お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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コンドラシンの「バビ・ヤール」1967年録音(メロディア)2007/07/27

キリル・コンドラシン(Кирилл Кондрашин, 1914年3月6日 - 1981年3月7日)によるショスタコーヴィチの15曲の交響曲全集のうちの一枚です。ちなみに、コンドラシンが初演したのは、第4番と第13番「バビ・ヤール」です。ともに、政治的にきわどい運命をもった作品です。

アルトゥール・エイゼン(バス)
アレクサンドル・ユーロフ(合唱指揮)
アカデミー・ロシア共和国合唱団
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

エフトシェンコの詩は、余儀なくされた改訂版を使用しています。

コンドラシンのサイト

http://kirill-kondrashin.com/

コンドラシンの「バビ・ヤール」(1963年)РЕСО盤2007/07/27

コンドラシンの「バビ・ヤール」(ショスタコーヴィチ交響曲第13番)は数種類録音が残されているといいます。
初演されたのが、1962年12月18日。この初演のライヴは存在しないとされています。この二日後の20日に演奏されたライヴ盤が存在します。

ヴィタリー・グロマツキー(バス)
アレクサンドル・ユーロフ(合唱指揮)
アカデミー・ロシア共和国合唱団
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団/1962.12.20(ライブ モスクワ音楽院大ホール)RUSSIAN DISC, VENEZIA

これを探していたのですが、見当たりません。

グロマツキーがバスのソロを歌っている盤は、3種類あるときいています。
上の写真のCDは、そのうちのひとつです。中古で買ったのか、新品で買ったのか、忘れてしまいました。
グロマツキー盤の最後は、1965年録音。

このCDは、はじめから咳払いが聞こえています。モノラルで音質も他の盤に比べたら、落ちるのは仕方ありません。
録音データは、
ヴィタリー・グロマツキー(バス)
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と男声合唱団●/1963
モスクワ音楽院でのライヴ

コンドラシンの「バビ・ヤール」(VЕНЕЦИЯ盤)発見したんですが・・・。2007/07/27

 コンドラシンの「バビ・ヤール」(ショスタコーヴィチ交響曲第13番)をタワレコで発見して、喜んで買いました。詳しい録音日のデータが書かれていなかったのですが、バスがクロマツキーですから、初演まもない録音かも知れないと思ったからです。
 買って聴くまでに時間がかかりました。いまとても多忙なときでしたから。
聴いてみると、冒頭から咳払いが聞こえます。
そうです、РЕСО盤と同じ音源でした。
各楽章の表記上の長さはわずかなずれがありますが、咳払いのタイミングが同じですから、間違えようがありません。
でも、まあいいです。
カンタータもついていましたから。

辺野古での事件:平良夏芽さんからの緊急声明を読んでください2007/07/27

辺野古で、非暴力をつらぬいて海をまもっている平良夏芽さんの身に重大な事件がおきました。それについて、夏芽さん自身が声明をだされています。ぜひお読みください。
私は、ばるたんさんから送っていただいた平良さん講演を収めたDVDを見て、だまっていられず、平良あてにメッセージを書きました。身勝手な行動ではありましたが、それにわざわざコメントを送っていただきました。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/09/1567352
 その身におきた事件だけに、他人事ではありえないのです。

緊急声明は

http://henoko.jp/info/2007/07/26_000717.html

「平成の大合併」の弊害:震災における独自の判断や対応を遅らせる2007/07/27

《中越沖地震:備蓄食糧千人分…地震当日、避難所に届けず》という記事が毎日新聞から発信されました。タイトルを見て、住民の苦難に向き合った対応にまず怒りがわきました。そのうえで、記事を読みました。
 どんな不手際には、その理由があり、原因があります。そもそも緊急時には、現場の判断が大事なのです。上からの規則や手続きにしばられたのでは、自治体という名前と趣旨に矛盾します。
 そのことをふまえたうえで、「平成の大合併」がもたらした荒廃を見た気がしました。制度のあり方についても、それを運営する人たちの意識のなかにも。こういう点を指摘したいい報道だと思いました。

