お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
そこで、イオンモールの敷地の地図をチェックしました ― 2007/08/27
近江大橋有料道路の「アクセス道路」はイオンモールの内部道路じゃないのか ― 2007/08/27
そもそも、プリンスホテルから近江大橋をこえたところまで歩いて往復する目的は、イオンモールの建設工事がどこまで進んでいるのか、自分の目で見たいと思ったからです。
私は旧市街でももっとも古く大きかった商店街(ナカマチ商店街)のすぐ近くで生まれ育ちました。その盛衰も見てきました。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700718
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700740
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700756
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700768
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700779
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700787
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700791
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700796
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700806
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700818
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700837
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700842
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700846
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700848
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700862
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700870
(などカテゴリ「商店街」にあります)
「シャッター通り」になるのも時の流れかなと思っていたのですけれど、アメリカもふくめて、いま「町の顔」としての商店街を守ろう、コンパクトシティをめざして市民生活を守ろうという動きになっています。
あらためて、そうなんだと思い直したのです。http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/25/1602515
(私の考えのきっかけについて↑)
日本でも、大型店の規制緩和をしたあと、地方都市の衰退が大問題となり、去年に郊外への大型店の出店禁止という法改正が行われたのです。
なんとか衰退を食い止めなければと、政府も動いたのです。しかし、その法改正の施行までに1年半の猶予期間があり、その猶予期間に「やってしまえ!」とばかりにかけこみ出店をしているのが、イオンモール。
その動きに便乗したのが草津市。傍観している滋賀県・・・という構図。
「あやしい」と思っているのは、このアクセス道路。
この道路計画が決まる前後に、イオンモールの出店計画も決まっています。
イオンモール自身が作っている上の図を見れば、一目瞭然。
オレンジの領域が、イオンモールの敷地。
緑のラインが「アクセス道路」
イオンモールの敷地内にすっぽりアクセス道路が埋め込まれています。
これにどうして税金投入なん?と思っているのです。
私は旧市街でももっとも古く大きかった商店街(ナカマチ商店街)のすぐ近くで生まれ育ちました。その盛衰も見てきました。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/04/1700718
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(などカテゴリ「商店街」にあります)
「シャッター通り」になるのも時の流れかなと思っていたのですけれど、アメリカもふくめて、いま「町の顔」としての商店街を守ろう、コンパクトシティをめざして市民生活を守ろうという動きになっています。
あらためて、そうなんだと思い直したのです。http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/25/1602515
(私の考えのきっかけについて↑)
日本でも、大型店の規制緩和をしたあと、地方都市の衰退が大問題となり、去年に郊外への大型店の出店禁止という法改正が行われたのです。
なんとか衰退を食い止めなければと、政府も動いたのです。しかし、その法改正の施行までに1年半の猶予期間があり、その猶予期間に「やってしまえ!」とばかりにかけこみ出店をしているのが、イオンモール。
その動きに便乗したのが草津市。傍観している滋賀県・・・という構図。
「あやしい」と思っているのは、このアクセス道路。
この道路計画が決まる前後に、イオンモールの出店計画も決まっています。
イオンモール自身が作っている上の図を見れば、一目瞭然。
オレンジの領域が、イオンモールの敷地。
緑のラインが「アクセス道路」
イオンモールの敷地内にすっぽりアクセス道路が埋め込まれています。
これにどうして税金投入なん?と思っているのです。
気に入ったのはB展示室でした ― 2007/08/24
琵琶湖博物館は、琵琶湖にかかわるものを多面的に展示しています。A展示室は「琵琶湖のおいたち」、B展示室は「人と琵琶湖の歴史」、C展示室は2Fが「湖の環境と人びとのくらし」、1Fが「淡水の生き物たち」です。
私が気に入ったのは、B展示室。
最初に目に飛び込んでくる大きな船。いまの湖国の暮らしにない力強さを感じたのです。
H君は、たいくつそうでしたけれど。もっとも、H君はうんざりするほどここに来ているのですから仕方がありません。今日は、私のために、お付き合い。
私が気に入ったのは、B展示室。
最初に目に飛び込んでくる大きな船。いまの湖国の暮らしにない力強さを感じたのです。
H君は、たいくつそうでしたけれど。もっとも、H君はうんざりするほどここに来ているのですから仕方がありません。今日は、私のために、お付き合い。
琵琶湖・今津港にひっそり船が停泊中 ― 2007/08/22
今津港の中を見ると、桟橋に船が一隻ひっそりと停泊中。
今津港をはじめて訪れました ― 2007/08/21
琵琶湖の今津港をはじめて訪れました。
それだけ、湖上交通を利用していないという証ですね。
これが港の建物です。
日没後でしたし、業務はとっくに終わっています。
それだけ、湖上交通を利用していないという証ですね。
これが港の建物です。
日没後でしたし、業務はとっくに終わっています。
自衛隊第3特科連隊が移駐後の今津廠舎② ― 2007/07/20
今津廠舎の入り口をすこしはなれて撮りました。
湖西線の橋げたは大丈夫?新潟で震度6の地震発生 ― 2007/07/17
新潟で震度6の大きな地震がありました。
お亡くなりになった方々は、大変お気の毒でしたし、怪我をされたみなさんには、一日も早い回復をお祈りします。
昨日の午後には、近畿でも震度3程度の地震がありました。
阪神淡路大震災の記憶はいまでも鮮明です。
最初に飛行機で映し出された高速道路の被害は、
忘れられません。
大津市を走る湖西線は高架ですが、それを支える柱に
なにやら巻かれています。
補強しているのは、わかりますが、
どういう心配が生まれたのでしょうか?
