お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
中学校給食をめぐって ― 2007/04/24
わが大津市には、中学校給食がありません。私の子どもの頃からそうです。家庭からお弁当をもっていくか、それとも購買部でパンを買うか、それとも、外出許可証をもらって近所のお店に買いに行くかでした。
給食の時間、それぞれのお弁当の中身が、無邪気に話題になるし、平気で「今日もネコメシ!」といわれて傷つくこともありました。それぞれの家庭の事情もあるのに、そんなことをわかる年代でもありません。
子ども達が中学生になり、今度は親となった私たちがお弁当をつくらなければならなくなりました。当然と思っていましたから、共働きで変則勤務のカミさんと交代しながらでも、つくりました。私のつくるお弁当は、あまり評判がよくなかったらしい。子ども達は、私には一言も文句をいわなかったのですが。
●全国では「あるのが当たり前」
でも、中学校給食って、文部科学省が発表する実施率を見れば、あるのが当然だったのです。http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/index24a.htm
「えぇ!」と驚きながら、ぜひ実現したいと思ったのです。私が子ども達はもう高校生なので、直接の恩恵を受けることができませんが。
●あるのに、わざわざつぶすのか!
2006年3月20日に、志賀町が大津市に編入合併されました。「なんでも大津市にあわせる」というのが、その中身。もちろん、反対は多かったのです。その結果、いまある志賀中学校の自校方式の調理場(上記写真)は、数年前に改装されたにもかかわらず、「廃止」の方向が決まっています。
その理不尽さが怒りを呼ばないはずはありません。
わたしは、旧大津人。大津市になかったために、つぶされるはめになった志賀町人のためにも、なんとかしたいと思いました。
■大津市立(町立から変わった)志賀中学校のサイト
http://www.ex.biwa.ne.jp/~shiga-schu/
ネットを検索していると、大阪市では中学校給食を廃止しようという動きがあるらしい。「国は推進の立場ではなかったのか!なんで、市町村はその逆になるんだろう?」と思わずにはいられません。
給食の時間、それぞれのお弁当の中身が、無邪気に話題になるし、平気で「今日もネコメシ!」といわれて傷つくこともありました。それぞれの家庭の事情もあるのに、そんなことをわかる年代でもありません。
子ども達が中学生になり、今度は親となった私たちがお弁当をつくらなければならなくなりました。当然と思っていましたから、共働きで変則勤務のカミさんと交代しながらでも、つくりました。私のつくるお弁当は、あまり評判がよくなかったらしい。子ども達は、私には一言も文句をいわなかったのですが。
●全国では「あるのが当たり前」
でも、中学校給食って、文部科学省が発表する実施率を見れば、あるのが当然だったのです。http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/index24a.htm
「えぇ!」と驚きながら、ぜひ実現したいと思ったのです。私が子ども達はもう高校生なので、直接の恩恵を受けることができませんが。
●あるのに、わざわざつぶすのか!
2006年3月20日に、志賀町が大津市に編入合併されました。「なんでも大津市にあわせる」というのが、その中身。もちろん、反対は多かったのです。その結果、いまある志賀中学校の自校方式の調理場(上記写真)は、数年前に改装されたにもかかわらず、「廃止」の方向が決まっています。
その理不尽さが怒りを呼ばないはずはありません。
わたしは、旧大津人。大津市になかったために、つぶされるはめになった志賀町人のためにも、なんとかしたいと思いました。
■大津市立(町立から変わった)志賀中学校のサイト
http://www.ex.biwa.ne.jp/~shiga-schu/
ネットを検索していると、大阪市では中学校給食を廃止しようという動きがあるらしい。「国は推進の立場ではなかったのか!なんで、市町村はその逆になるんだろう?」と思わずにはいられません。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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