お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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なんだろ、この黄色い花?2009/04/30

黄色い花
キツネノボタンかなと思いましたが、
花びらの数がちがいます。
キツネノボタンは5枚。
この花は6枚。

なんなんでしょうね。

一枚一枚が離れていますね。
ごくごく小さい花ですよ。

ナガミヒナゲシ2009/04/22

ナガミヒナゲシ
細長くのびた土手。
ゆっくり歩きながら、たった一本だけど
ナガミヒナゲシを見つける。

茎が細く伸びて、
その咲きに赤い花。

今年もいろんなところで
見かけることになるのだろう。

イモカタバミ2009/04/22

イモカタバミ
ざらざらしたコンクリート塀。
その無骨さを気にしたわけでは ないだろうけれど、
可憐なピンクの花が咲いている。

雑草って片付けるには、もったいない気がする。
気に入った花は、なんどでも撮りたいと思う。
いいですよね。


キツネノボタン2009/04/21

小さな黄色い花(名前は・・・?)
昨晩は、仕事場に泊まり込み。
朝、交代してもらい朝食をとりにでかけました。
そのあとは、湖岸をあるいて戻ります。

曇り空から、雨がふってきてもおかしくない状態。
折りたたみ傘があるので
きにせずに歩きました。

右膝の痛みも薄らいできました。
かがみ込むこともできるようになりました。
それで、小さな花を撮ることも、
ためらわずにできます。

この花、小さいです。
柱頭やおしべの形状など、
写真に撮ってはじめて気がつくことも
多くて、カメラの値打ちを感じます。

穏やかな一日に、
ゆっくり草原をあるいてみたい・・・
マムシが心配ですけれど。

野草2009/04/16

 去年も写真を撮った覚えがあります。
でも、名前が思い出せない・・・いつものように。
 野草事典を繰りながら、見つかるだろうと思うので、
写真をアップしておきます。

これは、ワラビか、ゼンマイか??2009/04/13

これは、ワラビか、ゼンマイか??
若い緑色のなかで、毛深い茶色は目立ちます。
これって、ワラビなのか、それともゼンマイなのか。
自分でも笑いたくなるほど、無知ですね。



カタバミ2009/04/11

カタバミ
サクラが最盛期です。

高島市まで湖西道路を走りました。
混雑しているのは、海津大崎のサクラを
見に行く人たちの車でしょうか。

天気は花ぐもり。
バイパスの終点(当座の)から
眼下にみ下ろせる琵琶湖が
雲海のように見えます。

いつもはどれがサクラなのか
意識することはないのですが、
この季節、ここにもサクラ、
あそこにも・・・と認識させてもらえます。

でも、そんなピンクの魅力に逆らって
小さな小さなカタバミを撮りました。

カラスノエンドウ2009/04/10

カラスノエンドウ
緑のつるが土手の草地に広く見られます。
ところどころにチャーミングな紫の花。

これは、カラスノエンドウ。

植物学的にはヤハズエンドウというらしいですけれど。

菜の花2009/04/10

菜の花
菜の花が、鮮やかな黄色の
オーラを広げている。

あ!ハチがいる。

私が近づいたので
驚いてどっかへ消えていった。
なんか悪いことをしたみたいだ。

写真に付け加えることはないけれど、
公園の一角で眺めているよりは、
広い野原で見てみたい。

朧月夜の歌が心に浮かぶ。

オオキカタバミ2009/04/10

オオキカタバミ 公園にて
オオキカタバミ。
わが家の入り口に咲いている。
公園の周りのグリーンベルトにも。

とても繁殖力が強そうな気がする。

ふつうのカタバミより大きくて、
茎が細長い。
少しだけエレガント。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)