気になるところです。
お亡くなりになった方々は、大変お気の毒でしたし、怪我をされたみなさんには、一日も早い回復をお祈りします。
昨日の午後には、近畿でも震度3程度の地震がありました。
阪神淡路大震災の記憶はいまでも鮮明です。
最初に飛行機で映し出された高速道路の被害は、
忘れられません。
大津市を走る湖西線は高架ですが、それを支える柱に
なにやら巻かれています。
補強しているのは、わかりますが、
どういう心配が生まれたのでしょうか?
気になるところです。
第二名神の橋梁がこの地にも 土山から ― 2007/07/04
滋賀県甲賀市の三重県との境にある土山町。
そこの自然は美しく、ダムも景観のなかに調和をしていると思えました。
しかし、そこで見たものは、モアイのような第二名神の土台。
この地に第二名神が通れば、排気ガスや騒音で
環境はいっぺんしてしまいます。
この写真は、2005年10月のものです。
いまは、どうなっているのでしょうか?
そこの自然は美しく、ダムも景観のなかに調和をしていると思えました。
しかし、そこで見たものは、モアイのような第二名神の土台。
この地に第二名神が通れば、排気ガスや騒音で
環境はいっぺんしてしまいます。
この写真は、2005年10月のものです。
いまは、どうなっているのでしょうか?
第二名神がけずる緑の地 Ⅴ 橋と村落のコントラスト ― 2007/07/03
大津市上田上平野にかかる第二名神の橋梁。
自然のなかに屹立する公共工事の威容です。
巨大な橋と集落は興味深い対照を見せていました。
それをカメラを向けました。
いまは静かですけれど、第二名神が開通し、
昼も夜も車、そして大型のトラックが行きかうことになります。
そうなれば、この地域の環境は一変します。
それは、同じ大津市の湖西バイパスの周辺住民の方が
身をもって体験しているところです。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/05/27/1537354
そういえば、騒音対策の会ができて、国道事務所と交渉が
行われたときいています。
その結果を報告する集会があるらしい。
自然のなかに屹立する公共工事の威容です。
巨大な橋と集落は興味深い対照を見せていました。
それをカメラを向けました。
いまは静かですけれど、第二名神が開通し、
昼も夜も車、そして大型のトラックが行きかうことになります。
そうなれば、この地域の環境は一変します。
それは、同じ大津市の湖西バイパスの周辺住民の方が
身をもって体験しているところです。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/05/27/1537354
そういえば、騒音対策の会ができて、国道事務所と交渉が
行われたときいています。
その結果を報告する集会があるらしい。
第二名神がけずる緑の地 Ⅳ 橋げたのフォルムは美しいのだが ― 2007/07/03
大津市上田上から青山に向かう道路に
巨大な陸橋がかかっています。
まだ工事中です。
それは、まちがいなく第二名神の工事です。
大阪から滋賀県への工事はできなくなりました。
しかし、滋賀県から先は工事が続いているのです。
この工事以前ののどかな上田上地域を知っているだけに、
汚された気分でいっぱいになりました。
しかし、同時に、この橋げたを美しいと思う自分がいました。
車を止めました。
この橋の大きさと美しいフォルムを
カメラに収めたいと思ったのです。
巨大な陸橋がかかっています。
まだ工事中です。
それは、まちがいなく第二名神の工事です。
大阪から滋賀県への工事はできなくなりました。
しかし、滋賀県から先は工事が続いているのです。
この工事以前ののどかな上田上地域を知っているだけに、
汚された気分でいっぱいになりました。
しかし、同時に、この橋げたを美しいと思う自分がいました。
車を止めました。
この橋の大きさと美しいフォルムを
カメラに収めたいと思ったのです。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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