お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
さあ乗船!の合図。背後にまあるい太陽 ― 2008/08/18
九州めざす2人旅 ― 2008/08/15
お盆休みを九州で過ごすことにしました。法事もあるので、14日の夜のフェリーに乗り、17日の夜のフェリーで帰ります。
高校生のH君は、すでに広島に行っていて、そのまま大津に帰宅せずに大分へ。大学生のK君は、広島ら戻ったあと、ひとりでフェリーに乗り、列車を乗り継いでカミさんの里へ。
私たち夫婦2人旅となりました。
私は、14日の午前中まで仕事をし、大慌てで帰宅し、待っているカミさんと車で六甲アイランドへ向かいました。去年の夏休みは、妹家族をともなっての旅行でした。その前年は、家族4人で向かいましたが、お盆の渋滞を甘く見ていたので、フェリーに乗り遅れてしましました。おかげで、心と体力の準備もないまま陸送で九州までいくことになってしまいました。
今年は、ガソリンが高騰。おかげで高速道路の渋滞は緩和されているらしいですね。それでも、心配なので、午後2時には、自宅を出発したのです。
結局、渋滞は皆無で、余裕がありすぎる時間に六甲アイランドに到着しました。それで、フェリー乗り場に行く前に、お店によって買い物をする時間ができました。
ダイヤモンド・フェリーと関西汽船がひとつになったおかげで、新しいサンフラワー号に乗ることができました。システムも変わりました。
あわただしい14日が船中で終わり、15日の早朝、船外に出ました。大分港はもうすぐです。
上の写真は、朝の光のなかで、柵にもたれながら、サンフラワー号を撮った写真です。
面白い影に気がついてもう一枚。
カミさんは気がつかず、手をあげて話していました。
私たち夫婦2人旅となりました。
私は、14日の午前中まで仕事をし、大慌てで帰宅し、待っているカミさんと車で六甲アイランドへ向かいました。去年の夏休みは、妹家族をともなっての旅行でした。その前年は、家族4人で向かいましたが、お盆の渋滞を甘く見ていたので、フェリーに乗り遅れてしましました。おかげで、心と体力の準備もないまま陸送で九州までいくことになってしまいました。
今年は、ガソリンが高騰。おかげで高速道路の渋滞は緩和されているらしいですね。それでも、心配なので、午後2時には、自宅を出発したのです。
結局、渋滞は皆無で、余裕がありすぎる時間に六甲アイランドに到着しました。それで、フェリー乗り場に行く前に、お店によって買い物をする時間ができました。
ダイヤモンド・フェリーと関西汽船がひとつになったおかげで、新しいサンフラワー号に乗ることができました。システムも変わりました。
あわただしい14日が船中で終わり、15日の早朝、船外に出ました。大分港はもうすぐです。
上の写真は、朝の光のなかで、柵にもたれながら、サンフラワー号を撮った写真です。
面白い影に気がついてもう一枚。
カミさんは気がつかず、手をあげて話していました。
数隻で藻の回収でした(琵琶湖南湖) ― 2007/10/05
琵琶湖南湖に数隻の小船が見えます。 ― 2007/10/05
左がビアンカ、右にミシガンが浜大津港に停泊中 ― 2007/09/18
ビルの合間を進む観光船ミシガン ― 2007/09/14
高台から三井寺観音堂の展望台へ降りました。
ちょうど観光船ミシガンが琵琶湖に見えます。
200ミリのズームで撮影しました。
浜大津港のちょうど前を走っているようですね。
高層マンションがないときは、琵琶湖の輪郭がくっきりみえたのです。
しかし、いまや、マンションの隙間を、ミシガンが進むのを見るしかないのです。
え?どれがミシガンかわからない?!
そんな皮肉がいいたくなります。
左手の高いビルが浜大津にできた琵琶湖の「壁」マンション。
8月の終わりの夕暮れ、浜大津を写した写真。↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/01/1763841
この写真の右手がそれ。
右下の黒い傘のような屋根は、これ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/01/1763870
ちょうど観光船ミシガンが琵琶湖に見えます。
200ミリのズームで撮影しました。
浜大津港のちょうど前を走っているようですね。
高層マンションがないときは、琵琶湖の輪郭がくっきりみえたのです。
しかし、いまや、マンションの隙間を、ミシガンが進むのを見るしかないのです。
え?どれがミシガンかわからない?!
