お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
カエルくん ― 2011/07/31
「スイレン池」にて ― 2009/11/02
甲賀市の帰りに新鮮なミルク ― 2009/09/20
野生化したアライグマの爪あと?? ― 2009/09/16
先日、大津市の田上にある毛知比(もちひ)神社で、戦争の碑を探していたときのことです。
神社の柱を丁寧に撮る女性がいました。
不思議だったので、
「何を撮っているのですか」
とたずねました。
「アライグマの爪あとです」
という返事。え!?
家で飼っていたペットが手に負えなくなり、逃がしたために野生化したアライグマがいるそうです。もともと凶暴で、雑食性のため、農作物などに被害がでているので、その調査をしているということでした。(林野庁の方なんでしょうか。)
興味を覚えましたので、私も写真を撮りました。
「これもそうですか?」
「それは、ネコの爪あとかも知れません。
ネコも(神社の柱に)登るのです。」
「爪跡は4本?」
「爪は5本なんですが、一つは隠れていて」
「ネコの爪とどう区別するんですか?」
「アライグマは執念深く(笑)上まで登りますが、
ネコはそこまで登りません」
写真の柱の爪はどっちなんでしょうね。
神社の柱を丁寧に撮る女性がいました。
不思議だったので、
「何を撮っているのですか」
とたずねました。
「アライグマの爪あとです」
という返事。え!?
家で飼っていたペットが手に負えなくなり、逃がしたために野生化したアライグマがいるそうです。もともと凶暴で、雑食性のため、農作物などに被害がでているので、その調査をしているということでした。(林野庁の方なんでしょうか。)
興味を覚えましたので、私も写真を撮りました。
「これもそうですか?」
「それは、ネコの爪あとかも知れません。
ネコも(神社の柱に)登るのです。」
「爪跡は4本?」
「爪は5本なんですが、一つは隠れていて」
「ネコの爪とどう区別するんですか?」
「アライグマは執念深く(笑)上まで登りますが、
ネコはそこまで登りません」
写真の柱の爪はどっちなんでしょうね。
がんばれ、アマガエル ― 2009/08/01
とっても平凡な話だけれど、
カエルさえ、最近、目にすることは少ない。
朽木村(合併で高島市)で出合った
モリアオガエルぐらいなもの。
一つ前の日記のトノサマガエルの
写真はカミさんの里で撮ったもの。
そうそう、もう一匹いた。
それがこのアマガエル。
日本の階級構成で、
労働者階級が勤労者の半数を
超えたのは、1960年(国勢調査)。
(滋賀県は70年だけど)
それまでの数千年は、圧倒的に農民。
自分たちの食料と国土を守ってきた
人たちへのひどい仕打ちを
続けてきた自民党農政。
いよいよ見捨てられるとなって、
切り出す自給率50%の空手形。
農業再生と食の安全を!
父の代で農家ではなくなったけれど、
そう叫びたい。
カエルに言うのは本末転倒。
しかし、君達にはがんばって
生き延びて欲しいんだ。
がんばれ、カエルくん!
いや、カエルさん。
カエルさえ、最近、目にすることは少ない。
朽木村(合併で高島市)で出合った
モリアオガエルぐらいなもの。
一つ前の日記のトノサマガエルの
写真はカミさんの里で撮ったもの。
そうそう、もう一匹いた。
それがこのアマガエル。
日本の階級構成で、
労働者階級が勤労者の半数を
超えたのは、1960年(国勢調査)。
(滋賀県は70年だけど)
それまでの数千年は、圧倒的に農民。
自分たちの食料と国土を守ってきた
人たちへのひどい仕打ちを
続けてきた自民党農政。
いよいよ見捨てられるとなって、
切り出す自給率50%の空手形。
農業再生と食の安全を!
父の代で農家ではなくなったけれど、
そう叫びたい。
カエルに言うのは本末転倒。
しかし、君達にはがんばって
生き延びて欲しいんだ。
がんばれ、カエルくん!
いや、カエルさん。
カエルの思い出 ― 2009/07/31
カエルは両生類であり、人になつくとは思えない。
それでも、何年もつきあってきたカエルがいる。
小学生の頃、一匹の大きなカエルを捕まえた。
あまりに大きいので、そのまま逃がさず、
自宅に持って帰り、庭に放した。
夏の間、ずっと庭で鳴いて、
私たち家族を楽しませてくれた。
秋になり、カエルは保護色なのか
全身を茶系統に染めていた。
冬になるとしずかに声が消えた。
その存在をとっくに忘れていた春、
カエルの声が聞こえた。
巨大な姿は、まちがいようがなかった。
庭に穴を掘って、冬眠したのだ。
それから、数年(!)の間、
巨大なトノサマカエルは、
冬に消え、春に現れた。
私は、その姿が
見えなくなった春をよく覚えている。
小さな庭をけんめいに探したけれど、
二度と会うことができなかった。
それでも、何年もつきあってきたカエルがいる。
小学生の頃、一匹の大きなカエルを捕まえた。
あまりに大きいので、そのまま逃がさず、
自宅に持って帰り、庭に放した。
夏の間、ずっと庭で鳴いて、
私たち家族を楽しませてくれた。
秋になり、カエルは保護色なのか
全身を茶系統に染めていた。
冬になるとしずかに声が消えた。
その存在をとっくに忘れていた春、
カエルの声が聞こえた。
巨大な姿は、まちがいようがなかった。
庭に穴を掘って、冬眠したのだ。
それから、数年(!)の間、
巨大なトノサマカエルは、
冬に消え、春に現れた。
私は、その姿が
見えなくなった春をよく覚えている。
小さな庭をけんめいに探したけれど、
二度と会うことができなかった。
アカハライモリに出会う・・・何年ぶり! ― 2009/07/29
暗い闇・・・白い壁に緑のカエル ― 2009/07/23
「モリアオガエルの池」にて ― 2009/07/22
小さなカエル(トノサマカエル?) ― 2009/07/21
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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