お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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『対訳 ホイットマン詩集 木島 始編』(岩波文庫)2009/06/09

『対訳 ホイットマン詩集 木島 始編』(岩波文庫)
ホイットマンは『草の葉』(Leaves of Grass)で
知られたアメリカの詩人です。

今日、たまたま書店で見ましたが、
『草の葉』ってものすごい分量です。
分厚い文庫本で3冊!

『対訳 ホイットマン詩集』は、
そこから、33編の詩が選ばれています。
元の詩が読めるのがうれしいし、
分量も適当です。

「まえがき」を読みました。
訳詩が・・・少しフィットしないと思いました。

たとえば、
A great poem is no finish to a man or woman
but rather a beginning.

訳詩は、
「ひとつの偉大な詩は、男もしくは女にたいする仕上げ
ではなく、むしろ始まりだ」
となっています。
私は、
「偉大な詩は、人生の終わりの満足を与えるのではなく、、
新たな生をはじめる勇気をあたえるものだ。」
と訳したい・・・。

本編を読みました。
『草の葉』って、こんなスケールの大きな詩集なんだと
関心ばかりしていました。

「う~ん、この日本語なんとかならないのかな?」
って思ったのは、つぎの愛の詩。

O you whom I often and silently come
where you are that I may bi with you.,
As I walk by your side or sit near,
or remain in the same room with you,
Little you know the subtle electric fire
that for your sake is playing within me.

訳詩はつぎのようになっています。

「おお、きみと一緒にいたいために、
きみのいるところへ、
しばしばわたしはそっと近よっていく、
そのきみよ。
きみと並んでわたしが歩くとき、また、
そばに腰をおろすとき、また、
きみと同じ部屋にとどまるとき、
きみはほとんど知らないのだ、
きみのためにわたしの内部に
ゆらゆらと燃えている精妙な電気の火を。」

もっと自然に。
思いつくままに訳すと、

「ぼくはきみのそばにいたい。
だから、なんども、そっと近づいていくんだ。
でも、きみは知りもしない。
ぼくがどんなにきみへの気持ちを燃やしているか。
きみと並んで歩くときも、
きみの横で腰をおろしているときも、
いっしょの部屋にいるときもそうなのに。」

う~ん、やっぱり、うまくないなぁと思いました。

口説き文句に使えるくらいじゃないとねぇ。
元の詩が悪い?
オイオイ・・・。

ソルジェニーツィンの死2008/08/05

ソルジェニーツィンという名前をご存知ない方には、
わからない感想ですけれど、母国の土と苦悩こそ、
この方のエネルギーの源だったと思います。
それを奪われることの痛みはどれほどの
ものだったのでしょうか。
強制的に国外に追放されたことが気の毒でなりません。
その文学を全面的に支持するしないは別として
この方の死を悼みます。
8月3日の深夜のことだったそうです。

「まんがで読破『蟹工船』小林多喜二・作」を読破2008/06/04

まんがで読破『蟹工船』小林多喜二・作
 いま空前のブームとなっている小林多喜二『蟹工船』
 先日、カミさんが「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)を見つけて買ってきた。それを、K君が先に読み、洗濯物の上に放置。私がさっき見つけて読んだばかりである。
 ある新聞が夕刊一面で、「悲しきブーム」というタイトルをつけていた。それは、『蟹工船』のブームが、派遣労働などの過酷な現実を苗床にしているという意味である。そういう狭い時事的な小説ではないと私は思っている。
 ネットのレビューを見ると、教科書でも取り上げられるほど有名な本ではあるけれど、「プロレタリア文学」という区分が接近の障害となっていたことがわかる。同時に、読破後に読者の印象が確実に変わっているのも特徴だ。20代の青年が命を落としてまで、描き、たたかおうとしていたことを、素直に見つめることが大事ではないだろうか。
 このブームはどこに行き着くのだろうか。

ニーナの狂気@「かもめ」2008/06/03

どうも名作というのは、心を騒がせるものですね。
読んでから一日たっても、まだ余波から
抜け出ることができません(笑)。
お昼休みに「かもめ」の映像の探しました。

チェーホフの「かもめ」は、戯曲です。
内面的なセリフをどう解釈して、舞台でどう演じるのか。
とても、興味がわくところです。

劇のクライマックスですが、純粋な(ともいえません、 おろかな野心をもっているというのが正しいのでは) ニーナが2年ぶりにもどってきます。
私生活と役者としての生活の破綻。
ときどき「私はカモメ」と口走るような狂気を帯びています。
しかし、過去との再会(正面から向かい合うこと)は、 ニーナにとっては、決別と再生のプロセスともなります。

ネットで探して、見つけたのですが、・・・・・う~ん、
私のイメージとはちがいました。
迫力がありすぎて、たじろぎました。
二分割になっています。

ニーナとトレープレフとの再会(前半)

ニーナとトレープレフとの再会(後半)