そんな皮肉がいいたくなります。
左手の高いビルが浜大津にできた琵琶湖の「壁」マンション。
8月の終わりの夕暮れ、浜大津を写した写真。↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/01/1763841
この写真の右手がそれ。
右下の黒い傘のような屋根は、これ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/01/1763870
夏の湖にはミシガンも似合うかも ― 2007/08/27
強い日差しの中を、これから歩きます。
琵琶湖は、くびれたところから北を北湖。南を南湖と呼びます。
ここは、南湖。平均水深は4メートルにすぎません。
今日はあまり空気が澄んでいなくて、くびれたところにある琵琶湖大橋の姿がよく見えませんね。
それにしてもまだまだ日差しは強い。
水しぶきを上げて進むミシガンを見ながら、夏には琵琶湖に似合っているかもと・・・前は逆のことを言っていましたけれど・・・ふと思いました。
そういえば、木曜日にH君と「琵琶湖博物館」に行ったときに、琵琶湖の観光船のポスターを見つけました。そのポスターは、古い湖上交通を再現して、ふるさと色を出すというコンセプトではなく、モダンさを売り物にしたものでした。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750246
琵琶湖博物館のつぎの壁には、観光船の絵がありました。
確かに和船ではなく、汽船ですね。
ついでにそれもアップします。
つぎの日記へどうぞ。
琵琶湖は、くびれたところから北を北湖。南を南湖と呼びます。
ここは、南湖。平均水深は4メートルにすぎません。
今日はあまり空気が澄んでいなくて、くびれたところにある琵琶湖大橋の姿がよく見えませんね。
それにしてもまだまだ日差しは強い。
水しぶきを上げて進むミシガンを見ながら、夏には琵琶湖に似合っているかもと・・・前は逆のことを言っていましたけれど・・・ふと思いました。
そういえば、木曜日にH君と「琵琶湖博物館」に行ったときに、琵琶湖の観光船のポスターを見つけました。そのポスターは、古い湖上交通を再現して、ふるさと色を出すというコンセプトではなく、モダンさを売り物にしたものでした。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750246
琵琶湖博物館のつぎの壁には、観光船の絵がありました。
確かに和船ではなく、汽船ですね。
ついでにそれもアップします。
つぎの日記へどうぞ。
・・・これが琵琶湖めぐりのポスター・・・でしたか ― 2007/08/25
琵琶湖で舟遊び・・時代を感じさせるポスターですが、風景の写真ばかりが多い最近のものとちがって新鮮な気がします。
気に入ったのはB展示室でした ― 2007/08/24
琵琶湖博物館は、琵琶湖にかかわるものを多面的に展示しています。A展示室は「琵琶湖のおいたち」、B展示室は「人と琵琶湖の歴史」、C展示室は2Fが「湖の環境と人びとのくらし」、1Fが「淡水の生き物たち」です。
私が気に入ったのは、B展示室。
最初に目に飛び込んでくる大きな船。いまの湖国の暮らしにない力強さを感じたのです。
H君は、たいくつそうでしたけれど。もっとも、H君はうんざりするほどここに来ているのですから仕方がありません。今日は、私のために、お付き合い。
私が気に入ったのは、B展示室。
最初に目に飛び込んでくる大きな船。いまの湖国の暮らしにない力強さを感じたのです。
H君は、たいくつそうでしたけれど。もっとも、H君はうんざりするほどここに来ているのですから仕方がありません。今日は、私のために、お付き合い。
学習船「うみのこ」でした ― 2007/08/22
今津港に停泊中の船は、学習船「うみのこ」でした。
1983年8月から、県内の小学校5年生全員が一泊二日の学習航海をしているのです。
うちの息子さん二人ももちろん体験した旅です。
↓
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/05_pr/pr-mag/2003/09/05.html
1983年8月から、県内の小学校5年生全員が一泊二日の学習航海をしているのです。
うちの息子さん二人ももちろん体験した旅です。
↓
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/05_pr/pr-mag/2003/09/05.html
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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