お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

鶴見俊輔さんが「私の根」を語る2006/05/20

鶴見俊輔さんが、大津市で憲法のつどいでお話をされました。
ちなみに「九条の会」の呼びかけ人の一人です。

    九条の会のオフィシャルサイト
      http://www.9-jo.jp/

「5・20 なくそう戦争 守ろう憲法9条 平和フェスタ イン 湖西」
という催しです。
私は、ミクシに当日の感想を日記として書きました。
それを、少し変えてここにも書き込みます。

●ミクシに書いた日記から

今日、鶴見俊輔氏の話を聴きました。
聴衆は、300人ぐらいでした。

残念ながら、
「いいたいことがわからない」とか、
「ほとんど関係ないことを話されていた」とか
いう言葉がもれ聞こえてきました。
それだけでなく、児玉源太郎(陸軍副参謀長)を賛美した箇所では、
会場から、罵声さえ聞こえました。

話も長引き、中途で切り上げるようにと、
主催者の側から指示のメモが渡される場面もありました。

せっかくの話を中断し、結論までの流れが
断ち切れてしまった鶴見俊輔氏には、 気の毒でした。
私はききたかったのですけれど。

●たとえまわりくどくても

心なし罵声をあげた人もいましたが、
私には、記憶に残る話でした。

鶴見俊輔氏もそうですが、
大江健三郎氏の講演も最後まで聴くと、
驚きと共に、 思いもしなかったことがつながり、
世界がちがって見えてくるのです。

平和はいいものだとだれもが思います。
しかし、いろんな理屈や現実が押し寄せてくると、
「そうはいうけれどと軍備は必要さ」と
説得されてしまうものなのです。

そんなとき、なにがよりどころになるのでしょうか。

高齢者だと、戦争体験があり、その痛みが
なにごとにもごまかされず、立ち向かうよりどころになるでしょう。
しかし、そういう体験をしたことのない世代はどうなるのでしょうか。

私には、文学や哲学の存在意義がこれらの
人々(鶴見俊輔、大江健三郎)によって
あらためて教えられる気がしました。

鶴見俊輔さん、いつまでもお元気で。

●『マイホームレス・チャイルド 下流社会の若者たち』(三浦展)2006/05/25

 三浦展氏の『マイホームレス・チャイルド 下流社会の若者たち』(文春文庫 06年5月) を読んだ。

一日で読みきりましたが、(!)とか(?)とかを いろんな箇所につけました。

ここで分析されている現象のうち、いくつかには実感があります。
しかし、そのほかには実体験がありません。

まあ、住んでいるのが地方都市ですからね。

●納得と不同意

電車に乗り込んで、コンビにのオデンを食べだすという話は、笑えました。
説得力があるとおもう部分とそうでない部分のギャップもあります。
細かいことをいわなければ、世代の分け方で (その背景の説明もあり)生き方の違いを明らかにしていくことの有効性はあると思いました。

そうでない部分は、たとえば家族の問題です。 これには、異論があります。

《消費によって家族をまとめられないという時代に
 なった》(25㌻)

《現在では、ひとりでも便利で快適な生活ができるように
 なってしまったので、家族の存在理由が不明になり、
 たとえ家族であっても、自分の快適な生活を阻害する
 存在として意識されるようにすらなっているのでは
 ないだろうか。そこには、家族は相互に助け合って
 いるのではなく、相互に犠牲になっているという意識
 すら生まれる危険性がある》(26㌻)

《現在の若者は自分が主体として何ものかを所有するより
 以前に、実は生まれたときから彼ら自身が狭苦しい
 マイホームの中で客体として所有された耐久消費財
 であり、親によって「マイぼくちゃん」「マイお嬢
 ちゃん」として占有された息苦しい体験をしている
 からだ。》

《だから、家など買わず、冷蔵庫も洗濯機も持たず、
 自動車も持たず、結婚もしない、そんな生き方が
 求められているように思える。どこにも定住せず、
 いたずらに私有せず、そのとき必要な最低限の物
 だけを持ち歩き、そのとき必要な最低限の人間と
 だけつながりあいながら生きていく、そうした
 生き方が若者にとって新鮮さを持ち始めている
 ように見える》(66㌻)

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)