お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
土地埋立て調査には危険がある ― 2004/11/01
大津市の北部の山間地は、もちろん風光明媚。
しかし、そういう地にかぎって、産廃埋め立て疑惑がつきまといます。
正義感の強い元市議会議員のSさんにつきあって下見調査しましたが、埋め立て作業所の要員においたてられる始末。いろんな意味で危険が伴うことを実感します。
そういう危険を肌身で感じるにつけ、疑惑は深まり、そのままにしてはいけないと思うのです。
埋め立てには、持ち主の許可がいりますが、お金のからむこともあり、反対運動といっても、単純には行きません。たとえ、公道や公の土地が不法占拠されているとしても、行政の対応は、俊敏かつ厳正とはいかないのです。
それゆえ、Sさんの正義感と勇気がまぶしく思えるのです。
しかし、そういう地にかぎって、産廃埋め立て疑惑がつきまといます。
正義感の強い元市議会議員のSさんにつきあって下見調査しましたが、埋め立て作業所の要員においたてられる始末。いろんな意味で危険が伴うことを実感します。
そういう危険を肌身で感じるにつけ、疑惑は深まり、そのままにしてはいけないと思うのです。
埋め立てには、持ち主の許可がいりますが、お金のからむこともあり、反対運動といっても、単純には行きません。たとえ、公道や公の土地が不法占拠されているとしても、行政の対応は、俊敏かつ厳正とはいかないのです。
それゆえ、Sさんの正義感と勇気がまぶしく思えるのです。
琵琶湖岸に中世の風景があらわれる ① ― 2004/11/02
湖岸を走る161号線。
琵琶湖への視線をさえぎっていた塀が取り除かれたとき
あっと驚く風景が目に飛び込んできました。
それを交差点で見つけ、
信号で停車中に車から写真をとりました。
それが上の写真です。
交差点をすぎ、駐車場に車を止めて、より近くで見ようと思いました。
琵琶湖への視線をさえぎっていた塀が取り除かれたとき
あっと驚く風景が目に飛び込んできました。
それを交差点で見つけ、
信号で停車中に車から写真をとりました。
それが上の写真です。
交差点をすぎ、駐車場に車を止めて、より近くで見ようと思いました。
琵琶湖岸に中世の風景があらわれる ② ― 2004/11/03
道路の湖岸側は歩道がありません。
また横断歩道もなく、危険なために、道路をはさんで写真をとりました。
わかりにくいのは、そのためにです。
ガードレールの向こうをみていただくと、かやぶきの家が見えます。
そして、それとならんでいくつかの民家が見えました。
うまくない写真で、申し訳ありません。
侵入するわけにもいかなかったのです。
この風景を見て、タイムスリップして、中世に戻った気がしました。
見ていて、とてもやすらぎを感じました。
急いでいないときに、ゆっくり眺めたいと思いました。
しかし、塀が壊されたのは、宅地開発のためでした。
この風景は、まもなく見ることができなくなるはずです。
また横断歩道もなく、危険なために、道路をはさんで写真をとりました。
わかりにくいのは、そのためにです。
ガードレールの向こうをみていただくと、かやぶきの家が見えます。
そして、それとならんでいくつかの民家が見えました。
うまくない写真で、申し訳ありません。
侵入するわけにもいかなかったのです。
この風景を見て、タイムスリップして、中世に戻った気がしました。
見ていて、とてもやすらぎを感じました。
急いでいないときに、ゆっくり眺めたいと思いました。
しかし、塀が壊されたのは、宅地開発のためでした。
この風景は、まもなく見ることができなくなるはずです。
失われていく路地に ― 2004/11/04
●失われていく路地の風景
旧市街には、路地が多くありました。しかし、区画整理や持ち主の建て替えなどで、次々と失われていきます。
車で移動している方には、わからないことですが、旧市街は奥深く、意外なところに空間があり、そこに祠などを見つけることができるのです。
そういう風景が失われていくのは止めようがなくても、記録に残し、やがてそこから新しい都市空間を生み出す知恵がでればいいと思うのです。
旧市街には、路地が多くありました。しかし、区画整理や持ち主の建て替えなどで、次々と失われていきます。
車で移動している方には、わからないことですが、旧市街は奥深く、意外なところに空間があり、そこに祠などを見つけることができるのです。
そういう風景が失われていくのは止めようがなくても、記録に残し、やがてそこから新しい都市空間を生み出す知恵がでればいいと思うのです。