『大江健三郎全作品 1』2008/05/28

『大江健三郎全作品 1』
 昔からもっていた本ではなくて、日曜日にまちの古本屋のワゴンのなかで見つけたのです。これは、6巻で完結。しかし、二つのワゴンにバラバラに入っていたのは、1から5まで。 6巻がありません。
 値段は1冊400円。なんか呼んでいる気がして、買ってしまいました。  まず1巻を読んで、納得できたことがあります。
 ひとつは、大江健三郎って人は、生来、自分のする行為について、倫理的に(ほかに的確な表現が見つかりません)確認しなければすまない人なんだってことです。それは、あっさりいうと誠実だろうし、文学者としては、自意識がとても強いということでしょうね。
 『本当に文学が選ばれなければならないか?』という文章は、そのものずばりです。

 本当に、文学が選ばれなければならないか?もし文学が存在しなければ、この現実世界に、確実にひとつの欠落が生じる、文学とは本当にそうしたものなのか?文学のかわりに、なにか他のもので代用できるといった、この現実世界にとって本質的に必要ではないものが文学ではないのか?

 こういう表現は、創作家の言葉ではなく、文学評論家のものではないかと思うのですが、この問いかけに立ち向かっているわけです。
 これと似た文章を読んだことがあります。まえにも、繰り返し引用しているヴァレリー・アファナシェフ『ドッペルゲンガーの鏡像 音楽と文学の間』(論創社)の冒頭にあるものです。ここでは、疑問というよりも、直接的な賛歌になっていますが。

 音楽は何かに似るものなのか。音楽は「創造」の体系の中で特別の地位を占めているのか。人間は音楽にふさわしい存在か。音楽は神の贈り物か。・・・音楽なくして愛することがあろうか。音楽無くして死ぬことがあろうか。

 大江健三郎にしても、アファナシェフにしても、これらの問いかけに、肯定的な回答を下すことになりますが、ともに自らの生業に対して、本質的な突き詰め方をしないではいられないという点で共通しています。
 そして、こういう性格のなかに、若い頃の文章であっても、「ああ、これは確かに大江健三郎」と納得できるものなのです。
 もう一つわかったことは、大江氏の小説にある性的な表現の意味です。エイリアンの映画に登場するような粘液質の文章は、上記の本質的な問いかけと無縁ではなかったのです。私なりに「そういうことか」と納得できたのです。

二つの「サロメ」の本2008/05/12

ワイルド・福田恒存訳『サロメ』(岩波文庫)
ブックオフで先日4冊の本を買ったと書きました。
2冊は、正岡子規にかかわる本。残り2冊は、「サロメ」でした。

 私が知っていたサロメは、ワイルドの戯曲だけでした。といっても、筋書きは知っていましたが、翻訳でも読んだことがありませんでした。
 たまたま、105円コーナーで、山川鴻三『サロメ -永遠の妖女-』(新潮選書)を見つけました。手にとって、知った名前がたくさん登場するし、読み応えのありそうな本でしたので、買いました。
それをもって、文庫本のコーナーを回ると、どういうわけか、ワイルド・福田恒存訳『サロメ』(岩波文庫)(上の写真)がありました。ビアズレーの挿絵が表紙に使われていますね。
これって偶然?同じ人が売ったのかも。

一昨日の夜、二つを読みました。さすがに深夜になってしまいました。
 はずかしいことに、サロメの出所は聖書であること、ワイルドの戯曲以外に多数あることなどをまったく知りませんでした。
 絵画や文学の素材として、長期にわたって取り上げられてきたのですね。それだけ、センセーショナルな、そして想像力を書き立てる物語ではありますね。
 モローやクリムトの絵はどなたも見たことがあると思うのですが。

子規関係の本を2冊買いました。ブックオフにてそれぞれ105円。2008/05/12

高浜虚子『子規・漱石』と河東碧梧桐『子規を語る』
 一ヶ月ぐらい前でしたか、柴田宵曲『評伝正岡子規』(岩波文庫)を読みました。ブログにも感想を書きましたね。
 その壮烈な生き方にあらためて、打たれるものがありました。
 5月7日に高島市に行く用事があって、そのときに堅田のブックオフに立ち寄って、4冊の本を買いました。それぞれ105円でした。
 そのうちの2冊が、上の写真の本です。
 高浜虚子『子規・漱石』(岩波文庫)と河東碧梧桐『子規を語る』(岩波文庫)です。
 ともにお弟子さんの回想だと思います。
 まだ読んでいませんが、購入のメモを残しておくのも、ブログの便利な機能になるかも知れないと思い、書き込むことにしました。

 読んだ方、いらっしゃいますか?

