お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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第二名神の橋梁がこの地にも 土山から2007/07/04

滋賀県甲賀市の三重県との境にある土山町。
そこの自然は美しく、ダムも景観のなかに調和をしていると思えました。
しかし、そこで見たものは、モアイのような第二名神の土台。
この地に第二名神が通れば、排気ガスや騒音で
環境はいっぺんしてしまいます。

この写真は、2005年10月のものです。
いまは、どうなっているのでしょうか?

琵琶湖を高層建築の壁が囲むのは止められないのか?①2007/07/04

滋賀県大津市の歴史博物館は、山手にあります。
そこから東に盆地と琵琶湖が広がっています。

この写真は、なんでもないような市街地が写っています。
しかし、よく見ると・・・むしろ、よく見ないと
琵琶湖が写っているのがわからないと思うのです。

この数年で高層マンションはみるみる増えています。
山手と琵琶湖の間のわずかな幅しかない大津市。
そこに、高層マンションが無秩序に建設されると
どうなるでしょうか。

普通の民家では、すぐそこに琵琶湖があるのに見ることができません。
歴史博物のような山手ですら、この状態。

上の写真は、2007年3月1日のものです。

琵琶湖を高層建築の壁が囲むのは止められないのか? ②2007/07/04

大津市の市役所の近くにある歴史博物館。
高台にあって、琵琶湖を見下ろす位置にあります。
①の写真は、東南の方向を写したもの。
すこし左にカメラを向けると
上の写真のような風景になります。

琵琶湖が見えるでしょうか?

青くとんがった屋根をもつ建物は、
びわこ競艇場です。

正面の三角の山は、三上山。
古い近江人は、「近江富士」と呼んだ山です。
とても、スケールがちがいますが。

古くから住んでいる人間には、
ここでも、琵琶湖の存在が遠く、遠くなっていくのが
わかります。

琵琶湖を高層建築の壁が囲むのは止められないのか? ③2007/07/04

大津市は、琵琶湖に面した人口30数万の県庁都市。
市役所の近くにある歴史博物館は、その歴史を展示しています。
この博物館は、高台にあって、市街地や琵琶湖を見下ろすことができます。

① http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/04/1623648

② http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/04/1623672
の写真は、望遠レンズで撮ったもの。

全体が見渡せる広角レンズで撮ると上の写真になります。

正面は琵琶湖が見えますが、とくに右手はもう見ることができません。

ちなみに、手前のグランドは、大津商業高校のものです。

これは、2007年3月1日の写真ですが、
琵琶湖を囲む高層建築の壁は、いつごろから目立つように
なったのでしょうか?

2002年の写真を見つけましたので、
次にそれをアップします。

画像の拡大機能は、記録としての機能を高めますね。歓迎・・だけど大きすぎる場合はどうするの?2007/07/04

画像の拡大機能がついたのは、もちろん歓迎です。
小さな画像よりも、大きな画像の方が迫力ありますし、
ディティールも見えます。

自分で日記をつけていて、写真をたいてい一緒にアップしています。
自分の言いたいことを具体的に示す写真が大切だし、
その写真を見て、なにかを発見するとかですね。
とてもアートとはいえない、私の写真でも、
拡大することで記録性が高まると思いました。

偶然ですが、今日は、琵琶湖の周りを塀のように取り囲む
高層建築について書こうと思いました。
そんなとき、文字より現実が大事ですから、「写真が命」という
感じになります。
アップしても小さいし、書いている意味が通じないだろうなって
思うと、すこしむなしくなるのです。
ですから、つい愚痴っぽく「小さい画像でよくわからないでしょうけれど」って
書いてしまうのです。

でも、拡大機能はそんなストレスを解消してくれます。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/03/1621246
↑これを更新しました。
しかし・・・・拡大画像が大きすぎる!!

これから、自分がわかってもらうのに必要だって思う画像は
拡大機能が使えるように更新していきますが、
これってあんまり!?
オリジナルのサイズを変える必要があるってことでしょうか?

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)