お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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参議院選挙の争点としての消費税増税問題2007/07/14

参議院選挙の争点はなにかについて書かれた新聞報道を読みながら、消費税増税問題こそという主張には、興味をひかれました。以下はその記事です。

**************フジサンケイ ビジネスアイ*********************

参院選 消費税増税こそ真の争点 論説委員室長・原誠
7月13日8時36分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 参院選が火ぶたを切ったが、与野党の論戦を聞いていて、どうも煮え切らない思いがする。景気が巡航速度にある中での選挙戦とあって、各党のマニフェスト(選挙公約)からは景気に関する政策が姿を消し、年金制度改革や財政再建といった日本経済の中長期的な展望を描く上で欠かせない根源的な課題が争点として浮上。国民に日本の将来を問う格好の選挙となるはずが、この2つの改革と切り離せない消費税増税問題を俎上(そじょう)に載せることに対し、肝心の自民党の腰が引けているからだ。

 年金に関しては、保険料の納付記録漏れ問題も現政権批判の材料となっているが、国を信じて預けたお金をきちんと管理できないとなれば、それこそ国民一揆を招く。その辺は現政権も分かっているだろうから、当面の改善策と責任の取り方を厳しく監視していけばいい。

 それ以上に重要なのが年金制度そのものが破綻(はたん)をきたさないようにすることだ。2004年の年金改正で、基礎年金の国庫負担割合を09年度までに従来の3分の1から2分の1にまで段階的に引き上げることを決めたが、その財源はいまだに確定していない。

 財政再建にしても同じだ。企業業績の好調に伴う税収増を背景に、11年度までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化という政府目標の達成にはある程度めどがついたにしても、その後は少子高齢化が経済成長の足かせとなるのは必至で、巨額な国の借金を少しでも早く減らさなければならない。

 すなわち、消費税増税は喫緊の課題であるはずだ。自民党はマニフェストに「消費税を含めた税体系の抜本的改革」を実現すると明記している。だが、安倍晋三首相はいったんは消費税増税をにおわせたにもかかわらず、その後トーンダウンしてしまった。

 一方、3年前の参院選で「年金目的消費税」の導入を掲げた民主党は一転、消費税率を据え置いたままで全額を基礎年金の財源にするという案を持ち出したが、その実現性には多くの識者が首をかしげている。

 結局、与野党ともに選挙にマイナスになりかねない問題を避けて通ろうとしているだけだ。だが、導入から20年近くたち、国民の消費税のとらえ方も進化している。これから6年も国会議員を務めようという人を選ぶのだ。消費税に対する考え方を確かめてから一票を投じたい。

最終更新:7月13日8時36分

『軍都・大津』(中島峰夫):米軍基地返還(大津市)の歴史を読む2007/07/14

 『軍都・大津』は、「高校生のための社会科読本」というサブタイトルを持っています。著者の中島峰夫氏は、高校の教員でもあり、その教育実践のなかからこの本が生み出されたといえます。2000年夏に出版されました。
 私は、大津生まれの大津育ちです。
 ですから、このなかの写真や記述になじみのあるものがあります。
それでもこのような角度から、街の歴史を見てきたわけではありませんので、あらためて驚くことがたくさんありました。
 たとえば、生家が、米軍基地から数百メートルも離れていない地点に位置していたことなどです。
 そのことはともかく、湖のほとりの古都・大津市に、米軍キャンプがあり、その基地被害があり、基地返還運動の歴史があったことを興味深く読みました。
 ちなみに、中島氏は、私の高校の先輩にあたります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)