたない街には、
セピアが似合うかと。

夏空の記憶2011/08/27

8月26日の空
2011年の夏が過ぎようとしています。
お盆休みは初盆行事で使いましたから、
遊んだ記憶がない、そういう夏になりそうです。

人間の時の感覚は不思議なものです。
それは、モノに結びついている気がします。
アルトゥール・ルビンシュタインの弾くショパン。
作品7の1が鳴り出すと、
はじめて聴いた20歳の頃に同化しています。

絵でもそうかも知れません。
ルネ・マグリットの不思議な絵画は、
ブダペストSQが演奏する
ベートーヴェンのラズモフスキー一番と
心のなかで結びついています。
ほろ苦い記憶とともに。

人は、普通に意識する時間軸とは、
まったく異なる時間の流れを
体内にもっている気がします。
昨日の記憶よりも、十年前の記憶が すぐ隣に位置するように。

住宅街の狭い空間に
鮮やかな青空と真っ白の雲が見えます。
平凡な景色ですから、周りでじっと
見上げている人は私以外にいません。

ずっと、ずっと前に、こうしていた気がします。
そのときも、今も、思いました。
「このまま時が止まったらいいのに」

「空気遠近法」の世界2011/08/12

久住高原の風景
久住高原の「フラワーズヴァレー」から、裏手の山道を車で駆け上がりました。遠くまで見通せる景色からは、空気の重なりがわかるようでした。ダ・ビンチの「空気遠近法」の世界でした。

キノコ2011/08/04

足下にキノコを見つけました。
一つ見つけると、あちこちに
あることに気づきます。

こんなにあったんだ。
なんか楽しい・・・。

風景2011/08/04

風景
あぜ道を歩いていくと、
小さな木立があり、
その向こうに輝く稲。

車の騒音が一切ない空間を
どこまでも歩きたくなりました。

大晦日に雪が降りました2010/12/31

大晦日に雪が降りました
大晦日まで仕事をしていました。
仕事場から外を見ると、雪。
空が真っ白に染まり、地面も
屋根も、見る間に同じ色になっていきます。
さあ・・・大変。
なんとか無事に帰宅しましたが、
家の前には、真っ赤な椿(?)。

晩秋の美しさは格別です2010/11/26

身近なところで秋を楽しむことができました
晩秋の美しさは格別です。
どこかへ出かけたくても、
そうはいかない事情があります。

どうしようもないとあきらめて、
一歩外へ出れば、そこにも見事な色。

休みがなくても・・・いいかなぁ。
自然は平等にめぐみを与えてくれます。

砲撃にあった韓国のTVで見ました。
平然と攻撃を正当化する北朝鮮政府。
それは許しがたいことですが、
それを理由に、在日の北朝鮮の人への
扱いをひどくするいわれはありません。

また、居留民保護を名目にした出兵が
なににつながるかは、歴史が教えるところです。

その北朝鮮を威嚇するように、
軍事演習が始まります。

美しい秋と平和をすべての人に。
そして、それを見ることができなくなった
砲撃の犠牲者に弔意を表します。

11月の歩道2010/11/18

セピアが似合う11月の歩道
11月の歩道を歩きました。

曇り空。

色づいた葉もくすんで
セピアの世界に
近づいています。

カラーの映像は
現実世界を映しますが、
セピアやモノクロは
そのまま内面の世界を
表す気がします。

棚田の風景から鈴が聞こえる ~高島市畑~2010/10/22

棚田の風景から ~高島市畑~
 今年の夏、Kさんのログハウスに行ったとき、周囲の農村風景を撮りました。その帰り道、道を聞いた相手は、ちょうどこの写真の向こうに住む高齢者のご夫婦でした。「朽木に抜けたいのですけど・・・」とたずねたとき、老農夫の方は、「こっちの細い道も行けるけど、道路があるから、そっちへ行ったらいい」と道案内を始めました。同じく野良仕事着の奥さんは「あんた、そっちは通行禁止やで」と止めにかかりました。それを無視して案内をつづける夫。
 どうしていいやらわからないまま、お礼を言って、立ち去りました。結局は、ジュラシック・パークのようなゲートを自分で開けないと通れない自動車道でしたから、通行はやめにしました。
 そんなことを思い出したのは、昨晩見た韓国映画『牛の鈴音』のおかげでした。
 この映画で思い出したのは、夏の農村風景だけではありません。カミさんの里での家族、親戚総出の焼き肉パーティの光景も浮かびました。映画とまったく同じでした。高齢の夫婦を息子達夫婦がたずねて、孫もろともに、賑やかに庭で机をならべて、焼き肉・・・。
 ただ、もう義父はいません。カミさんは映画を見ながらどう思ったのだろうと、横顔を見ました。いつもは、仕事疲れで寝てしまうカミさんが、しっかり見ていました。
 気になったのは、ドキュメント映画のなかの息子達が、農業を継ぐ気配がまったくなかったことです。高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』の世界は、農業回帰がテーマでしたが、現実は容易にその方向に向かうことはないようです。ふと、アニメの「有機農業は有機がいる農業」ってセリフも思い出しました。
 棚田を写真からは、以前には聞こえなかった牛の鈴音が聞こえてくる気がしました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)