お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
イラク支援特措法案、テロ特措法延長の閣議決定について(談話) ― 2003/06/14
2003年6月13日
イラク支援特措法案、テロ特措法延長の閣議決定について(談話)
社会民主党全国連合
幹事長 福島瑞穂
本日、政府はイラクに自衛隊を派遣することを柱としたイラク復興支援特別措置法案を閣議決定した。イラク戦争の「大義」であったはずの大量破壊兵器の存在、テロ組織との関連性さえ、いまだに明らかにされない中、自衛隊派遣の実績づくりだけを目的とするような法案は、断じて認めるわけにはいかない。
政府がイラク特措法案の根拠とする国連安保理決議1483は、加盟国に復興支援への協力を呼びかけているものの、決して軍事力による貢献を求めたものではない。にもかかわらず、自衛隊の海外派遣には不可欠であったはずの「受入国の同意」を欠き、米英両軍の占領統治下にあるイラクへ自衛隊を派遣することは、「後方支援」であろうとも、憲法9条が禁ずる交戦権の一部を行使することにほかならない。
イラク特措法案は、自衛隊の活動領域を「非戦闘地域」に限定するとしているが、イラクの治安の現状からすれば安全な地域を特定することなど不可能だと言わざるを得ない。また、テロ対策特措法でさえ除外してきた米英両軍の武器・弾薬、兵士を輸送する任務を自衛隊に与えることは、武力行使との一体化、集団的自衛権の行使につながることは明白である。
社民党は、「自衛隊派遣・米軍支援ありき」に立ったイラク特措法案の成立に断固として反対する。同時に、政府が非軍事・人道的支援に徹し、イラク国民を主人公とした国家の再建が一日も早く成し遂げられるよう、復興支援の枠組みを国連中心へと転換する外交努力にこそ力を注ぐことを強く求める。
また、政府は同時にテロ対策特措法の期限延長も閣議決定した。自衛隊のこれまでの活動の詳細、イラク戦争に参戦した米艦船への給油問題、今後の活動の必要性などが一切明らかにされないまま、自衛隊派遣を自動的に延長することなど、審議の対象にさえならないことは一目瞭然である。会期末まで残りわずかという中、このような法案をなし崩し的に国会提出しようとする政府・与党の姿勢は、国会を軽視した無責任極まりないものと、厳しく批判する。
以上
イラク支援特措法案、テロ特措法延長の閣議決定について(談話)
社会民主党全国連合
幹事長 福島瑞穂
本日、政府はイラクに自衛隊を派遣することを柱としたイラク復興支援特別措置法案を閣議決定した。イラク戦争の「大義」であったはずの大量破壊兵器の存在、テロ組織との関連性さえ、いまだに明らかにされない中、自衛隊派遣の実績づくりだけを目的とするような法案は、断じて認めるわけにはいかない。
政府がイラク特措法案の根拠とする国連安保理決議1483は、加盟国に復興支援への協力を呼びかけているものの、決して軍事力による貢献を求めたものではない。にもかかわらず、自衛隊の海外派遣には不可欠であったはずの「受入国の同意」を欠き、米英両軍の占領統治下にあるイラクへ自衛隊を派遣することは、「後方支援」であろうとも、憲法9条が禁ずる交戦権の一部を行使することにほかならない。
イラク特措法案は、自衛隊の活動領域を「非戦闘地域」に限定するとしているが、イラクの治安の現状からすれば安全な地域を特定することなど不可能だと言わざるを得ない。また、テロ対策特措法でさえ除外してきた米英両軍の武器・弾薬、兵士を輸送する任務を自衛隊に与えることは、武力行使との一体化、集団的自衛権の行使につながることは明白である。
社民党は、「自衛隊派遣・米軍支援ありき」に立ったイラク特措法案の成立に断固として反対する。同時に、政府が非軍事・人道的支援に徹し、イラク国民を主人公とした国家の再建が一日も早く成し遂げられるよう、復興支援の枠組みを国連中心へと転換する外交努力にこそ力を注ぐことを強く求める。
また、政府は同時にテロ対策特措法の期限延長も閣議決定した。自衛隊のこれまでの活動の詳細、イラク戦争に参戦した米艦船への給油問題、今後の活動の必要性などが一切明らかにされないまま、自衛隊派遣を自動的に延長することなど、審議の対象にさえならないことは一目瞭然である。会期末まで残りわずかという中、このような法案をなし崩し的に国会提出しようとする政府・与党の姿勢は、国会を軽視した無責任極まりないものと、厳しく批判する。
以上
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
最近のコメント