サルの家族がバイパス入り口にいました ― 2004/11/05
車を走らせていると、バイパスの入り口付近の歩道を歩く猿の姿がありました。1匹かと思うと、家族づれらしく3匹います。
「こんな場所で見た」と友人に告げると、「いつもいる」とのことでした。
●猿の被害
大津市は、山と湖が両側に迫り、わずかな地面を南北に生きている街です。湖の方角に住宅地を広げることができませんから、自然、山手へ山手へと進みます。
雪のときなんかは、「どうしてこの道を車で降りるんだ!」と思わずにいられないところまで、住宅地は広がっています。
お猿さんの生息地は、人間の住宅地に変わり、アメリカの先住民のように追いやられていく始末なんでしょうね。そこから、お猿さんの逆襲が始まり、いま、「猿害」が問題となっています。
あるお家では、盆栽をつぎつぎとひっくり返され、放り投げられる、また冷蔵庫をあけて食べ物をとられるなどの被害があるそうです。笑い事ではないですね。
別の地域では、犬さんが被害にあっているとか。自宅から一歩でたら、犬小屋の前に、巨大な猿(そう見えたらしい)がいて、飼い犬を威圧していたそうです。怖くなって家人を呼んでも、なかなか退散しない大物だったとか。
大津市も対策を求められていますが、対症療法では解決の道は見えません。
「こんな場所で見た」と友人に告げると、「いつもいる」とのことでした。
●猿の被害
大津市は、山と湖が両側に迫り、わずかな地面を南北に生きている街です。湖の方角に住宅地を広げることができませんから、自然、山手へ山手へと進みます。
雪のときなんかは、「どうしてこの道を車で降りるんだ!」と思わずにいられないところまで、住宅地は広がっています。
お猿さんの生息地は、人間の住宅地に変わり、アメリカの先住民のように追いやられていく始末なんでしょうね。そこから、お猿さんの逆襲が始まり、いま、「猿害」が問題となっています。
あるお家では、盆栽をつぎつぎとひっくり返され、放り投げられる、また冷蔵庫をあけて食べ物をとられるなどの被害があるそうです。笑い事ではないですね。
別の地域では、犬さんが被害にあっているとか。自宅から一歩でたら、犬小屋の前に、巨大な猿(そう見えたらしい)がいて、飼い犬を威圧していたそうです。怖くなって家人を呼んでも、なかなか退散しない大物だったとか。
大津市も対策を求められていますが、対症療法では解決の道は見えません。
お、虹だ! ― 2004/11/16
今津町で、虹を見ました。
最近見たことがないので、カメラを向けました。
仕事の最中だったので、画として美しい場所というわけにはゆきません。
それでも、写っているだけで満足でした。
なんか・・・うれしい気分です。
●虹という言葉
辞書を調べてわかったことですが、「虹」という漢字は、虫偏ですが、この虫は龍を表すらしいです。なるほど、空に舞う竜の姿からきているのですね。
英語では、「雨の弓」、フランス語では「空にかかるアーチ」が語源とか。
●虹のかなたへ
虹で一番に連想するのは、「over the rainbow」(虹のかなたに)という歌です。そして、この歌からさらに連想するのは、NHKの大河ドラマ「二つの祖国」(こういう名前だったと思います)のあるシーンです。
第二次世界大戦末期に、敗色濃い日本に暮らす米国籍の日本人二世。その少女が歌うシーンですが、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
最近見たことがないので、カメラを向けました。
仕事の最中だったので、画として美しい場所というわけにはゆきません。
それでも、写っているだけで満足でした。
なんか・・・うれしい気分です。
●虹という言葉
辞書を調べてわかったことですが、「虹」という漢字は、虫偏ですが、この虫は龍を表すらしいです。なるほど、空に舞う竜の姿からきているのですね。
英語では、「雨の弓」、フランス語では「空にかかるアーチ」が語源とか。
●虹のかなたへ
虹で一番に連想するのは、「over the rainbow」(虹のかなたに)という歌です。そして、この歌からさらに連想するのは、NHKの大河ドラマ「二つの祖国」(こういう名前だったと思います)のあるシーンです。
第二次世界大戦末期に、敗色濃い日本に暮らす米国籍の日本人二世。その少女が歌うシーンですが、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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