お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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西南戦争130周年の年:曽於市大隅町2007/10/13

西南戦争は、明治10年の出来事。つまり、1877年。
今年は、2007年ですから、130周年ですね。
調べていくと、記念行事が行われているようです。
 「官軍墓地」がそのきっかけ。


西日本新聞はつぎのように伝えています

●官軍墓地で慰霊祭 西南戦争終結130年
 地元住民が30年ぶり 曽於市大隅町

 西南戦争の終結130周年を記念し、曽於市大隅町の官軍墓地で24日、慰霊祭が行われた。地元の「大隅町あつみ会」(沢俊文会長)が企画。小雨の中、約30人が戦没者の冥福を祈った。
 官軍墓地には、大隅地域で戦った政府軍(官軍)の戦没者74人が葬られている。出身地は山形や秋田、福岡、熊本など各地。県内で唯一現存する官軍墓地だ。
 同会は、山形県温海(あつみ)町(現鶴岡市)との相互交流を通じて、同町の住民たちが戊辰戦争で戦死した薩軍を慰霊していることを知り、官軍墓地での慰霊祭を計画。同会が、荒れ果てていた官軍墓地を改修した1977年以来の慰霊祭となった。
 沢会長は「怨念(おんねん)を超えた友好の場として、県唯一の官軍墓地をアピールし、今後は年1回の慰霊祭を行いたい」と話していた。

=2007/09/25付 西日本新聞朝刊=

西南戦争の碑文:大津市2007/10/13

西南戦争の碑文(大津市)
明治11年に建設された西南戦争戦死者の碑。
「紀年碑」とだけかかれています。
その台座にあるのが、この碑文。
二代目滋賀県知事(官選)籠手田安定が文章を書いています。

イオンモール(草津新浜)工事2007/10/13

イオンモールが8月7日にこの看板を立てた。
開発許可を得て、工事を開始した。

住民への説明会は、この後になって
行われているのに。

残る手続きは、営業許可。

イオンモール予定地はすでに更地に2007/10/13

イオンモール用地はすでに整地が
草津市新浜。
草が生い茂り、ところどころに民家や
事業所があった場所は、
このとおり整地されています。
(10月12日撮影)

水があふれてプールになっています2007/10/13

イオンモールの工事の人たちは、
午後5時をすぎても、仕事を継続中。

気軽に声をかけると、中の道を通してもらえました。
10月15日以降は車は通れません。
もともと琵琶湖の一部なのか、
それとも狼川が隣に流れているからか、
水がつぎつぎとあふれてきていました。

「これ温泉になりますか?」
「いえいえ」

カメラを持ち歩いているので、
「新聞社の方ですか?」と聞かれました。

似たようなものですけれど、答えは「いいえ」

秋です、ススキです2007/10/13

これらのススキには最後の秋かも知れません
イオンモールが建設されるのは、
農地だったところです。
工事をしている箇所を通り抜けると
狼川の堤防。
そこにススキが生えていました。

ここの巨大な複合商業施設が建設されると
この風景はどうなっていくのでしょうか?

そんな思いで、何枚か写真に収めました。
この土地にとってのんびりできる最後の秋。

バス問題はなぜ深刻になったのだろう2007/10/13

関係する論文を読むとかたい言葉がたくさんでてきます。
で、結局なんなんだって思うのです。

それで、自分の言葉に直して行こうと思います。

どうして市民の足が奪われるようになったのか?

第一、「車社会」になったから。
    マイカーを乗り回すようになった。
    このおかげで、バスや鉄道に乗らなくなった。

第二、高度成長の結果、過疎過密問題。
    人の乗らなくなった過疎地域で
    廃線が続く

第三、規制緩和
    貧困な交通対策のうえに、
    勝手に参入し、勝手にやめていいことになった。

  2000年2月は
    参入規制  免許制→許可制
    休廃業   許可制→一年前の事前届出制
    運賃     認可制→上限認可範囲内の事前届出制
  2002年2月
    乗り合いバス事業の規制緩和
     廃止は、六ヶ月前に届ければいいことになる。

   要するに、自由に参入できるので、競争が激化し、
   儲からないところは廃止しないとやっていけない。
   その結果、被害をこうむるのは、住民ということ。

これにまた別の要因が働く。

第四、市町村合併。
     これまで独自に行われていたバスが廃止された。
     平等の名のもとに、地域の事情で工夫されてきた
     バスがすっかり廃止されてしまう。

第五、高齢化社会
     マイカーに依存してきた層が高齢化で
     交通手段をもたない層へ
     認知症ドライバー問題など。

だいたいこんな内容かな?

付け加えるとしたら、

第六に、近くお店が廃業
     これまで以上に、歩いて買い物ができる暮らしが
     破壊されていき、交通手段の重要性がます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)