柴田宵曲『評伝 正岡子規』あとがき(佐伯彰一)から2008/04/19

柴田宵曲『評伝 正岡子規』
 正岡子規への関心を抱いたのは、司馬遼太郎『坂の上の雲』、そしてマンガ・江川達也『日露戦争物語』(連載中断)でした。
 それでも、俳句は縁遠く、作品を読む気がしませんでした。  この評伝にたどり着いたのは、日清戦争を調べ始めてから、正岡子規が従軍記者として、遼東半島へ向かったことを思い出したからです。  読み始めて、この本がすぐれたものであることに気がつきました。それは、昭和16年という戦前の時代に書かれながら、ひとつも旧さを感じなかったことでも明らかです。
 なによりも冷静でテンポがよい叙述が魅力的でした。
 この本の最後に佐伯彰一氏の解説があります。題は「細部の感覚、持ちの良さ  伝記作家としての宵曲居士」
 この小論を読んで、柴田宵曲氏のよさを再確認したのです。主な部分を紹介しますと、
伝記において大切なのは、何よりもまずこうした細部だと、言わずにいられない。というのも、最近の伝記ジャンルの趨勢は、とかく情報量と詳密さを競い合う所に赴きがちで、とくにアメリカでは、やたらと膨大な作家伝が次々と刊行されて、応接のいとまがないような有様だが、こうした圧倒的な大著にも、じつは案外なほど、こうした細部の感覚が欠落しているものが多いのだ。対象たる作家に関することなら細大もらさず取りこまずにおかないという意気ごみは、それなりに見事といってもいいのだが、やたらと雑多な事実、挿話がひしめき合いながらも、肝心の対象の素顔も肉声もさっぱり伝わってこない。一方では網羅主義にかまけて、事実の選択が忘れさられているせいであり、他方、詳しくは描きこんでいるようで、案外細部のつめが甘く、不正確だったりする。つまり、細部の感覚が欠けていると呟かずにいられない場合にしばしば出くわす。この点、この子規評伝は、全編に細かく神経がゆきとどいて、一々の細部がよく利いていること見事なばかりで、事実に対する作者の選択眼のよさを改めてふり返らずにはいられない。

 長い引用ですが、調べものをしたり、それを叙述する上で参考になる指摘でした。

小澤征璽・大江健三郎『同じ年に生まれて』(中央公論社)から2008/04/17

小澤征璽・大江健三郎『同じ年に生まれて』(中央公論社)
 指揮者の小澤征璽さんと作家の大江健三郎さんは同じ1935年生まれ。二人の会話は、とても軽妙で、大事なことがさらりと語られていくんです。しかも、どこでその話になるのか、先が読めない面白さがあります。
 好きな作家、映画監督、画家、演奏家などが突然でてくるのがうれしいです。
 トーマス・マン、エドワード・サイード、チョムスキー、伊丹十三、武満徹、バーンスタイン、ディヌ・リパッティ、クララ・ハスキル・・・。
 それはそうと、ぱらぱらめくって面白かったこと。
 それは、小澤征璽が家族への思いを語った後、『人間というのは本当のエネルギーになるものは、すごい身近にあるんじゃないかなぁと思っているんです。・・・ピカソがもうずいぶん年を取ってから、「本当の何かを創ろうとするエネルギーは何か」と訊かれて、「女だ」と言ったというんですね。いろんな問題は案外そういうところにあるんじゃないか。』
 大江健三郎さんも答えます。
『本当にそう思います。僕は、最初ひとつ日本にない小説をつくってやろう、というふうに始めたんですけれど、人生のあるときから、おっしゃるとおり身近にある、生まれてきた障害のある子供が、生きることと仕事のエネルギーのもととなりました。』
 なんかとてもうれしかったですね。
 いろいろ高尚なことをいったりするけれど、根源的なエネルギーのもとは身近にあるのです。最近はてらわずにそれを認めることができるようになりました。カミさんや息子たちってことを。

ちなみに、ブックオフで105円でした。

田宮虎彦『足摺岬』(1949年)2008/04/05

 『小児外科医のオフィスから 痛快!院長ブログ』で、田宮虎彦さんの『足摺岬』の記事がありました。興味深かったので、読みたかったのですが、本が見つかりませんでした。
 4日に仕事で高島市に行った帰りに立ち寄ったブックオフで見つけました。
 短編でしたので、一晩で読みきることができました。
 死を覚悟しながら、死に切れなかった3人の人たちが登場する陰鬱な小説です。もちろん、死を推奨するものではありません。しかも、その死は、その人を囲む巨大な流れのなかで強要されたともいえるものです。
 老遍路たちに死を余儀なくした人物の一人は、馬鹿正直に死んでいった人々を尻目に堂々と生き残って、よき生活をしている・・・作者は、そんな姿も登場させています。
 特攻隊に志願しながら、生き残り、なんのために死を覚悟したのか、何の生きがいがあって生き残っているのかわからず苦しむ青年の姿も登場します。
 社会に必要されないと感じて死への旅路へ急ぐ「私」も同様です。
昭和20年代に書かれた小説ですが、1990年代後半以降の日本は、ある意味でその時代に接近しているのではないかとを思わせました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)