お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「中心商店街」を歩きました2007/08/04

 ナカマチ商店街は、大津市の中心としてではなく、滋賀県全体の最先端の商店街としての地位を持っていました。アーケードの設置も県内で最初のはずです。
 ところで「ナカマチ商店街」は、長等商店街、菱屋町商店街、丸屋町商店街3つの総称。全長は550メートル。
 それを平日(木曜日)の午前11時ごろに縦断しました。
 この時間帯は、近所の方々がお昼の材料を買うなど一番にぎわうと思われる時間帯です。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅰ長等商店街①2007/08/04

京都市から大津市に京阪電車が運行しています。逢坂の山を越えて、浜大津港までを京津線(京都と大津)といいます。その電車道と直行する形で、アーケードをもつ商店街があります。
 西の入り口から、長等商店街、菱屋町商店街、電車道をはさんで、丸屋町商店街とつづいています。
 この写真は、長等商店街の途中、入り口にちかい箇所から西の入り口にむけて撮影したものです。
 アーケードの先に、「長等商店街」の文字が見えます。
 すでに午前11時ですが、開店する店が少なく、シャッターは閉まったままです。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅰ長等商店街②2007/08/04

そこから東に歩きはじめました。
入り口から50メートルぐらいから、商店街らしい舗装と照明がついています。買い物客も何人か見ることができます。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅰ長等商店街③2007/08/04

長等商店街の真ん中あたりでしょうか。シャッターを閉めているお店は比較的少ないものの、お客はまれで、見通しがよい状態です。
時間は、午前11時10分ごろ。
夕方になるともう少しお客さんはふえるのでしょうか?

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街①2007/08/04

 ナカマチ商店街の中心部分に到着しました。西から、長等商店街⇒菱屋町商店街⇒丸屋町商店街とつづきますが、「西友」百貨店(小さい)が出店している菱屋町商店街がもっともにぎやかだと思います。
 ここからが、その菱屋町商店街です。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街②2007/08/04

「ナカマチ商店街」の中心にある菱屋町商店街。そこは、長等商店街や丸屋町商店街にくらべて活気がありますが。
 それだけに、シャッターが閉まっている店が目をひきます。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街③2007/08/04

ここにもシャッターと張り紙が・・・。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街④2007/08/04

ああ、ここもシャッターと張り紙ですか。
この街で生まれ、育った私ですから、いまさらながら驚き、心が暗くなります。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街⑤2007/08/04

閉まっているお店を一軒一軒紹介することが目的ではありません。
そのほかにも何軒もお店は閉まっているのです。
ようやく出口が見えました。電車道をはさんで、丸屋町商店街に入ります。
この出口付近は、シャッターの閉まったお店がほとんでです。

「ナカマチ商店街」を歩く:Ⅱ菱屋町商店街⑥2007/08/04

菱屋町商店街の東の端から、歩いてきた方向を写しています。これまでとは逆方向を写して見ました。シャッターが閉まっている様子がよくわかります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)