***************資料  毎日新聞の記事******************

中越沖地震:備蓄食糧千人分…地震当日、避難所に届けず

 新潟県中越沖地震が起きた今月16日、柏崎市が同市西山町(旧西山町)の倉庫に備蓄していた約1000人分の食糧を、当日は被災者に一切配っていなかったことが26日分かった。このため同町の避難所の約2400人に食べ物が行き渡ったのは、16日午後11時過ぎだった。市西山町事務所は「備蓄食糧があると知らなかった。もし把握していても、本庁の指示がなく配れなかったはず」と説明。備蓄を管理する本庁の担当者は「事務所が独自に対応してもよかった」と反論している。
 市防災・原子力課によると、市は同事務所が管轄する西山町の住民向けに、事務所近くの倉庫に缶入り乾パン約1000食分を保管。しかし同事務所は町内12カ所の避難所に、地震後すぐに届けていなかった。間もなく備蓄に気付き、17日以降に配ったという。
 同町の16日夜の避難者は約2400人。約250人の避難者がいた同町の南部コミュニティセンターに食べ物が届いたのは午後11時ごろで、本庁から事務所経由で送られた救援物資だった。民間団体が同8時半ごろ、水とおにぎりを高齢者や子供に優先的に配ったが、大半の人には行き渡っていなかった。家族と避難した会社員の男性(50)は「いつ食べ物が届くのか情報がなく、不安なまま過ごした。備蓄があったのなら届けてほしかった」と話した。
 西山町は05年5月に柏崎市と合併している。合併前の04年の中越地震は夕方に発生したが、同町ではその日の夜に約230食分の炊き出しがあった。町が農協と連携し、スムーズだったという。元町幹部は「合併により、以前のような独自の判断や対応が難しくなった」と指摘する。
 都市防災に詳しい長岡造形大学の平井邦彦教授(63)は「中越地震後に進んだ『平成の大合併』の影響で、人口が多く力の強い自治体に裁量権や権限が集中。周縁部では、予算措置を伴う決断などが難しくなっている。地震などの緊急時にこそ、各地域の判断で機敏な対応ができるシステムをつくる必要がある」と話している。【浅野翔太郎、伊藤直孝】

毎日新聞 2007年7月27日 3時00分

地方の格差是正は重要な主題だと思いますが2007/07/27

 地方の格差問題は参院選の重要な争点だと思います。同時に、有権者の焦眉の問題に態度を明確にするのも大切です。
 地方分権・地方自治についての滋賀県選挙区の三候補の見解についての報道がありましたので、メモすることにします。

************京都新聞 7月26日付******************
争点から遠のく 地方分権
参院選滋賀選挙区
 「道州制」「ふるさと納税」など、地方分権のテーマが参院選の争点から遠のいている。年金問題などに隠れ、街頭や演説会で論じられることがほとんどないためだ。ただ、道州制やふるさと納税についての滋賀選挙区各候補の考えは、与野党で大きく分かれている。

 各党のマニフェスト(公約集)には、地方分権に関する項目は、一応は盛り込まれている。

 自民党は「道州制導入の推進」「地域間の財政力格差の縮小」を掲げる。民主党は国から地方への補助金を廃止し、全国を300程度の基礎的自治体に再編することを盛り込んだ。共産党は「国による地方切り捨ては許さない」として、道州制や地方交付税削減などに反対している。

 いずれの政策も優先順位は高くない。自民党は155項目ある公約の、民主党は50の重点政策の、それぞれ1項目にとどまっている。共産党は12ある重点政策の1章で地域経済と抱き合わせている。

 このうち道州制について、滋賀選挙区の自民党現職の山下英利候補は「交通・通信の発達など社会・経済の発展に伴い、現行の区域は相対的に狭くなっている」と導入に賛意を示す。

 これに対して民主党新人の徳永久志候補は、「道州制に移行すべきとの結論に達していない」とし、「国の全事業を徹底的に見直し、国と地方の役割を抜本的に変える必要がある」と主張する。

 共産党新人の坪田五久男候補は「国民の暮らしに関わる分野について、国の役割を放棄するもので、住民サービスをますます後退させる。財界の経済活動優先の機構づくり」と批判している。

 一方、地方の財政格差是正策として政府が打ち出している「ふるさと納税」については、徳永、坪田両候補が否定的だ。徳永候補は「地方交付税は実質的に『ふるさと納税』で、より合理性は高い」、坪田候補も「地方を疲弊させた原因は、地方の格差を是正する地方交付税の削減。交付税の本来の機能を回復すること」と、いずれも交付税の拡充を主張する。

 山下候補は「個人には税の使途選択権がないなどの問題はあるが、一定の枠組みの中で実施することには賛意を表したい」としている。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)